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うどん鍋。

31日は大晦日。午前中にオカンをつれてダイエー。歩行補助カートの寿命がきたらしく、オカンが新しいのを欲しいというので、前日の下見を経て本日「本人による最終確認」となったわけです。本人に実物確認させんで買うたらあとがうるさいからね。オカンは上機嫌で、財布売り場で財布を買い、帽子売り場をうろうろしてから帰宅。 甲子園というのは我が実家からはなはだ中途半端な距離にあります。若いもんならひょいと歩く距離ですが、年寄りには多少辛い。けれどタクシーには近すぎる。天気がよかったのでオカンは歩いてくれました。 午後、風呂場のコーキングなど修理してからオカンをおいて4人でららぽーと甲子園。我が輩は途中で分離して中学・高校の同級生と邂逅。帰宅して夕食はうどん鍋。

すきやき。

30日。午前中にホームセンターで波板を買って洗濯小屋の屋根の修理。月子がつきあってくれましたが、そのかわりミントソフトクリームを拠出しました。 「屋根に登るんは20年ぶりくらいかなあ・・・。」と我が輩が屋根を見あげて感傷にふけっていたら、内儀がブロック塀からひょいと屋根に登り、とんかちであっという間に波板を打ち付けてしまいました。まるでアクション映画のアンジョリーナ・ジョリー。 いわく、 「わたしこういうの好きかも。」 我が輩は拍手するくらいしか仕事がありません。 午後はダイエーで買い物。花子がつきあってくれました。 晩ご飯は本格すきやき。台所の片隅で発見した「すきやきのなんたら」というのを使いましたが、ちょっと甘口やったな。

寿司清。ギネス。

29日は内儀と月花が到着。おかんと月花のためにカレーをつくっておき、兄貴夫婦、なおくん、我が輩と内儀の5人は梅田の寿司清。ハイボールがやたら濃くて善哉善哉。それから線路を越えてビール専門店でギネス、さらにIWハーパーのオンザロック。シアトルコーヒー屋でカプチーノ。大変楽しい会合でした。

野菜餃子。きつねうどん。

28日は月曜日。オカンは午後から整体。我が輩が聞いてようが聞いていまいが構わずにしゃべりまくるオカンに辟易していた我が輩には天啓ですわ。午後、郵便局から甲子園のダイエーまで散歩して帰宅。 「晩ご飯どないしょ?」 「餃子買うてきたで。」 「餃子!食べたかってん!ご飯炊こか?」 「うどんにしよか。」 「揚げさんあるで。」 というわけで、夕食は野菜餃子ときつねうどん。

焼肉とジャズバー

昨日の晩は大学の同学と三宮で焼肉。同学はお肉博士1級認定取得者なので、彼の案内で下山手通り1丁目のボヴァンという店。そのあと死んでしまったしょんやん先輩のいきつけだったジャズバー「さりげなく」で追善供養の酒を飲み、終電で帰宅。 夜中にトイレに起きたらまっすぐ歩けなかった。歳やね。

すきやき

朝からお寺にリンゴを届けに行き、それから近所のブックオフで「深夜食堂」を買い、阪神百貨店でねぎを買って帰宅。 午後はホームセンターでオカンのあれこれ用足し。外に出たら歩道が濡れていました。夕食はオカンが「お肉食べよ。」というのですきやき。準備をしていたら糸こんにゃくがないのに気付いたので、コープさんまで買い物。帰ってから流しの下で発見したキリンビールを飲みながらすきやきの準備。

塩尻の駅そば。鶏もも肉グリル。

24日はハッピーコマーシャルクリスマス!我が家では何年かぶりにクリスマスツリーが出現。 「サンタさん来るのかな?」と花子。 「さーて?どうだか。」と我が輩。「ラジコンとか欲しいのかな?」  「もう子供じゃないよ。」と花子。 内儀に駅まで送ってもらい、朝10時40分の普通電車で塩尻。塩尻駅で30分ほどあったので、いったん改札を出て駅そば。きつねそば380円。うまいなあ。 名古屋まで御嶽山付近の景色を楽しみながら缶ハイボールとかきぴー。名古屋から新快速、各停、米原から再び新快速。名古屋から大阪まで3時間かかりましたがな。 大阪のソフマップでipod120ギガを売っぱらい、お金を足してipodタッチを入手。バンザーイ。インターネットラジオ聞きたかったんだよね。 オカンの家についたのが午後7時ごろ。オカンが用意してくれていた鶏もも肉を食べながら、夏の残りのジョニ赤。

プリン生どら。魚肉玄米野菜宴会。

12月23日は天皇誕生日。午前中から月子と図書館でお勉強。富士見町図書館はドリンク持ち込みができて、ワイファイもこたつ席もあるやさしい図書館です。お昼は歩きで近所の西友。パン屋のよこにあるスペースでパンとコーヒーのお昼。都会とは違って、この町は暖かくて座ってお茶とか弁当を食べられる無料のスペースがあちこちにあります。お昼を食べながら高校生の娘のあれこれの話を聞けるなんて、楽しいなあ。 昼からまた図書館に戻ってお勉強。そうこうするうちに内儀と花子がお迎えに来て、みんなでお買いもの。帰路コンビニで限定のプリン生どらを購入。でっかいので4等分。 夕刻は内儀謹製のパキスタンレシピのカレーや酒・ビール、そしてギターなど持参で原村のリングリングというイベント会場。ここはセレブが自腹でやっているプライベートの場所ですが、これまであれこれ大小のイベントに開放してくれていました。それが今回で最後のお別れ会。プロの歌手という若い女性や声楽家も参加して、おおいに盛り上がりました。さすが原村、団塊の世代で才能ある人々が集まっています。セレブの話題など我々にはよくわからんところもありますが、民謡とか演歌じゃない、もっとモダンでインターナショナルなノリでした。各位がもちこんだ玄米ご飯やおいしいチキンの煮込みなどいただきました。内儀のカレーも好評で、レシピをあちこちで尋ねられました。

まぐろと鯛の刺身。わかさぎのから揚げ。きゃべつとブロッコリのサラダ。

月曜日。娘たちより先に家を出て一路塩尻へ。塩尻の中南信運転免許センターで失効していた運転免許を復活。めでたしめでたし。帰路、リサイクルショップで不用品を売っぱらい、エレキギターケーブルやたこ焼き機など売った以上の買い物をし、丸亀製麺でカレーうどんを食ったり、ニトリではなこのべっどを買ったり、角上魚類でたこや刺身などを買い、おおいに疲れて帰宅。帰宅したらもう夕方。帰宅したはなこがたこ焼き機を見て狂喜したり、帰宅した月子がやはりたこ焼きをみて狂喜したりしているうちに夕食。まぐろと鯛の刺身。わかさぎのから揚げ。きゃべつとブロッコリのサラダ。ウォッカ。

あじの開き。おでんくん。

土曜日は寒いのでひきこもり。夕食は自家製あじの開き。前日スーパーマーケットでイキのいいアジをいっぴき何十円で売っていたので、買ってきて開きにして塩水につけ干し網で陰干し。うまかったー。40度の焼酎もいただきました。

コロッケ。野菜サラダ。キチン照り焼き。きのこパスタ。

金曜日の夜はエリック・ジョーンズ君を招いて宴会。はなこの学校の英語の先生で、近所に住んでいます。道端で立ち話したとき、「どっから来たの?」「ニュージャージーのモーリス郡。「おー、ご近所じゃん!」てな按配で「いっしょに飲もーぜ。」「ぜひ。」という流れです。GGもBBもいい感じで、「じゃこんど和服着て三味線弾いたげるよ。」なーんてね。翌日確認したらぜーんぜん憶えていなかったけれど。

チキンカツ。湯豆腐。

水曜日。このところ定番化していている朝の行事は、朝一番で月子を駅に、それから花子を学校に送りつつの散歩。ちなみに花子の学校は日本でいちばん標高の高い中学校です。帰り道、花子の中学校の英語の白人先生とすれ違い立ち話。 「ごはんなんかどうしてるの?」と内儀。  「えーと、コンビニ弁当とか。」と先生。 「ご出身はどちら?」と内儀。 「ニュージャージーのモーリスカウンティー。」 「おー、近所じゃん。こんどメシ喰いににおいでよ。」 てなあんばいで国際交流。 午前中にアマゾンからHDMIケーブル到着。お昼どきに大画面で爺婆にテヘラン日本人学校の学習発表会での英語弁論大会の花子の姿を披露。あらためて眺めたら花子もずいぶん大きくなったもんだ。 午後、富士見町立図書館で図書カード作成。公立図書館になんとコタツ閲読席があるじゃあーりませんか。感動。ワイファイも無料。ドリンク持ち込み席もあり。暖房も効いてます。「名著で学ぶ戦争論」(日経ビジジネス文庫)を半分ほど読破。 夕刻歩いて帰宅したら、花子の水没したマックブックが修理完了で到着。花子ごきげん。 夕食はチキンカツと湯豆腐。豚肉なし生活があまりに長く、カツといえばチキンカツしか頭に浮かばないという内儀。 「トンカツって、ジャガイモはいってるやつだっけ?」と花子。 「ジャガイモは入ってるやつって、ひょっとしてコロッケ?」 「えっとね、トンカツっていうのはチキンカツのお肉が豚肉なんだよね。」 なーんていう会話。

いわしの唐揚げ。鶏肉団子、しらたき、豆腐鍋。

久しぶりの記述です。この1週間、シンプルだけど旨い飯を食いながら夜はウォッカを飲んでおりました。昼は役所、運転免許試験場、銀行、郵便局めぐりなど。娘たちがまじめに学校に通っているあいだ、我が輩はふわふわとユーフォリア(多幸感)に包まれておりました。火曜日の夜はいわしの唐揚げ。鶏肉団子、しらたき、豆腐鍋。

手作り餃子・にんにく味噌だれ。

火曜日。晴れ。朝一番ではなこを学校に送り、内儀とちょっと遠回りして帰宅。お昼は雑炊。終日スキャン作業やら片付けなど。夕食は手作り餃子。にんにく味噌だれをつくったら好評でした。ひとりでも食べない人がいたら、他の人の口臭が気になるのが欠点といえば欠点。ウォッカ。お風呂のあとスキャン作業続行。

げそ天ぷら。あじといかの刺身。鶏肉団子鍋。

月曜日。朝ご飯は塩シャケ切り身、たらこ、ちりめんじゃこ、野沢菜、なめこ味噌汁。「なんて贅沢な朝ごはん!」と娘たち。朝一番に徒歩で月子を駅に、はなこを学校に送り帰宅してカプチーノ。午前中に町役場、郵便局、銀行、ホームセンターめぐり。お昼は具たくさんうどん。午後は茅野のブックオフに本を売りに行き、それから酒屋、角上魚類などめぐって暗くなって帰宅。げそ天ぷらをつまみながらウォッカ。スミルノフのラベルをよく見ると南朝鮮製品。ついにウォッカも朝鮮起源になったのか。娘たちが帰宅しみんなで夕食。あじといかの刺身。鶏肉団子鍋。

こんにゃくと季節の野菜の煮物。

12月5日はもう土曜日。アウトレットで子供達のスニーカーなど買い、月子の学校に挨拶に行き、長坂のマクロビオティック食堂おはなで定食。デザートつき。夕刻帰宅し、部屋の模様替えをして、夕食はこんにゃくと季節の野菜の煮物。冷凍庫できんきんに冷やしておいたストリチナヤのウォッカで乾杯。3杯たてつづけに飲んだらやっと体に酔いがまわってきました。

湯豆腐。

12月4日。町役場で転入の手続きをして、お昼はあたたかい天ぷらそば。花子の学校に挨拶に行き、あれこれ回っているうちに日が暮れ、夕食は湯豆腐。

刺身、蓮根炒め、煮物などなど。

12月3日。朝食は宿舎の近所のモスバーガーで朝食セット。家族そろって都会の朝食なんて珍しい。雨の新宿で花子のパソコン修理など頼み、お昼は京王デパート8階の食堂街で天丼ざるそばセット。午後3時の特急あずさで長野へ。小淵沢についたらもう夜。ひさびさの家で刺身、BBの蓮根炒め、煮物などなど。バランタイン12年。

和食。ジェームソン。

ドバイのラウンジでシャワーを浴び、内儀はマッサージ。シーバスなど啜りながらまったり過ごし、再び機上の人となってぐーぐー寝ていました。朝食は和食。ミッションインポッシブルなど観ていたら成田に到着。もう夕方です。荷物を11個受け取って宅急便で発送し、スカイライナーで大東京。ルーテル市ヶ谷に着いたら9時過ぎ。庄屋で夕食と乾杯の後、マルエツでI.W.ハーパーとナッツを買って宿舎で内儀と無事安着の乾杯。

エミレーツのビジネスクラスでステーキ。

12月1日。午前中に会社に挨拶に行きスタッフと名残を惜しみ、小雨のなか昼過ぎに出発。テヘランのイマーム・ホメイニ空港のビジネスクラス専用チェックインターミナルでおまかせチェックイン。専用バスでまったり搭乗し、食事はフィレステーキ。

史上最高の宴会

11月27日の金曜日は拙宅で宴会。イラン人が宴会に来ると必ず踊りだすのでとても楽しい宴会になりました。鎮魂酒の在庫は全て放出。緊急調達したブランデーも空っぽ。日本人ゲストも踊り出し、子供達も参加して史上最高の宴会になりました。

ボス宅宴会

木曜日の夜はボス宅で我が輩一家の送別会。ギターを持ち込んでゆるい感じになりました。ナッツとチーズキットを持って行ったら、あらなんとちょうどスコッチとウォッカがあるじゃあーりませんか。というわけでいきなりウォッカ。ポテトサラダ、東北製肉まん、和風カレー、なすの揚げ浸しなどなど。1杯目のウォッカ、なみなみとついだつもりなのにすぐなくなり、2杯目はスコッチをなみなみと。こっちは宴会の最後までもったけれど、かなりへべれけになりました。

野菜チキンカレー

さて昨日はなにを食べたかな?たしか温かいそうめんと野菜てんぷらだったような気がする。きのうはネットのトラフィック残金がなくなったので自動的に遮断され、テレビを見て寝たような気がする。 さて今日は水曜日。晴れ。朝はやくから経営コンサルタントのみなさんとホテルと合流しバスに乗って国営自動車会社訪問。工場も見せてくれました。1時間に42台。うーむ。他人事ながら心配になってしまうなあ。街にもどって食事をご一緒。Agha Bozorg、つまりボゾルグおじさんという名前のレストランでイラン料理。うまかったー。そのあと汽車ならぬバスで帰社。夕刻さっさと退社して帰宅し、内儀の指図どおり野菜スープを温めてカレールーを投入し、数分煮込んでカレーと三逆を食べました。テレビを眺めているとみんな帰宅。オレンジをむいて食べました。

親子丼。

月曜日。晴れ。朝は歩いて出勤。今日はガス輸出国フォーラムがテヘランであるらしく、ダウンタウンや主要高速道路はほぼ封鎖。てな按配で日本人学校は休校。月子の語学学校も「どうせ誰も来えへんで、決まってるやん。」ということで自主休講。我が輩のみ出勤ということになりました。お昼はチキン生姜焼き弁当。夕刻、日本からやってきた調査団チームと談笑してから帰宅。晩御飯は親子丼。

温かいそうめん。

日曜日。雪で真っ白になった山が朝焼けに映えてきれいでした。夕刻さっさと帰宅したら月花内儀は渋滞にはまったらしく未在宅。我輩は三逆を温めクリームチーズと鎮魂酒とコーヒー。オレンジを剥いておいたらみな帰宅。夕食は温かいそうめん。 明日はガス輸出国フォーラムがあるらしくテヘランのあちこちで全日交通規制。日本人学校も休みなのだとか。

鶏の丸焼き。白身魚のフライ。枝豆。いろいろ。

金曜日。朝から日本人学校で学習発表会。花子は英語暗唱、パネルディスカッション司会、劇など大活躍。お昼過ぎに帰宅。夕刻はY新聞特派員さん宅でお呼ばれ。ギターと鎮魂酒など持って訪問。鶏の丸焼き。白身魚のフライ。枝豆。その他いろいろ。ギネス。シーバス。ジョニ赤。ご夫妻とも外大出身者ということでうちとけ、語ったり歌ったり楽しい宴会でした。ちゃんと帰宅したけれどよく朝起きたらほぼ記憶がなかったなあ。

三逆。サラダ3種類。カレー2種類。

木曜日。晴れ。1時間ほど残業して、パン屋に寄って三逆を買って帰宅。お昼に学校ハノメ(マダム)会があったらしく、本ものワインがグラス2杯分と、サラダが何種類か、カレーが2種類ありました。焼きたての三逆とクリームチーズ、ワインとサラダで夕食。

三逆とクリームチーズとチーズ。カレーラーメン。

水曜日。朝はどんより曇ったなか、花子を学校におくり、月子とバス停まで歩いて出勤。10分くらい待ってもバスが全然来なかったのに、来るとなったら4台つづけて来やがったぜ。ったく。定刻ぎりぎりに出勤。やれやれ。 ぼちぼち仕事をしようかと思っていたらタジク人団体の襲来。終わったらもう昼飯。弁当を喰ってあれこれのメールの返事を出していたらもう夕方。ぼたぼた雨の降るなかを帰宅。 帰宅したらあれれ?デビューしたての南沙織がいるじじゃんと思ったら某外交官夫人がお嬢さま同伴でご来訪でした。鎮魂酒、三逆、クリームチーズ、ゴータチーズなどありあわせのもので楽しく談笑。ゲストが退出されてからカレーラーメン。

なすとトマトとたまごのなんたら。焦げ飯。

火曜日は朝早く起きてクリームチーズ、三逆、紅茶の朝飯。カスピ海南岸はまるで須磨浦海岸か、ヤシがしげったところはインドネシア・ジャワ島の海沿いのどこかの街のようです。左手に迫った山、右手に海岸。そんなところを4時間ばかり走り、ラシュトという街でタジク人と一緒に農業研究所視察。タジク人ておもしろいよね。ペルシア語を話すんだけど、たとえばレストランで「ほれ、これメニューでっせ。」といって渡すと、彼らアラビア文字が読めないから「わからん。」タジク人のペルシア語はロシア文字表示なんだよね。その日はラシュトで見学のあと、また何百キロか走ってテヘラン帰着が午後10時。 ああ疲れた、と帰宅したらなんと来客。大佐夫人と楽しく談笑しながら鎮魂酒を飲みました。

なすとトマトとたまご混ぜ合わせ。お焦げ飯。

月曜日は朝一番で梅干しおかゆを喰って出発。ダマバンド山のふもとを巻いてカスピ海沿岸へ。アモールという街でタジク人ご一行と落ち合い、施設見学。見学を終え、午後3時前にホテルのとなりの飯屋でおもてなし。我が輩は なすとトマトとたまご混ぜ合わせとお焦げ飯で腹一杯。そもそもバターライスやし。夕刻、同僚たちと鎮魂酒をあおりつつ世間話など。

蕪の塩もみ。野菜スティック。野菜てんぷら。

日曜日。いつものように花子を学校におくり、月子とバス停まであるいて出勤。あれこれ忙しくしていると、あっという間にお昼の弁当。あれこれしていると、あっというまに夕方。オフィス家具を運び込むというのでさっさと片付けて退社。帰宅して蕪の塩もみと野菜スティックで鎮魂酒。野菜てんぷらでごはん。

三逆・クリームチーズ。コーヒー。塩ラーメン。

土曜日。やれやれ。宝石美術館に行こうかって内儀と話していたのに、朝一番でパリのテロのニュースで外出する気力がすっかりそがれてしまいました。いまやユーラシア大陸で一番安全なのはひょっとしてテヘランとちゃいますやろか。朝は三逆、クリームチーズ、コーヒー。娑婆世界の生臭いテロ報道に飽きたら我が道を行くNHKインターナショナル。おーやっぱり、「ユカの三色カリフォルニアロールの作り方」なんて能天気な番組をやってくれています。癒されるねー。 お昼も三逆、クリームチーズ、残りのコーヒー。午後は居眠りしながらスネークマンショーなど聞き、夕刻内儀と徒歩で買い物。夕食は塩ラーメン。

三逆とクリームチーズ。味噌ラーメン。梅干しお粥。

金曜日。よく晴れた朝、雪で真っ白になった山を眺めながら三逆とクリームチーズとコーヒー。しみじみうまいなあ。お昼過ぎに味噌ラーメン。冷凍スープはどこかさんが帰国のときにもらったのだとか。夜が来て月子につきあってみんなでお粥。

やきそば。

木曜日。晴れ。雪で白くなった山がくっきり見えました。お昼は揚げ春巻き弁当。夕刻さっさと退社してヴァヒッド君の自動車で途中まで送ってもらい、三逆を買って帰宅。帰宅したらPTA役員会(といっても内儀とゲストひとりだけ)をやっていたので、三逆の破片にクリームチーズをつけて食ったらとてもうまかった。それから内儀がつくっておいてくれたやきそばを食べながら娘たちとアニメ鑑賞。

野菜スティック。野菜おじや。

水曜日。エネルギー72%で出勤。お昼ごろから強烈な日差しが。エネルギー85%。夕刻さっさと退社。夕暮れの冷たい空気でエネルギー90%。肉屋でたまごを買って帰宅。発酵終了した鎮魂酒スペシャルブレンドを濾過してペットボトル詰め。みんなで野菜スティック。野菜おじや。お風呂。

梅干し粥。梅干し粥。ちらし寿司。

火曜日。なんでかしらんけれどウズちゃんの会社で働いていて、台湾の核発電所のコンサル仕事にいったらカステラみたいなイエローケーキ(濃縮ウラン)がそのまんま壁のように積み上げてあった。ええんかいな、と考えているうちに夢だとわかり、起きてトイレ。 大通りから斜めにはいったところにMBOというしょぼい餃子屋があって、それがどこの国だったか思い出せないので、内儀に「あれどこの国やったっけ?」て尋ねても「しらん」のだと。そんなことを考えているうちに朝になり、頭はオートミール状態で体もへろへろなのでズル休みに決定。会社にメールを送り、あとふたつくらい夢を見て、朝ごはんは梅干しのお粥。テレビなど眺め、お昼は梅干しのお粥。午後はネットなど眺め、夕食はちらし寿司。もうだいぶまともになったかな。

野菜スティック。ごはん。

月曜日。帰宅したら拙宅でPTA役員会をやっていて、といっても内儀と会長奥様のふたりだけど、そこらへんにあった南京豆を食べ、野菜スティックをぽりぽりたべ鎮魂酒を飲み、ごはんを食べました。役員会がおひらきになってから、なんとなく気分が悪くなり、トイレで何度かお祈り。へろへろになって考えたら、たぶんあのそこらにあった南京豆やろな、と。

シンガポール風ラクサ

日曜日。曇り。花子は英語エッセー暗唱で、「あー疲れた。もー疲れた。」とかなんとか言いながらふつうに登校。 我が輩もふつうに出勤。あんまり寒くはないけれど、山も雲をかぶってほとんど見えません。お昼はハム炒め弁当。夕刻内儀から電話があって、学校から自動車を頼んでジャムジャメスーパーマーケットに行くというので、そこで合流を提案。飲料水やジュースなど買いました。ついでにプロモーションをやっていたシンガポール製のシンガポール風ラクサ(カレーヌードル)のインスタント麺を衝動買い。いっこ2万リアル(76円くらい)やったし。 英検の面接で大いに疲れたらしい月子の話など聞きながら渋滞のなかを帰宅。 夕食はそのシンガポールラクサ。ふつうにうまかった。内儀がおおいに評価してたのは、レモングラスの香りがぷんぷんしてエスニックやったからやろな。 買ってきた赤ぶどう100%ジュースを鎮魂酒スペシャルに投入したら、一瞬おとなしくなったのでちょっと心配になりましたが、数分後に大宴会。ラグビー部のコンパに女子大生が乱入したような勢いでぽこぽこぽこぽこやっています。

味噌汁おじやと野菜スティック。

土曜日は曇り。朝は目玉焼きのせご飯に味噌汁をかけて食べました。月子が学校から帰ってきてお昼はイラン飯の出前。鶏飯など。午後はみんなでアニメなど鑑賞。夕刻から花子の英語暗礁大会おさらい。夕食は味噌汁おじやと野菜スティック。

残りもの平らげ日。

朝は鶏炊き込みご飯。つまり前日の残り。お昼は野菜サラダ。これも前日の残り。夜はとコロッケ、揚げ春巻きなど。鎮魂酒スペシャルを仕込んだ以外ほぼ何もせずダラダラと過ごしました。

ファミリー夜総会。ゆでたまご野菜サラダ。揚げ春巻き。コロッケ。鶏炊き込みご飯。高野豆腐鶏肉詰め。

木曜日。夕刻さっさと退社。家でやることがないのも退屈なので八百屋に立ち寄ったらやっぱり梗落ちぶどうをあつめてくれていて、何キロかを20万リアルで購入。帰宅して剃髪沐浴。夜7時から4ファミリー合同宴会。まず東北人専門家一家が来訪したので、チーズわさび醤油を出すと、それだけで旨い旨いと酒の進むこと。それからぼちぼちみな来集し、飲めや食えや歌えや踊れやの大宴会。あー楽しかった。

揚げたてコロッケ。野菜スティック。お茶漬け。

水曜日。街の北の山にかぶさっていた雲が晴れたら、山が真っ白になっていました。美しい。晴れたとはいえ寒いテヘラン。夕暮れのなかを退社し、やることがないので八百屋に立ち寄ってぶどうを買い求め帰宅。揚げたてコロッケでまず鎮魂酒。それから野菜スティック。締めはお茶漬け。

野菜おじや

火曜日。やっと晴れ間が見えました。晴れたら暑いがな。夕刻さっさと帰宅して鎮魂酒スペシャルを瓶に移しました。夕食は野菜おじや。花子の学校愚痴を聞きながら、こんな内向き日本向きでええんかいなとたいへん危惧。これからテヘランは世界のあちこちで競争にさらされた親と子供たちが来るっていうのに。テヘランはニューヨークよりも暮らしやすい快適な都市。こんなところで過ごしたのは海外経験にはいりませんよ、って言ってあげようかな。

野菜クリームシチュー。チキンの生姜にんにく焼き。山羊乳コテージチーズの醤油かけ。

雨模様で寒い月曜日。最低気温2度、最高気温8度って、いったい何やねん?いきなり冬でっか。お昼は弁当。夕刻さっさと退社。鎮魂酒と山羊乳コテージチーズの醤油かけ。醤油がコテージチーズの臭みを消してええ按配ですわ。早い夕食は野菜クリームシチュー。チキンの生姜にんにく焼き。

野菜スティック。焼きシャケごはん。

日曜日。朝から曇り。午後から雨。1日会社で会議とか書き物とか調べもの。夕刻退社して冷たい小雨のなか帰宅。野菜スティックで鎮魂酒。スペシャルを味見してみたら辛口で高アルコールに仕上がっていました。締めは焼きシャケごはん。

ピッツア。お茶漬け。野菜スティック。

土曜日。朝ご飯は三逆とチーズとコーヒー。よく晴れた日、昼前に家を出て月子の学校前で待機。月子と合流してみんなで演劇ミュージアムのカフェーでコーヒーなど。それから歩いて田尻ッシュのマーケット。モールのフードコートでピッツア。コーヒー豆やプラスチックボトルを買い、我が輩だけ途中下車して八百屋でぶどうを買って帰宅。鎮魂酒スペシャルの仕込み。ちょっと遅い夕食は野菜スティックと焼酎。それからお茶漬け。

アニメ鑑賞会。コロッケ。揚げ春巻き。炊き込みご飯。サラダ。関西人会。海苔巻き。

金曜日。朝は三逆、チーズ、コーヒー、目玉焼き。昼過ぎから拙宅でアニメ鑑賞会ということで、お子ちゃまたちとマダムマダムがあつまりました。コロッケ。揚げ春巻き。炊き込みご飯などなど。午後4時から住商レジデンスで関西人会。海苔巻き、杏仁豆腐フルーツ盛り合わせ、ボンベイサファイヤジン。

フライドチキン。ウォッカ。野菜炒めごはん。

木曜日は小雨のなかを出勤。お昼は弁当。夕刻、会議室でフライドチキンとかフライドポテトとかポテトチップスとかピッツア、焼酎とかウォッカとかビールがならんで宴会。セピデちゃんの送別会と、ふたりの女性スタッフの歓迎会です。酒がはいるとすぐに陽気に妖艶に踊り出すイラン人女性達。我が輩はフライドチキンをひとつ食べてからウォッカ。いいねえ。ええ加減汗かいて退社。スーパーマーケットで卵とか牛乳とかゴミ袋を買い、さらに八百屋によってぶどうを仕入れて帰宅。剃髪沐浴してぶどうの仕込み。そうこうするうちに野菜炒めの夕食。おや、ウズベキスタンの案件に落ちたぞ。ウズベキはウォッカがふつうに飲めたらしいのだが。まあいいか、つぎがあるさ。

海老ヌードル。ヨーグルト。

水曜日は午前中に税関研修所で閉講式、午後は労働省に出向き、小雨のなか八百屋でぶどうを調達して帰宅したら花子の同級生と丙午母がご来訪。ぶどうを洗って仕込みました。夕食はマレーシアで仕入れた海老ヌードル。辛いのでヨーグルトを食べながら。辛いインドカレーにヨーグルトを入れる、あの発想。混ぜず別々に食べたけれど。

冷やご飯とキムチ。野菜スティック。

月曜日。午後からダウンタウンでアフガン人から意見聴取。やっぱりなんやね、愚痴とか辛抱強く聞いていると相手も自省的になる、っちゅうのはアジア的やね。理屈ぬきのGNNの世界やん。ちょっと遅く帰宅して冷やご飯とキムチ。野菜スティック。焼酎を飲んでいるうちに月子と内儀が帰宅し、お茶漬けやキムチチゲなど。

クリームチーズサンドイッチ。温かいそうめん。

坂道になった芝生に老いた病気の動物たち(羊とか山羊とか馬とかおおきな犬)が集まっていて、その様子があまりに悲惨なので見てられず、泣きながら内儀に「頼むよ、なんとかしてやってくれよ」と言ったら、内儀はハードケースからゴルゴ13の使うような狙撃銃を取り出して言いました。「だいじょうぶ。私がけりをつけてあげるから。」 というところで内儀に起こされました。ヤーズドのサファイヤホテルのスイートのシングルベッドの上で午前3時半でした。やっぱり、前日の沈黙の塔からいろいろ連れてきてしまったのかなあ。 顔を洗って歯を磨き、黒服を着て(アシュラやからねー)荷物をまとめ、ホテルをチェックアウトしたらタクシーが来ないので別のタクシーを呼んでもらい、発車15分まえの午前5時ちょうどにヤーズド駅。ふぅ。列車に乗り込んでアイポッドを聞きながら熟睡。 途中くばられたパンにクリームチーズをはさんでネスカフェと食べました。ほぼ定刻どおりの午前11時にテヘラン駅到着。タクシーで帰宅したら11時半でした。内儀がつくってくれた温かいそうめんを食べ、撮りためたビデオ編集をしました。

ホテルサファイヤの朝食。カバーブごはん。キチンごはん。ピッツア。

線路ぎわに貧しい若夫婦が住んでいて、その奥さんが他の男に盗られてしまい、旦那は間男の奥さんに文句を言いにいった、という夢を見ていたら内儀に起こされました。気が付いたら夜行列車の寝台でした。ほぼ定刻どおりの午前5時すぎに列車がヤーズド駅につき、いいかげんなタクシーでホテルへ。8万リアル。ホテルについても当然チェックインできないので食堂で明日の朝たべる分の朝食を食べました。 ロビーでまったりしていると8時半になってガイドのハゲオヤジがやってきて、これから市内観光。やっほー。まず沈黙の塔。なんで沈黙の塔なのかわからんけど、ゾロアスター(拝火)教の鳥葬の場所です。何百年ものあいだ人々の血を吸った石ころをフクミちゃんに持って行ってあげたらよろこぶだろうなと思ったのですが、いろんな人がくっついてきたらちょっと困るのでやめました。それからアミール・チャフマクモスク。ちょうどアシュラなので、火人々があつまって合掌して胸を叩くのに参加しました。 アシュラというのは、イスラム教の3代目になるはずだったフセインと一行72人がウマイヤの数千人の軍隊に全員惨殺されたというのを、何百年もまるで先月あったことのように胸を叩いて悼む日です。 濃ぉーいおっさんおばはんに囲まれてすっかり不機嫌になり悪態をつく花子をつれてハゲオヤジと我々は別の金曜モスクへ。そこから旧市街をうろうろし、可愛いペルシア猫になつかれて機嫌のなおった花子をつれ、ホテルへ。ホテルでカバーブごはんを食べ、元気になって砂漠ツアーへ。幕府おっとまちがいたバフクという街のちかく、夕暮れの砂漠でいちばん高いところまで這いのぼったら夕暮れ。曇りで星は見えず残念。砂まみれでホテルに帰着し、シャワーを浴びてチキンごはんとピッツア。9時ごろ就寝。

唐揚げ。夜行列車。

木曜日。朝はちらし寿司の残りとコロッケ。お昼はやきそばの残りとコロッケ。夕刻さっさと帰宅し、剃髪・沐浴して黒服に着替え、荷物をかばんに詰めて一家で出発。テヘラン駅から夜行列車でヤーズド観光です。30分前から乗車開始。出発が9時20分。6人乗りのコンパートメントを4人で買い占め、贅沢と思っていたらこりゃ6人詰め込まれたらツラいわ。クサいし。窓を開けていたらマシになったけれど。列車が動き出してから内儀と鎮魂スペシャルで乾杯。ベッドをつくってすぐにぐーぐー寝てしまいました。

イラン人大宴会。ちらし寿司。やきそば。ダールカレー。ゴマだれサラダ。ズキーニとマッシュルームソテー。唐揚げ。コロッケ。ホムスと野菜スティック。

21日は水曜日。お昼は唐揚げ弁当。夜はさっさと退社して100%ジュースを買って帰宅。夜はイラン人スタッフとファミリーを招いて大宴会。100%ジュースはこども以外だれも飲まず、みんな鎮魂酒と鎮魂酒スペシャル、さらに麦焼酎とぶどう焼酎をぐい呑み。料理も大好評で、いちばん受けたのはカリカリ梅。大絶賛。ヴァヒッド君が我が輩のために誕生ケーキを用意してくれました。歌と踊り、楽しいおしゃべりで10時半まですごしました。 イラン人って顔はアーリア系だから基本コーカソイド顏ですが、いっしょに宴会をやっているとあんまり外人感がない。おもしろいね。

野菜スープ。三逆。バルバリ。

火曜日。朝は焼きハム、野菜炒め。出勤して書き上げた報告書を手直し。お昼はハム野菜炒め弁当。夕刻ジュースとチョコビスケットを買って帰宅。前日ペットボトルに詰めた鎮魂酒スペシャルの澱がええ按配に沈殿していて、上澄みを試飲するとかなり効きます。夕食は野菜スープ。内儀によるときょうは八百屋で原村クオリティーのセロリを売っていたのだとか。そのセロリをはじめ玉ねぎとかいろいろ煮込んだおいしいスープ。こういうスープがあったら、あとはパンとワインがあれば夜は完成。チーズがあれば尚佳し。BGMはグローバー・ワシントン・ジュニアとスタッフ。

チキン唐揚げ。いんげん天ぷら。わかめの味噌汁。

月曜日。もうジャケットを着て出勤。あと5週間もあるのに報告書ほぼ完成。そういえば昨日、次のお仕事に応募。この不安な感覚はいつまでたっても慣れそうにないなあ。つぎ当たったら単身赴任やから、仕事の帰りにお気に入りの古本屋によって本を買い、なじみのバーに立ち寄って本を眺めながらウォッカを2杯だけ飲み、家の近所のラーメン屋でワンタンかラーメンをすすり、帰宅してシャワーを浴びてウォッカをさらに2杯飲んで寝る、というような生活になるのかな。ハードボイルドでいいかもしれないぞ。 帰宅途中ではんぶん路上の八百屋でみかんを買いました。みかんというかなんというか。皮が硬くて緑色で、食感はグレープフルーツと八朔の中間くらいで、味はマイルド。こんなん日本にないから、種をもって帰ろうか。 帰宅したら鎮魂酒スペシャルの発酵がほぼ終わっていたので濾過と瓶詰め。ちょっと味見してみたら、酒粕っぽいというかどぶろくっぽいのがががーんときて酔ってしまいましたがな。あら大変。いやほんま。 夕食は チキン唐揚げ。いんげん天ぷら。わかめの味噌汁。

やきそば

土曜日。朝未明に雷雨。めざめて娘たちを送り出してから朝食。朝9時ごろまた雷雨。お昼はカレーと三逆。午後は元ドローンオペレーターがリークした情報など眺めました。夕食はやきそば。娘たちとあれこれ楽しく話しながら鎮魂酒など飲みました。

鶏肉炊き込みご飯。コロッケ。高野豆腐の鶏肉詰め。サラダ。胡瓜の浅漬け。エビと野菜のソテー。パキスタン風豆カレー。

木曜日、我が輩は会社をサボりのんびりしました。午後になってバルバリ屋で三逆という石焼パンを買いました。三逆を買うとパン屋の金網テーブルのうえで三逆にくっついている小石を落とさなければなりません。この小石が三逆のでこぼこテクスチャーを作るのに不可欠なので、パン屋で落とした石を小僧が掃き集め、また炉にもどします。三逆とバルバリの違いは、焼けた小石のうえで薄いドウを焼くのが三逆、平べったい炉内でぶ厚めのドウを焼くのがバルバリ、ということになるのでしょうか。たぶん。 さらに八百屋でとっておいてくれた各種ばらばらぶどうを約5キログラム購入。帰宅して洗浄して鎮魂酒スペシャルの仕込み。今回の鎮魂酒はパックのぶどうジュースを使わず生ぶどうだけで醸しています。今日が3回めの仕込み。楽しみやなー。 さて午後は内儀のお手伝いなど。この日は大阪大外語のアヤカさんの送別会です。 新しくやってきたユウカさんとモモカさんも合流して歓迎会も同時開催。イラン人のかわいいオタクコンビ、ロジータさんとマフルさんも参加して華やかな夜総会です。 メニューは鶏肉炊き込みご飯。コロッケ。高野豆腐の鶏肉詰め。サラダ。胡瓜の浅漬け。エビと野菜のソテー。パキスタン風豆カレー。 夜更けになってアヤカさんいがいの女性たちが去り、ヤッサン、コースケ、ヨコタさんなど残された男どもが商社マンの武勇伝など語りに語って我が娘たち、内儀、アヤカさんはドン引き。これで我が娘たちが商社を志望したり、商社マンの嫁になるという可能性は消えたかもしれないな・・・。

焼きシャケ。わかめとたまねぎの味噌汁。野菜スティック。

水曜日。朝は歩いて出勤。というのも、前日は日本人学校の行事としてのサッカー観戦で遅くなったので、学校も遅くはじまったからです。午前中に来客。お昼は弁当。午後はあっというまに過ぎて、夕刻帰宅。途中八百屋にたちよってぶどうを購入。帰宅してぶどうを梗から離し、ごみをとってざっと洗ってミキサーでクラッシュし発酵瓶に投入。 投入前はきげんよくぽこぽこやっていた酵母たちが、ぶどう果汁を投入したら激ぽこになりました。そうこうするうち花子と内儀がご学友宅から帰宅して、みんなで夕食。焼きシャケ。わかめとたまねぎの味噌汁。野菜スティック。

野菜天丼。

月曜日。昼前に来客。アフガン事務所の味村さん。味村さんといっても、音を漢字で書いただけでアフガン人。味村さんいわく、やっぱり我が輩はアフガンのハザールという人にしか見えないらしい。それはそれとしてお昼は弁当。午後は調べものと書きものなど。 夕刻さっさと帰宅。八百屋でぶどうと柿を仕入れました。ぶどうは帰宅してざっと洗って冷凍しておいた酵母を添加して発酵瓶へ。内儀は月子とバレーのレッスンにでかかるというので、内儀が用意してくれた野菜天丼を花子と食べました。娘といろいろ話ができるっていいね。それから花子と仲良くアニメ「ワンパンマン」鑑賞。

野菜スティック。大根の味噌汁。梅干しの握り飯。

日曜日は週のはじまり、だけど前日すでに働いていた我が輩はいまいち疲れがとれず、なんとなく花子を学校に送ってからなんとなく出勤。「雨の日と月曜日は」ってカレン・カーペンターが歌っていたなあ。日曜やけど。 午前中があっというまにすぎ、お昼は弁当。午後もあっという間に過ぎて夕刻到来。なんとなくジャメジャムスーパーに立ち寄ったら内儀から電話。クリームチーズや野菜を買って帰宅。内儀たちは娘の英検で遅くなるので、帰宅したらひとり。家の空気を入れ替え、シャワーを浴び、野菜を洗って切り、ドレッシングをつくり、鎮魂酒にブランデーを追加したところで皆が帰宅。娘たちが野菜をもりもり食べているうちに内儀は飯を炊き、おにぎりと味噌汁を作ってくれました。あれこれ情報交換し、月子の英検問題を検証しているうちに酔っ払いました。

猫飯。

土曜日。朝一番で税関研修の開講式に出席。場所はダウンタウン。昼前に帰宅してバルバリとクリームチーズとコーヒーなど。昼からテレビで映画など見ながら飲酒。午後、内儀と娘たちは全日本サッカーチームとの交流会に出かけ、我が輩は酒を飲んでまったりし、夕方になってメニューを考えはじめました。 飯を炊いて、ツナ缶をほぐして飯にのせ、半熟目玉焼き、鰹節と海苔とを飯にのせて醤油を回しかけ。「これやな!」とひとりごとを言ってまた飲酒。そしたら内儀から電話があり、近所のイラン飯屋に電話してデリバリーを注文してくれとのこと。 ま、それでもええかと考えた我が輩は安請け合いをしましたが、よく考えたら店の名前も連絡先も知らんがな。携帯にはいってる膨大なデータからそれらしい名前を探し出すのも酔っ払いには難しく思え、ぼーとしているうちに内儀たちが夜8時ごろ帰宅。店の名前がわからんので電話できんかったというと絶句。しかし猫飯計画を話すと即座に乗り気になり、20分後にほかほかの飯にツナ缶と目玉焼きがのっかっていましたよ、というお話。

エビヌードル、炊き込みご飯など。

金曜日。前夜はたのしい宴会だったので、翌日は例によって残りもの中心。朝は炊き込みご飯とサラダなど。こないだのサッカー全日本・アフガン戦のビデオ鑑賞。お昼は内儀謹製エビだしの野菜ヌードル。マレーシアのミーを思い出させるいい味です。午後はいねむりや映画など。夕食は炊き込みご飯のおさらえ。

ひのえうま会。いちじくとハムとズキニー。茹でエビのグレープフルーツ和え。キチン炊き込みご飯。

8日の木曜日の夜は拙宅でひのえうま会。ひのえうまの女性とそのお嬢さんたちがあつまり、男性は我が輩のみ。チャーリーズエンジェルズのチャーリーみたいな立場ですな。料理は内儀の力作。いちじくとハムとズキニー。茹でエビのグレープフルーツ和え。キチン炊き込みご飯。プレゼンも美しく、みな大喜び。鎮魂酒が進み、みなあははとかきゃーあはははとか、深夜まで大笑い。とても楽しい夜でした。

モンスーンラウンジ

7日の水曜日の夜は専門家チームとモンスーンラウンジで会食。ハイヒールをはいた女性、英語を話せるスタッフ、雰囲気は高級、値段も高級。(ひとり3000円くらいかな。)料理のプレゼンも面白い。ただし味は特筆すべきものはなーんにもなし。あるいて帰宅。

前日とおなじメニューの夕食。

あさ出勤したら会社の向かいにお盆みたいなぼんぼりが出ていて、詠歌が聞こえました。45歳の若さで死んだ人の葬式だそうです。それから空港出迎え。それからホテル。そして会社。それからダウンタウンの用務先。ああ疲れた。八百屋で野菜とぶどうを買って帰宅。夕食は前日の夜総会とおなじメニュー。ああ眠い。

PTA夜総会

日曜日の夜はPTA夜総会。まず奥様がたがご来訪。かしまし娘というか、チャーリーズエンジェルズというか。それから大佐、そして与作どん。夜更けまで楽しく話しました。 メニューは野菜スティックとホムス(ひよこ豆クラッシュ)、茄子の揚げ煮、風呂吹き大根、ブロッコリゆでたまごサラダ、スモークトチキンのマスタード添え、オークランドチキン。

野菜スティック。お茶漬け。

土曜日。本来はお休みだけど、日本から天才スーパーハッカーが来るので朝から空港で迎え。お昼はホテルの食堂でチキンライス。スーパーハッカーは焼き鱒。午後はテヘランのダウンタウンの某所でセミナーのイントロ。今日は暑かったなあ。帰りの中国製バスの空調が故障していて暑かったし、とうとう途中でバスが動かなくなってしまったし。安物買いの銭失い、っちゅうやっちゃね。インドネシアも高速鉄道のことをよく考えてほしいね、 さて汗をかいて帰宅して内儀の学校関係のはなしを聞きながら野菜スティックと焼酎。それからホワイトリカーと鎮魂酒のブレンド。締めにお茶漬け。 今日は楽しいこともあったけれど、むかむかすることもあったなあ。むかむかすることっていうのは、アメリカがアフガンを例によってドローンで攻撃して、間違えて病院を攻撃してお医者さん9人と子供3人を殺したらしい、というニュース。 それをアメリカは「コラテラルダメージ」と発表。つまり巻き添えだったよ、というニュアンス。 http://www.zerohedge.com/news/2015-10-03/us-bombs-afghanistan-hospital-kills-9-civilians-injures-37-tosses-it-collateral-dama こないだアフガン人医師チームをイランに招いて結核研修したばっかりなんだ。 みんなとてもまじめで有能なドクターたちだった。みんな無事なのかなあ。 無事でいてほしいなあ。

野菜スティック。焼きシャケ。おじや。

木曜日。歩いて出勤。午前中は開梱とか整理とか家具組み立て。お昼は弁当。午後はかなりふつうに仕事。夕方ボスから召集がかかり会議室に集合したら「ハラールのビール」たら「ハラールの焼酎」たら並べてあって、ポップコーンとポテトチップス。乾杯。酔っ払って歌。踊り。イラン人にちょっとハラールアルコールがはいると楽しいねー。我が輩はハラールのツボルグとエッフェ(トルコビール)、そして麦焼酎。外は雷雨のあと小雨。 小雨のなかバルバリを買って帰宅。野菜スティック。焼きシャケとおじや。

とろとろ肉入りカレー。

水曜日。会社の引越し。旧事務所に出勤し、スタートが10時と聞いて驚愕。今日じゅうに終わるんかいな?10時ごろトラックが着いたら、止める場所を確保するのに20分かかりました。でもはじまったらアフガン人とタジク人の若い衆があつまって、とんでもない膂力で搬出作業をはじめます。ひとつの箱は25kgくらいなんだけど、(日本でもどこでもひとつのパッケージは25kg以内と労働安全衛生法で決められていて、それ以上になるとロボットとか器具とか使わなければならない)幅50cmくらい、長さ2メートルくらいの丈夫な布を床にのべて、そのうえに箱を3つくらいのせて(つまり70kgくらい)それを背中にどっこいしょとかついで階段を歩いていきます。 アフガン人と喧嘩してはいけない。 ということを思い知りました。ソ連もアメリカも、アフガン人の引越しを見ていたらわかると思う。あいつらの膂力と体力と我慢強さは普通やない。戦争しても絶対勝てん。2時間くらい水も飲まず休憩もせず働く働く働く。 さて我が輩は監督してただけですが、やはりアフガン人と思われたらしく、アフガン人にいろいろ尋ねられるたびに、「ちょっと待っててか、わかるひとに聞いてみるわ。」と関西弁で答え、そしたらアフガン人は「おや?」という顔をして我が輩がアフガン人でないことをわかってくれます。勘のええやつらや。 てなあんばいで搬出をすべて終えたのが4時ごろ。新オフィスに行って荷ほどきなど。我が輩が到着する前に内儀がクッキーとかドリンクを差し入れしてくれて、みんな喜んでくれたらしいっす。 その内儀、差し入れの帰りがけ月子に 「花子が今日はどろどろカレーにしてくれっていうから、チキン買いにいくかー。」 と言ったところ、月子が 「えっ?肉入りカレー?すっっごい豪華じゃん!」 と言ったそうな。 内儀は「肉入りっていうだけでそんなに珍しいか?豪華か?ふーん。」 と思ったそうな。 内儀のカレーはふつうさらさらの野菜カレーなので、どろどろの(といってもバーモントカレーとかふつうの日本のカレーのレシピ通りにつくったやty)肉入りカレーに娘たちが感動を隠しきれなかったのが心外らしい。 でもね、肉入りどろどろカレーはとてもうまかったよ。

コロッケ。サラダ。

月曜日。朝は焼きシャケごはん。お昼は焼きシャケ弁当。焼きシャケ最強。夕刻帰宅時に八百屋と肉屋に立ち寄り。晩御飯はコロッケとサラダ。揚げたてのコロッケはしみじみうまいなあ。

野菜天ぷら丼つゆだく。中秋の名月。

日曜日は週のはじまり。朝はチキンカツごはん。午前中に鉄屋さんと商社の来客。お昼はチキンカツ弁当。チキンカツがあんまりうまいので、ごはんを食べるのをわすれるくらいでした。午後はあっというまにすぎ、ちょっと残業してから入手したての蒸留酒をぶらさげて帰宅。家に向かう道、真東の方向で満月を発見。そういえば今日は中秋の名月。あしたはスーパームーン。蒸留酒を瓶につめかえて冷凍庫へ。夕食は野菜天ぷら丼つゆだく。

野菜炒めご飯。サラダとパン。野菜スティックと炒飯。

土曜日。朝起きたら女性3人が出発支度。月花が学校です。内儀が帰ってきてからの朝食は揚げ豆腐野菜炒め、いんげん胡麻和えとごはん。月子が帰ってきたお昼はサラダとパン。午後は家の図面アイデア描きとかムービーファイルの変換と整理。花子が帰ってきて早いめの夕食は野菜スティック。そのあと炒飯。

フェセンジャンとチキン。野菜スティックとヨーグルト。

金曜日。お休みというのに内儀と月子は朝はやく起きて金曜バザール潜入だとか。朝ごはんはバルバリとクリームチーズと紅茶。お昼前に自動車を頼んで買い物。まず八百屋で野菜とぶどう。ぶどうはそろそろ季節が終わるらしく、 「もうフィニッシュなんだよ。」とにいちゃん。 梗から落ちた屑ぶどうがあったので、「これぜんぶちょうだい。」 店の屑ぶどうをぜんぶ集めて5キロくらいになったのかな。野菜といっしょで55万リアルだから2000円くらい。 それからジャムジャメスーパーマーケットで内儀・月子と合流。水やジュースなど買って帰宅。お昼ご飯は近所のテイクアウト専門のめし屋に電話してフェセンジャンとチキン。 金曜バザールは古道具から怪しいものまでいろいろあって、月花の好きそうなファッションアイテムとかアクセサリーを買ったそうな。 食後は屑ぶどうの選別と洗浄。それをミキサーでクラッシュし、鎮魂酵母とジュースを加えてワインの仕込み。 午後は家関係のあれこれ調べものなど。そうこうするうちに日が暮れ、ぶどう汁がぽこぽこ醗酵をはじめたころに夕食。昼間のイランめしがまだ腹にたまっているような気がします。夕食はかるく野菜スティックとヨーグルト。

野菜スティックとチーズ。

月曜日。朝は焼きシャケごはん。昼は焼きシャケ弁当。脂がのった焼きシャケは弁当の黄金コースやね。午後は外出。国営自動車屋のアポの場所がおしゃれな広告代理店。イランみたいな発展した国では役所と民間の垣根がフュージョンしているところがあります。 用務がおわったら執務時間も終わっていたので直帰。直帰といってもその広告屋はうちの近所なのですぐ帰宅。あんまり早く帰宅したのでやることがなく、焼酎のオンザロック。腹が減っているのを自覚したので内儀にたのんで野菜スティックをつくってもらい、チーズをスライスし、食べ始めたらみんな集まってそれが夕食になりました。そういう日は8時前に就寝。

パキスタン風カレー(鶏カレーと豆カレーの2種類)とバルバリ。

9月19日は日曜日。ネット再開。 朝は唐揚げごはん。朝一番で来客。日本での研修のお礼とこれからの農業の話。お昼はからあげ弁当。午後はあれこれ調べものまとめごとであっという間に経過。夕刻帰宅したら誰もいなかったので、パキスタン風カレー(鶏カレーと豆カレーの2種類)とバルバリで夕食。そうこうするうちにPTA会合からみんな帰ってきました。内儀と焼酎とナッツ。

カレーライス。野菜スティック。

9月19日は土曜日。朝はやく起きてバルバリとカレーとコーヒー。 カレーは内儀が昨日のうちに作ってくれていました。 朝から窓ふき。お昼はごはんを炊いてカレーライス。 午後は読書、南里秀子「猫と人と古民家と。」なんてアホな人なんだと感嘆。猫シッターとか、飼い主が死んだ後の猫ケアーなんて事業を始める人はやっぱり過激なのだな。この人に比べたら大槻ケンジがごくふつーの人に見えますぞ。午後の残りはビデオ、内儀と買い物など。 外出すると山には雲がかかり、ときどき遠くで雷がなって妻たい風が吹きました。1600メートルの高地では秋があっという間にやってきます。 夕刻、野菜スティックと鎮魂酒。娘たちと内儀が楽しそうです。 女三人寄ったらかしましいとは愉快だね。 湯本香樹美「岸辺の旅」読了。

運動会のお弁当。おにぎり。からあげ。インゲンの牛肉巻き。ポテトサラダ。茹でブロッコリごまだれ。

9月18日は金曜日。街の西のほう、山の麓の体育館で運動会。 内儀はおにぎりと唐揚げといんげんの牛肉巻きを大量につくり、 それにポテトサラダ、ブロッコリの茹でたのにゴマだれをかけたお弁当をつくりました。 自動車が体育館について外に出ると、とても寒く感じました。 ひょっとして標高2000メートルくらいなのかな。 ラジオ体操からはじまって盛りだくさんの日程のぜんぶに花子が出場。 生徒数たった11人の学校だからしかたがありません。 イスラマバードでもそうだったけど、うちの娘たちはよくがんばってきたなあ。 午後2時ごろの閉会式のときに豪雨。後片付けがおわって外にでたら霧が流れていました。 空気がきれいで、まるで長野の原村のようでした。 帰宅してスナックとか食べました。ネットの残額がなくなったので通じず、 心安らかな夕方をすごしました。

焼きシャケごはん。きゅうりの浅漬け。

木曜日。朝はいつもどおり出勤。テレビ会議。お昼は天森ちゃんを囲んでお弁当。記念撮影。夕刻ちょっと残業して帰宅。夕食は焼きシャケごはんときゅうりの浅漬け。チレで大地震があったらしいので久しぶりにテレビニュースを見つつうとうと。

春雨野菜スープ

木曜日。午前中から仕事場で紅茶がたくさん出ました。出された紅茶を飲みきらないうちにつぎの紅茶。天森ちゃん(お茶のおばちゃん)今日は大サービスやん、と思っていたらそのうちに天森ちゃんの大立ち回りがはじまり、ペルシア語をわかるスタッフはたいへん困惑していました。天森ちゃんの最終日だったそうです。お昼は弁当。机で瞑想していたら所長が本邦から帰社。午後も天森ちゃんの大立ち回りがしばらくつづきました。夕刻に大使館。用務がおわりその足で高速道路でおろしてもらい徒歩で帰宅。高速道路の隔壁がとぎれているところがあって、家はそこから歩いて3分くらいなのでした。 帰宅したらリビングルームで月子がマハリちゃんのペルシア語レッスンを受けていました。台所で内儀とグレープフルーツを食べ、酒を飲みながら天森ちゃんの大立ち回りについて報告。夕食は春雨野菜スープ。食後すぐに寝てしまいました。

夜総会。チキンカツ。揚げアジ南蛮漬け。かりかりベーコンサラダ。ふろふき大根。肉じゃが。タコヤキ。ちらし寿司。麻婆茄子。野菜スティック。海鮮グレープフルーツ和え。などなど。

火曜日はいつもどおり出勤。お昼は弁当。夕刻さっさと退社。夜はするどいツッコミと明るい性格で我々のテヘラン生活に彩りを添えてくれたT嬢の送別会。 前菜は野菜スティック。海鮮グレープフルーツ和え。飲み物は鎮魂酒、焼酎、ぶどう焼酎など。主菜はチキンカツ。揚げアジ南蛮漬け。かりかりベーコンサラダ。ふろふき大根。肉じゃがなどなど。アッ妻からタコヤキとちらし寿司と麻婆茄子の差し入れ。 イラン人の可愛いオタクふたりも参加し、たいへんたのしい夜総会でした。 眠い。

野菜てんぷら丼。

日曜日は週のはじまり。朝は焼きシャケごはん。あれれ、どこかでバスカードを落としたみたいだ。お昼は焼きシャケ弁当。最強やね。 夕刻、高級八百屋でグレープフルーツを買って帰宅。帰宅して夕食は野菜てんぷら丼。夕食後、内儀が大発見。なんとホワイトリカーが食品庫に存在していたとは。というわkでさっそくオンザロック。内儀も「高校の部活の宴会で飲んだい(甲類)焼酎の味!」と感動。高校生のときからいったいなに飲んどってん?

冷やし細切れうどんといんげんてんぷら。ポテト細切り炒めとブロッコリサラダ。

土曜日。朝はバルバリとクリームチーズ。午前中はボール紙工作と読書「村上さんちのところ」など。お昼に自動車を頼んで八百屋、スーパーマーケットでナッツ買い、そして月子と待ち合わせ。帰宅して冷やし細切れうどんといんげんのてんぷら。うどんはローカル製なのですが、細切れにならない製品と細切れになってしまう製品の2種類があって、いまだにどちらがどちらなのかわからない。同じ製品だけどばらつきがあるということなのかな。 午後もひきつづきボール紙工作と読書「村上さんちのところ」など。途中で糊がなくなったので角の文房具屋まで散歩。夕食は軽めにポテト細切り炒めとブロッコリサラダ。

フセンジャン。チキンめし。

金曜日。北京の地下鉄で人民元の札束をドルの札束に交換する夢から目覚めたら午前5時。水を飲んで「中華喰うか」を書いてバリカンで自己散髪。シャワーを浴びて二度寝。朝ごはんはバルバリときゅうりサラダ。音楽など切り貼りしているうちに腹がへっておじや。夕刻、内儀と気晴らしの散歩がてらの買いもの。内儀の要望でテイクアウト専門食堂でフセンジャン(ざくろとくるみのソース)と骨つきチキンめしを注文し、デリバリーしてもらう事にしました。帰宅して鎮魂酒の仕込みなどしているうちにデリバリーの兄ちゃんがやってきました。とてもうまい付箋じゃん。チキンめしも超絶優秀。鎮魂酒によく合います。

チキンカツたまごとじ丼。おくらの味噌汁。

木曜日。同僚のヴァヒッド君が出勤するなり 「オレ、ハゲ始めてるみたいなんだ。」 「剃っちゃえばええじゃん。つきあうぜ。」 「嫁サンがね、スキンヘッドはいやだってんだよ。」 「ファッション、話し方、話すトーン、ぜんぶ含めてスタイルを変えればいいんだよ。オレは君のためにセクシーでダンディーなハゲになろうとしている、ってメッセージを送ったらどうかな。」 午前中は結核病院で研修修了式。到着して控え室でマフィンとコーヒー。挨拶のあと控え室でりんご。帰社して弁当。午後は調べものや報告書書きなど。 夕刻帰宅。週末なのでニッカのウィスキーの封をきってソーダ割りで内儀とごくろうさま会。ひまわりの種とかきのたねをぽりぽり。ソーダ割りは3杯でやめておいて、食事。チキンカツたまごとじ丼。名古屋の八丁味噌をつかった濃厚なおくらの味噌汁。 ソファにねっころがって、村上春樹がメール相談に答えた記録「村上さんのところ」を読み、笑いました。

チキンカツ。きゅうりとブロッコリのサラダ。

水曜日。朝は焼きシャケごはん。午前中に来客。沖縄に研修に行くお医者さんでした。お昼は焼きシャケ弁当。午後に商社マンの来客。それから農業専門家の来客。商社マンも専門家も、ものごとの本質をずばりつく発言をしてくれるのでいいなあ。いつも真剣にものごとをつきつめて考えるというのが大切なのだな、きっと。夕刻帰宅途中で内儀と月子に路上遭遇。バレーのレッスンにいくのです。鍵をもらって帰宅。留守番の花子はまだ腹へってねーとゆーので、家の図面など考えながら鎮魂酒とナッツ。そうこうするうちに内儀と月子が帰宅したので、チキンカツ、きゅうりとブロッコリサラダの夕食。

おにぎり。サッカー観戦。マルちゃんの正麺ラーメン。

火曜日。午後はサッカー観戦。テヘランのアザディスタジアムで日本対アフガン戦。おにぎりとか麦茶を持ちこみました。家を出たのが12時半。受付場所のホテルで1時半集合。ホテルを2時半ごろ出て、スタジアムについたのが3時半ごろ。会場で売り子のおっさんからサンドイッチを5万リアル(190円くらい)で買って食ったらうまかった。チキンハムとトマトとピクルスのサンドイッチでした。 試合は6-0で日本の勝利。いやーよかったなあ。それにしてもアフガン、個人芸は大したレベルなのに、ディフェンスがふにゃふにゃ。組織だった動きができないのだな。これはカルチャーなのか。アフガンは学校教育から立て直さないといけないみたいだ。アフガンが我が国みたいな教育で組織で動くことを小さいときから訓練したら、たいした国になるんじゃないか。なんて考えながらバスに揺られて帰りました。 帰宅したら夜9時ごろ。内儀がマルちゃんのマルちゃんの正麺ラーメンをつくってくれました。

野菜炒めあんかけ丼スペシャル。茹でほうれん草。大根と高野豆腐煮。

月曜日。ああ眠い。朝は大根と高野豆腐煮とごはん。お昼は弁当。夕刻さっさと退社して帰宅。帰宅したら内儀と月子はバレーのレッスンにでかけたあと。野菜炒めあんかけ、茹でほうれん草、大根と高野豆腐煮があったので、飯を炊いて野菜炒めあんかけ丼に目玉焼きをのせてスペシャル。花子とふたりで夕食。運動会の練習でおおいに疲れた花子の愚痴を聞きながら鎮魂酒。むかし夕方のテレビ番組で、こどもがおでん屋でおでんを食べながらオヤジに愚痴っているっていう番組があったよね。「おでんくん」だっけ?

エビフライ。串焼き。コロッケ。巻き寿司。鶏肉煮。唐揚げ。ウォッカ。

日曜日。朝は焼きシャケごはん。お昼は焼きシャケ弁当。夕刻さっさと退社し、5時10分に帰宅し、シャワーを浴びて着替え、自動車を呼んで大使館。移転新装なった大使館のお披露目のお呼ばれです。大使閣下ご挨拶、ペルシア音楽演奏のあと、各方面とおだやかに談笑しながらエビフライ。串焼き。コロッケ。巻き寿司。鶏肉煮。唐揚げ。ウォッカ。

バルバリ。チャーハン。お茶漬け。

土曜日。鰹節ができるなら鹿肉節もできるんちゃうかという夢から目覚め、朝ごはんはバルバリとクリームチーズと卵焼き。水出しコーヒー。お昼前に自動車を頼んで買い物と月子ピックアップ。帰宅してお昼はチャーハン。午後、サッカースタジアム。全日本代表チームがテヘランに来るので、日本人学校のこどもたちが交流会に招待され、我々親御らもくっついていったというしだいです。記念撮影のあと練習見学、そしてサイン会。帰宅したら8時半ごろ。お茶漬けを食べました。

揚げ春巻き。スモークトチキンハムサラダ。

水曜日。夜半に雷が光り、朝がた雲が西から東に流れ、おかげで涼しい朝でした。朝はごはん、お昼は弁当。夕刻退社する頃には雲が晴れて陽射しがもどりました。帰宅したら内儀と月子はバレーレッスンに出かけていて、花子とまずグレープフルーツを食べました。それから電球など交換し、シャワーを浴びてから飯を炊き、その間にサラダで鎮魂酒を飲みました。飯が炊けたので春巻きを揚げ、花子といっしょにごはんをたべていると内儀と月子が帰ってきました。食後は「深夜食堂」、そしてちくま日本文学全集「開高健」など。

朝カレーライス。夜ふろふき大根と野菜ハム炒め。

9月1日。夜半に雷雨。朝も雷とにわか雨。窓をあけたら、雨の降りはじめ特有の埃っぽい匂いがして、そのまんまやんでしまいました。おかげで涼しい1日でした。 朝はきのうのカレーとライス。やっぱり旨いなあ。お昼は弁当。夜はほかほかのふろふき大根と野菜ハム炒め。鎮魂酒はまだちょっと酸っぱいかな。

カレーライス。

8月31日。さっさと帰宅してカレーライス。発酵の終わった鎮魂酒を瓶詰め冷蔵。それからソファにねそべってヴァンサン・モンテイユ「ソ連がイスラム化する日」(中公文庫)を読んでいたらいつのまにか寝ていたので、ベッドに入って寝ました。まだ8時台でした。

親子丼。玉ねぎとじゃがいもの赤味噌汁。野菜サラダとおにぎり。

8月29日は土曜日なのに、朝だけ出勤。山の上の結核病院で研修の開校式。帰宅して親子丼。夕食は軽く、玉ねぎとじゃがいもの赤味噌汁。野菜サラダとおにぎり。司馬遼太郎の「坂の上の雲」を七巻くらいまで読了。

マレーシアのカレーヌードル

29日は金曜日。遅い朝は野菜スープとバルバリとコーヒー。早い夕方、「今日はマレーシアで買ったカレーヌードルだッ!」と意気込み、内儀がつくってくれたら味わい深いものの激辛。うえにのせたゆで卵の黄身をぼちぼち溶かしつつ食ったのでなんとか完食。娘たちにはメロンを切り、それと交代で食べたのでなんとかなったみたいですが、それにしても強にして烈。 「さすがジェーン姐姐(ちえちえ)が奨めたことはあるなあ。」 『これこれ!これ以外ダメ!』ちゅう勢いやったしね。 てなわけで、殺人レベルのカレーヌードルのパッケージ公開。  

野菜スティックとホムス

インターネットの料金を払っていなかったのでネットがとまった。払ったら通じたので溜め書き。 8月27日は木曜日。夕方5時半ごろ、前菜のつもりで家族みんなで野菜スティックにホムス(ひよこ豆ペースト)をつけて食べ、眠くなったのでみんなで崩壊爆睡。

鶏の唐揚げ。ホムス。野菜サラダ。おにぎり。野菜ソテー。

26日は水曜日。朝はふつうのご飯。ひさしぶりの出勤です。昼前にテレビ会議。お昼は弁当。午後があっという間にすぎ、夕刻八百屋にたちよっってから帰宅。家主のシーナ博士がくるのでディナーの用意。鶏の唐揚げ。ホムス(茹でひよこ豆をミキサーでクラッシュしてレモンとか塩胡椒で味をつけたもの)とスティック野菜。野菜サラダ。おにぎり。野菜ソテー。

バルバリ。お茶漬け。ふたたびバルバリ。

火曜日の続き。会社やら家主のシーナ博士からSMSがはいり対応しているうちに司馬遼太郎の「草原の記」を読了。内儀と歩いて買い物にでかけ、まだ温かいバルバリと野菜果物など調達。テヘランは陽光の痛さもやわらぎ、直射日光下でも歩けないことはないくらい涼しくなっていました。帰宅してシャワー。 司馬遼太郎は大阪外国語学校でモンゴル語を専攻したのに、モンゴルに行ったのは2回しかないそうな。モンゴル語とモンゴルを学んだうえで、日本、ロシア、中国、満州など周辺からモンゴルのことをずっと考えてきたんだろうな。 彼が学んだころの大阪外大モンゴル学科にはふしぎな熱気のようなものがあったと書いてあった(ような気がする)のだけれど、それはたぶんどこの外大でも少数言語科ならいつの時代でもあるんじゃなかろうか。ただしその熱気に感染する人数の比率は多くてクラスの1/4くらいじゃないか。我が輩はさいわいそれに感染してしまい、とても楽しい学生生活を送った。外国語の能力だけを考えればはなから留学してしまったほうがいいのだが、わざわざ日本の外大で学ぶというのはその熱気に感染するという意味があると思う。さもなければいまの日本で、中途半端な学校に行く意味がみあたらない。その熱気に感染してどうなのかというと、とにかく対象国のことなら一所懸命に勉強するようになる。ふつうの学校ではそういうことがまずなかろう。そんなことを月子に話しました。 バルバリとコーヒーのあと、やはり司馬遼太郎の「坂の上の雲」第1巻。中学生のときに読んで以来だなあ。会社の図書室に第2巻から第8巻まであったのに第1巻だけなかったから、日本で買ってきたのだ。司馬遼太郎を読むと、やっぱりなんだか自分のあたまが良くなったような気がする。夕食はお茶漬け。花子が足りないというので我が輩のお茶漬けを分け分けし、我が輩はふたたびバルバリと、さいわい爆発していなかった鎮魂酒。

カレーミー。ナシレマ。

8月24日の月曜日。かれーしゅー一家にありがとうとさようならを言い、電車で成田空港第二ターミナル。10時半のマレーシア航空でクアラルンプール。台風が来ているのにそれほど揺れることもなく無事到着したのが夕方4時半ごろ。いったん入国・荷物受け取り・通関。内儀がハラすいたというので到着フロアのMalaysian Wokという店でカレーミーを食ったら、うまくないのに量が多かった。食べた後で空港をうろうろしたら、ひとつ上の4階にマレーシア航空の客室乗務員のおねえさんたちが飯を食っている地味なフードコートがあって、そっちのほうが安くてうまそうだった。そこのソファー席で豆乳ドリンクなど飲みながら2時間ほどまったりしていると、そろそろチェックインの時刻。上の階で早いめのチェックイン。その階のシークレット・レシピという店でフルーツジュースなど。諦めきれない内儀はナシレマを注文。我輩もお流れ頂戴しましたが、それでふたたび腹いっぱいに。あれよあれよというまに搭乗時刻の午後10時15分になり、目の前をあるいている子連れの主婦の巨大な、おそらく内儀の5〜6倍はありそうな尻をみながら、あれが隣とかだったらいやだなと考えながら着席。となりはちょいデブのおやじだったので安心。機内食はもちろん断り、水だけもらって司馬遼太郎の「草原の記」を読みながらいつのまにかうとうと。8時間のフライトでしたがエコノミー症候群で死ぬのは免れました。でもマハンエアーには二度と乗らないぞ。機体は新しくてきれいだけれど、座席の間隔が狭すぎですわ。 日付変わって25日の火曜日。飛行機が午前3時40分に到着し、機内で拍手。いろいろ不自由があってもやっぱり故郷は故郷なんやろね。我が輩も拍手。内儀の機転で月子にカートをおしてもらったところ、あれこれいわれず通関はほぼフリーパス。タクシーに乗ったら5時15分。ぶじ家についたら6時15分ごろ。コーヒーをいれ、機内でもらったサンドイッチをあたためてみんなで食べました。

根菜揚げ和え。手巻き寿司。

8月23日の日曜日。内儀とふたり、柏でショッピングなどしてタワーレコードに行ったら吉川友というアイドルのライブをやっていて、キモ(デブ)オタどもと盛り上がるふりなどしてたのしみました。ほんとうはローリングストーンズのCDを買いにいったんだけれど。丸亀製麺でうどんを食っていたらライブを終えステージメイクを落とした吉川友ちゃんが歩いていた。これから別の会場に行くのだろうな。ごくろはん。 南柏駅前で買いものをして、たっちゃん宅経由でかれーしゅー宅。内儀はなすやかぼちゃやごぼうなどの野菜揚げ和えなど。かれーしゅー宅から豪華手巻き寿司。でっかいほたてを手巻き寿司にして食ったぞ。万歳。やきタコも食ったぞ万歳。缶ハイボール、アサヒの黒など。その日はかれーしゅー宅泊。さすらいというか、やさぐれやね。

じゅんこのカレーうどん。ピッツア。テキーラ。

8月22日の土曜日。朝ごはんを食べ荷物をまとめ部屋を片付けてからGGにバス停まで送ってもらい、ちょっと寂しそうなGGに月花がさようならを言って高速バス。駅の近所の山崎パンコンビニで買った大福餅を食べ、深紫のロックを聴いているうちに新宿。新宿からじゅんこの家までどうしようかと考え、ティーウォーター(茶の水)で乗り換えたら丸亀製麺でカレーうどん喰えるやん!と思いつき、ティーウォーターの丸亀製麺に着いたら行列状態で速攻諦めましたがな。巨大な大福のおかげでそんなにハラへってなかったし。じゅんこ宅について「それでな、カレーうどんがな」という話をしたら、なんとカレーをつくってくれていたらしく、カレーうどんにしてくれました。そのうまさに感激。ピッツアなどもつまんだので、夕刻にはすっかり満腹。そのうちにたっちゃん夫妻も来て、まったりと飲み会。その夜はたっちゃん宅泊。テキーラのオンザロックなど。

牛丼。おにぎり。ハム豆腐炒め。枝豆。あじ唐揚げ南蛮漬け。コンビニ自家製唐揚げ。

8月15日。朝は前日の残りのたまねぎ牛肉生姜炒めにたまごを絡めて牛丼。白おにぎりをつくってお弁当。前日までに仕入れておいた桃屋の塩辛と豚大根の缶詰でおにぎりを喰うという計画です。オカンに「元気でおってや」と言って8時3分の阪神電車で梅田。大阪駅11番ホームに着いたら8時30分。しなの9号自由席最後尾左の席。発車直前に若い女性二人連れが乗ってきて進行方向右側席に座りました。 「お嬢さんがた、そっちの席はお日さんがあたって暑いで。景色やったらこっち側やで。」とゆうたったら、英語で「私たち日本語わかりませーん。」中国人だというので中国語で「あのな、そっちの席な、お日さんがあたって暑うなるんや。こっちの席のほうが景色もええで。」っていうたったら、「謝謝。」ゆうてあとでパンダのキーホルダーをくれました。 名古屋まで景色があんまりおもしろくないので読書。カレン・フェラン「申し訳ない、御社を潰したのは私です。」例によって名古屋でいきなり満席。名古屋から6分くらいの千種で読了。ここからはヘッドフォンでチャック・リーベルを聞きながら景色を楽しんだり、居眠りをしたり。あんまり腹が減らなかったので弁当を食べないうちに塩尻到着。 塩尻で乗り換え、席にすわったらあとからあとから人が乗ってきて立つ人もいっぱいいるくらい満員。浴衣をきたカップルとかいるので、なんかあるんやろなと思っていたら案の定。アナウンスによると諏訪湖の花火大会で、上諏訪駅など臨時改札ができるのだとか。下諏訪、上諏訪でほとんどの人が降りてしまい、それからはほぼ通常のまったり状態で富士見到着。 家について弁当。BBがビールを出してくれたのでありがたく頂戴。昼寝をしていたら内儀が戻り、ジンマーさん親子と感激の対面。これからジンマーさん親子を高遠まで送るというので自動車に同乗。小一時間の山越えドライブをたのしみました。なんで高遠かというと、千葉県流山のあたりで有機農産品とか自然食販売をやっている大将が、このへんの民家を買い取ってクライアント向け宿泊施設を作ったのだとか。柏とか流山では5年前に放射性重金属が濃厚に降り積もったので、調子が悪くなるクライアントがいよいよ増え、その人たちのために格安宿舎をオープンしたそうな。それでジンマーさん親子も短い夏休みをそこで過ごしにきたというあんばいです。 ジンマーさんを送って帰り道、山

牛肉たまねぎ煮。野菜お好み焼き。

金曜日。朝は信州ざるそば。納屋からおばちゃりをひっぱりだしてブックオフ。西宮のブックオフはビジネス関連の本が多くてよろしい。立地がほぼ香櫨園なので、きっとおおきな組織で管理職をやっていたオヤジたちが退職後、香櫨園に分譲マンションとか買って隠居し、現役時代読んだ本を売っぱらうんだろうな。文庫本もきれいな本が多いので単価が高い。 お昼はサーモントラウト焼きとキャベツたまねぎ味噌汁。食後、ケアーマネージャーさんがやってきて挨拶。我が輩は外で下水掃除。鉄製の蓋がなかなか開かないので、 「最後に開けたんいつやったん?」 「顕ちゃん(オヤジのこと)が開けてくれてたなあ。」 「ほんなら、すくなくとも16年以上前やな。」 顕ちゃんは最後の何年か糖尿病で入院したりしてたから、ざっと20年間は蓋を開けていないはず。蚊取り線香を焚き、汗だらけになって 作業終了。腰が痛いがな。 シャワーを浴びて、ひとやすみしてから早い夕食の支度。ビールを飲みながら牛肉たまねぎ煮。それから野菜お好み焼き。食べ終わるころにビールの2本めを飲み終え、オカンに 「なんか買うとくもんないか?生協さん火曜日まで来えへんやろ?」 というわけでショッピングリストをもって徒歩で生協さん。ええ酔いさましになりました。

鶏の肝の生姜煮。焼きサーモントラウト。きゅうりの塩もみ生姜和え。

木曜日。曇りがちでときどきにわか雨。 朝起きたらオカンが野菜汁をつくってくれていました。 「お味噌がないねん。買うてきてか。」 「よっしゃ。わかった。」 「お肉食べたいな。」 「魚にしたほおがええんちゃうか?」 「こないだコープさんで鯖買うたら臭かった。」 「味噌と肉やな。わかった。」 「買い物に行くんやったらビバ行ってや。肉は角の肉屋さんやで。ついでに焼き鳥屋さんでキモ買うてきてか。キモたべたい。」 なるほど、オカンはどうやら精のつくもんを欲しているらしい。 ゆっくり起きたのと、オカンがゆっくり飯を食べるのにつきあっていたら昼前。昼から網戸やら扇風機の掃除。ひと仕事おわっておやつは関寿庵の葛餅、近所のひとがつくったという水羊羹、我が輩らの持ち込んだ栗最中。 居眠りをしてから買い物。角の肉屋のカウンターの向こうで爺さんががんばっていて、ちょっと見ただけで買わなあかんような気がしたからパス。昔は新甲子園市場と呼んでいたビバ!甲子園というマーケットで肉を調達。ちなみにこのビバ!甲子園という名付け親はオカンです。焼き鳥屋にいったらキモは売り切れ。 家に帰って「ビバで肉買うたで。」 「あそこの肉は硬いんやがな。」 「ほなそれであしたお好み焼き作ったるわ。焼き鳥屋のキモは売り切れてた。」  「そおか。おおきに。」 ビバに味噌もナスもレタスも魚もなかったのでふたたび外出。コープさん。ついでに鶏のキモを調達。たった106円。生姜とサーモントラウトも調達。 帰宅してまずビール。生姜を刻み、熱した油に投入。香りが立ってからきざんだキモを投入して、蓋をしてしばらく蒸しました。 「鶏のキモやで。」 「わざわざつくってくれたんか。湯通しして血抜きしたか?」 「めんどくさいからやってない。とりあえず食べてみ。」 「おいしいわ。」 ご飯をあたためつつ、サーモントラウトをフライパンで焼き、きゅうりを刻んで塩もみし、水で晒して刻み生姜とあえました。 オカンの話を聞きながらゆっくりメシを食ったら夜の9時になりました。 娘たちから「スカイプあけて」というメッセージがあったので、内儀、じゅんこ、月乃ちゃんたちと話しました。

そうめん。キャベツサラダ。かつおのたたき。ざるそば。

12日水曜日は雲が出て風が吹いて涼しい1日でした。甲子園の熱気もちょっとはさめたんとちゃうやろか。朝はオカンのリクエストでそうめん。洗濯物干しなどのあと、オカンの依頼でホームセンターへ独行。長野県がどこにあるかわからんので、「日本地図も買うてきてか。」ということで100円ショップ。100円ショップが勝手に移動していてモールのなかで迷いましたがな。なんで勝手にABCストアになってるんや? 妹のエミおばちゃんと電話でながながと喋っているあいだに、自分がスイカを食いたかったということを思い出したらしいオカンが「スイカ食べたい。野菜もんも買うてきてか。」ということで生協さん。 お昼はキャベツサラダ。「パクチードレッシング」なるものが冷蔵庫にあって、いったい何やねん?「いやちょっと試してみよ思てな。」とオカン。わけのわからんもんにとりあえず手を出す好奇心は、ボケているわけではなさそうなので、コメントせず敢えて放っておくべきか。寛大な心になって主語のないオカンの話を聞くため、キリンのクラシックラガーを開けました。ビールはやめたはずやけど、オカンの話を聞くのをやめるわけにいかんからなあ。オカンの話なんてシラフでずっと聞いてられへんしなあ。 ほいでパクチードレッシングの味は?「なんやケッタイな味やな。」ベトナムのサラダみたいで我が輩的にはオッケーなのですが、ということは一般の日本人ウケはせんやろな。 食後、帽子と靴など洗濯。ねっころがって米原万里「旅行者の朝食」を読んでいるうちに寝てしまい、起きたら夕刻。夕食はオカンのリクエストでざるそば。内儀と我が輩のお土産。やっぱり信州の生そばはうまいなあ。ジョニ赤の水割り。 ウィスキーは人を集中させる効果があるので(我が輩説)オカンのよしなしごとを「ふんふん、へーそーか。ふー。」ゆうて聞くにはいささか不適切。時系列を整理にかかったりするので、よくない。オカンの話は時系列も次空も飛びまくるから。そーゆーときは、糖分の多いビールをかーとあおって脳が糖分とアルコールでへろへろになった状態で聞くのが一番、ということに気づきました。

梅干しおにぎり。カレーうどん。カレーライス。

11日。午前4時ごろ起きて午前5時40分に出発。新大阪始発の新幹線のぞみ。電車のなかで内儀のつくってくれた梅干しおにぎり。名古屋で始発のこだまに乗り換え。今日は大石寺参詣。西山食堂でカレーうどん。花子はカレーうどんを2杯も食いました。参詣を無事に終え、大いに仏事をなし、内儀月花は富士宮から身延線で甲府経由富士見へ。我が輩はオカンとともにこだまで新大阪、乗り換えて西宮。帰宅してレトルトカレーのカレーライス。

お好み焼き。かぼちゃいんげん茹でサラダ。

月曜日である。朝はごはん。味噌汁。お昼前にオカンをつれだして皆で甲子園のダイエーに行き買い物。オカンは数年ぶりで甲子園に買い物に出たとのことで、大変喜んだ。オカンのつきあいは女性たちにまかせ、我が輩は3階のフードコートでコーヒー。この階に来るのは久しぶりだが、世間でこどもが少ないせいかこの階が静かになっておる。「申し訳ない、御社を潰したのは私です」を読んでいると、さきに月花がやってきた。花子はタコヤキを7つ食って、月子はiPodタッチを買おうかどうか悩んでいる。そのうちに買い物を終えた内儀とオカンがやってきて合流。電車で単独帰宅するオカンを駅に送り、我々は甲子園駅前の売店街をとおりぬけ、高校野球で熱くなっている甲子園球場の横を通り過ぎてららぽーとへ。 ららぽーとで女性たちがあれこれ買い物をしている、我が輩は島村楽器店でヘッドホン試聴。女性たちと合流し、まだいろいろ見たい内儀・月子と我が輩・花子の二手に分かれて帰宅。我々は高校野球でいよいよ熱くなっている甲子園球場を横を素通りし、豚肉と卵を調達して帰宅したのであった。 帰宅してシャワーを浴び、ちょっと休憩してから内儀とまた外出。宅急便発送と関寿庵である。関寿庵でオカンに頼まれた買い物をして帰宅。夕食は我が輩担当のお好み焼き。内儀担当のかぼちゃいんげん茹でサラダ。大変好評であった。

そうめん。ナスの揚げ浸し。チキン照り焼きサラダ。

8月9日は日曜日。朝は娘たちに硬くなったフランスパンでフレンチトースト、我が輩やオカンはごはん。お昼に妙言寺で御報恩講。参詣者がいっぱいいたのでびっくりしました。オカンいわく、「いつもはもっと多いんやで。」 西宮駅に寄って切符をかって帰宅。遅いお昼はそうめん。家にはそうめんの備蓄がたくさんあります。それから花子と甲子園駅前のヤマダ電機。花子は小遣いをためてiPodを買い、ご機嫌です。いいなあ。我が輩はいまだにiPod miniで、64GB化計画とか練っているというのに。夕食は再びそうめん、ナスの揚げ浸し、チキン照り焼きサラダ。夕食後、内儀のねぎらいも兼ねて近所の今津温泉。

とりどーるで一族総会

8月8日は土曜日。午前9時すぎの電車で塩尻。しなの6号に乗り換え、山紫水明をながめているうちに多治見。うとうとしていたら名古屋。月花にサンドイッチ、内儀はたこむす、我が輩は味噌カツ弁当。たこむすというのはごはんにタコヤキをのせて海苔巻きにしたもの。それにマヨネーズをたっぷりとつけて食べます。屋上屋を重ねるいかにも名古屋の食べもの。こだまにのってのんびり旅しようと思っていたら、駅が暑くてのんびりまつどころではなく、とりあえず空いていそうなのぞみに乗り、弁当を食べ終わったら京都。いささか早すぎますな。西宮からタクシーでおかんの家へ。おかんが元気そうでなにより。 水シャワーを浴びてうとうとしていたら兄貴一族の来訪。お土産大交換会。月花はトージくん(1歳8ヶ月)に会えてうれしそう。近所のとりどーるで一族総会。釜飯、からあげ、やきとりなど。おかん宅で茶。 深夜、おかん宅に保存されていた月花の生まれた時の記念ビデオをダビング。早や17年かー、と感慨深いもんがあります。

お誕生会ディナー。海鮮スパゲティー。

8月7日は金曜日。朝食はたらこ、いか煮、味噌汁、はたはた煮など。午前中に女性たち3人は髪切りに原村まで出かけました。お昼はクリームパンと紅茶。午後、原村のモデルルーム「循環の家」見学。なんと家だけで3400万円也。2階にリビングルームというのも悪くないな。今までリビングとキッチンとダイニングとお風呂は1階、寝室は2階という固定観念に縛られていたけれど、介護が必要な老人になったらベッドルームは1階のほうがなにかと便利かもしれないぞ。ダイニングとリビング、それにお風呂を2階にしたら解放的でええやん。 さてそれから前日の視察物件のおさらい。ケーキ屋さんとアグリコープに立ち寄り帰宅。午後遅くに腹がへったのでかきぴーとグランドキリン。 「あれれ、ビールやめたんじゃなかったの?」と月子。これと、プレミアムモルツの黒で最後にするから。グランドキリンのビタースイートがうまい。これがあったら、サミュエルアダムズもブルックリンビールもいらない。 夕食は月子とおフミさんの誕生会。前菜はいかの塩辛、はたはた焼き、メインは海鮮スパゲティー、野菜サラダ。デザートはそれぞれお好みで選んだケーキとコーヒー。

はたはた煮付け。えびいかグレープフルーツサラダ。その他オールスター海鮮大全総会。

木曜日。朝はまぐろ煮付け、いくら、たらこ、味噌汁ごはん、口でとろけるメロン、桃の朝食。朝から某所でカメロフ氏と会い、不動産物件の見学。内儀と自由農園でお茶と買い物のあと帰宅、午後は月花とブックオフ。夕刻雷雨の中を帰宅。夕食はSさん夫妻を招いてオールスター海鮮大全総会。

クリームコロッケ。冷奴。冬瓜とマグロ煮。

水曜日。朝は豚肉旨煮、野沢菜、味噌汁、ごはん。お昼前に内儀と農協生協で買い物。本屋に立ち寄り農業関係の本など購入。お昼はざるそば。午後は土地探訪。たまたま見つけた物件が知っている工務店の所有物件で話を聞きに立ち寄り、ついでに3件ほど見せてもらいました。夕刻帰宅してシャワーを浴びたら、花子が「本屋に連れてって」というのでまた本屋。ついでにホームセンター。帰宅して夕食。 クリームコロッケ。冷奴。冬瓜とマグロ煮。夜更けに写真整理やオーディオブックダウンロードなど。なんだか忙しいなあ。

涼しい富士見で豪華海鮮総会。

8月4日は火曜日。朝いちばんで老犬ジャックに急襲され起床。朝はかれーしゅーの旦那の高級パンとコーヒー。ほなまたを言い、旦那は仕事へ。福美ちゃんに駅まで送ってもらい、電車で新宿へ。時間があったのでヨドバシカメラで内儀にiPod、月子にイヤーフォン、家庭用ビデオなど買い求めました。嗚呼散財。高速バス車内でてんぷらおむすび、とんかつ弁当など。ぐーぐー寝ていたらあっというまに中央道双葉。コーヒーを買って飲み終わった頃に涼しい富士見。じーじが迎えに来てくれました。夕方、諏訪の角上魚類で新鮮な魚介など買い求め、夕食は豪華海鮮総会。ブラックグラウスを開け、夜更けまであれこれ語りました。

揚げ春巻き。餃子。なす。

8月3日の月曜日。愛想のいいスチュワーデスさんがたっぷりとついでくれたシーバスと、別々にもらったソーダ水を楽しみながらリアム・ニールセンのヤクザ映画を見ました。それからアベンジャーズを見て、さて寝ようと思ったら室内が明るくなり、食事が配られました。成田にあっというまに着いてしまい、ふらふらしながら入管、通関、宅急便発送。 京急の電車で乗客たちのバリエーション豊かな日本人顔をさりげなく観察しながら、日暮里。我が輩と花子は池袋のアニメート。花子はそれから柏某所で旧友とカラオケなど。内儀と月子は新宿某所でおしゃべり会。柏のかれーしゅー宅で合流したのが夕刻。 夕食は 旧ご近所旧ご学友が一堂に会してにぎやか。我が輩ははやく崩壊しました。

KLでサラワクのこーろーみー。

8月2日は日曜日。朝から荷造り。チェックアウトして荷物を預け、タクシーでパビリオンというショピングモールへ。モールの地下のフードコートでサラワクという店を見つけて狂喜し、コーローミー(香撈麺かな?)を注文。内儀と月子はナシレマ。花子はペナンラクサだったかな。それから皆でモールを徘徊し、女性たちはおもにパディーニというローカルブランでファッション物資調達。それからまたフードコートに降り、またミー。花子がコーローミー。月子はサラワクラサクに挑戦。おおいに満足してタクシーでホテル。夕刻空港に向かい、チェックインして免税店でウィスキーなど調達。ブラックグラウス、フェイマスグラウス12年もの、それからディウォーズ15年もの。定時に発進し、リアム・ネルソンのヤクザ映画を見ました。

花子の故郷探訪。伊勢丹の寿司など。

8月1日は土曜日。朝10時ごろ起床。まずは花子の故郷探訪。タクシーをジャラン・トゥン・ラザークで降り、徒歩でビスタダマ イの裏手へ。大きな樹の下で記念撮影。それから歩道橋をわたって、昔ながらのしょぼいアンパンモール。3階のフードコートでフォーと揚げ春巻き。内儀はフライド・クェイティアオ。花子は福建みー。みんなで記念撮影。地下鉄でKLCC。ひとめぐりしてからKLCCパークで花子の花を拾って記念撮影。タクシーでホテルへ。夕刻、我が輩と内儀でまたKLCC。伊勢丹で寿司やビールを買い、ホテルに戻ってみんなで夕食。久しぶりに思い出したけれど、クアラルンプールの伊勢丹のお寿司をお寿司と考えてもらったら、やっぱり誤解だよね。

飲茶。アイスカチャン。

金曜日。朝起きたら現地時間で8時過ぎ。メールなどチェックしてから内儀を起こしたのが10時前。11時過ぎにエミ・リムが迎えに来てくれて、高層コンドミニアムが林立するモント・キアラ。そこでジェーン姐姐と落ち合い、姐姐のマツダで喜粤大飯店。そこで飲茶。海老焼売、海老河粉、焼豚甘煮包子、餅米の鶏肉冬姑 煮、羅伯羹ともやし炒め、海老と白身魚のお粥、小籠包などすべておいしく、デザートの杏仁豆腐花、芒果布丁までおいしくいただきました。やっぱりマレーシアの中華は中華文化のいちばんいい部分を楽しんでいるラッキーな人々だと思いました。 聖母観音寺で観光。記念写真など撮影。それにしてもテカテカの仏像など、相変わらずの中華即物趣味はまったく奥ゆかしさとか哲学性を感じさせませんなー。そのうちに雨が降り始めたので急いでクルマに戻り、ミッドバレーショッピングセンター。内儀、エミー林、姐姐がカフェでおしゃべりしているあいだに月子花子のボディガード役で若向き店の徘徊。それからワルン(屋台、インドネシア語やん)という名前のフードコートでABC(アイス・ブブール・チャンプール、つまりかき氷に仙草やら 餡やらナタデココやら入れたもの)を月花と食べ、内儀一行と邂逅したらそうとう疲れた顔をしていたらしい。それから金舗で月子のピアスをあけてもらい、我が輩は内儀月花と別れ姐姐、エミー林とホテルに送ってもらいました。内儀月花はこれから旧友ユキさんと邂逅です。 ホテルに帰着してシャワーのあとギネス。

カレーヌードル。クアラルンプールの中華。

7月30日。剣道は上半身と下半身を別々にトレーニングしたほうがじつはいいのだ、というような夢を見ていたら窓が開けられて朝日がはいり、朝食が配られ、我が輩は水とパイナップルの切片だけ摂取しました。 飛行機がクアラルンプールにぶじ着陸し、入管、両替、荷物検査を終えてKLエクスプレスの電車に乗ってセントラル駅。前夜のピッツア以外なにも食べていない腹ペコの一行は、駅のフードコートでカレーヌードルとビーフスペシャルヌードル。内儀がひさびさのカレーヌードルで感動。娘たちもビーフスペシャルヌードルで満足。ただし「スペシャル」の内臓煮込みはちょっと抵抗があったらしく、我が輩が食べました。 久しぶりのクアラルプール。家族といっしょに来たのは12年ぶりくらいです。高層ビルがずいぶん増えました。 タクシーでホテル。ホテルでは部屋が準備できるのが午後3時というので、チェックインを終えて荷物を預け、KLCCでショッピング。ショッピング中に外が豪雨。途中、フードコートで休憩し、メロンジュースとココナッツ割りジュース。 へとへとになってホテルに帰着。我が輩はとなりの福春にビールを買いに出ました。シャワーを浴びたらエミー林(リム)とジェーンちえちえ(姐姐) から電話があり、もうホテルの前に来ているんだと。旧友たちとダウンタウンの海鮮酒家で中華。エミー林とちえちえの、英語と広東語を交えたマシンガントークを堪能。10年ぶりというのに、ふたりはあんまりふけていなかった。 いろんなところで中華の人々と知り合ったけど、マレーシアの中華民族は世界でいちばん幸せな中華じゃないかな。なにかあったら家族親族友人たちであつまって中華料理を食べたり、その中華料理がとても旨くて値段が庶民的だったり・・っていう意味で、中華文化のいちばんいいところを楽しんでいる気がする。南方の血と混血しているので彫りの深い美人も多く、豊かなところなので体格もいい。ちゃんと中国語も伝えていて、基本的な漢字は読める人が多い。しかもクアラルンプールでは祖先の福建語、広東語、そして最近は北京語も勉強している。首相の汚職糾弾デモがあるかもしれないという噂をよそに、夜の街は賑わっていて、ざっくりといえばダウンタウン全体が巨大なショッピングモール。高層ビルのあいまに昔ながらの平屋のメシ屋街があるというのもここならでわの風情です。 食

バルバリ。ほうれん草の味噌汁。

7月29日水曜日。朝はバルバリ。ぼちぼち荷物をまとめ、冷凍庫の霜取りなどしました。夕方内儀のつくってくれたほうれん草の味噌汁をみんなで食べ、夕刻6時に出発。ほぼ2時間後に空港につき、荷物検査とチェックインを終えたら午後9時になっていました。意外と混んでいたなあ。空港のフードコートでピッツアを食べた。美味くて、でっかいサイズで25万リアル(1000円くらい)というのはテヘランのうちの近所より安いくらいだぞ。時間になったのでゲートに向かい、例によって1時間以上遅れて出発。やれやれ。経済制裁解除されたらこの調子でやっていけるのかねー。 マハン航空では、飛び立つ時にシートを倒したままでも客室上部員が誰も注意しない!ま、そもそもマハン航空のエアバスの座席は前後スペースが狭す ぎ。豊かなイランでハイカロリーなイランめしを食っているイラン人はだいたいにおいて体格がいいので、これじゃあキツイでしょ、だからシートの背もたれを 倒すのは仕方ないということなのか?それともシートを倒しても倒さなくてもホンマのところ、どっちでもいいのだろうか?目かくしマスクをして寝てしまったので、機内でなにも食べず。

野菜スープ。バルバリ。

火曜日。朝はいつものように出勤。お昼は鮭弁当。午後テレビ会議。夕刻仕事を片付けて退社。帰宅して野菜スープとバルバリの軽めの夕食と鎮魂酒。食後メールを見たらマレーシア時代にお世話になったボスからなつかしいメール。彼はエスパーニャ、我輩は中国語ながら姉妹校の後輩ということでずいぶん懇意にしてもらいました。ま、我々がいま学生さんたちを招いて宴会をしているのも、その偉大なボスから受けた恩を次世代につなぐという意味があるというわけです。

イワシ唐揚げ。温泉ゆで卵醤油かけごはん。ブロッコリのサラダ。

月曜日。朝ごはんは温泉卵醤油かけごはんと牛肉セロリ炒め。いつものように出勤。お昼は卵焼きと牛肉セロリ炒め弁当。夕刻帰宅。お茶を飲んでからメロンを切って食べました。夕食はイワシ唐揚げ。片栗粉をつけて外側をばりばりに揚げたいわしをだし汁にじゅっとつけてそのまんま食べます。旨い。それを堪能してから温泉ゆで卵醤油かけごはん。旨い。ブロッコリのサラダ。旨い。食後にコーヒー。このごろ娘たちが洗いものを手伝うようになりました。

温泉ゆで卵のせ冷やしわかめうどんをわさびで食った。

日曜日。朝がた、学校のようなところでいきなり発表をさせられた夢をみました。テーマは「天然ガスで動くロータリーエンジン」とかなんとか。朝はいつものように出勤。会社について夢のことが気になったので調べてみたら、天然ガスどころか水素で動くロータリーエンジンもあるのだな。さすがマツダ。お昼は鮭といんげん胡麻和え弁当。夕刻、花子にたのまれたポテトチップス、内儀にたのまれた卵、我が輩の整腸剤メロンを買って帰宅。兄貴とスカイプをしてから、夕食は温泉ゆで卵のせ冷やしわかめうどんをわさびで食った。たいへんうまかった。

そら豆サラダ。焼きそば。がんもどき煮。鶏肉セロリトマト煮。などの残りもの。

金曜日。たいして酒も飲んでいないのに内儀は二日酔い。昼前の朝ごはんは焼きそばとカンもどき煮の残りを温めました。午後はテレビ映画など。夕刻、開高健の「輝ける闇」再読。秘蔵のブラック・グラウスを飲みながら。これはフェイマス・グラウスの上級版で、 特別な秘密の在庫なのだ。我が輩はそら豆のサラダを食う。内儀は料理の魔女だ。彼女のそら豆サラダは誰もかなわない。  アルボルズの山々に雲がかかる夕方である。 「文学は膨らましだけじゃない。三島由紀夫みたいに膨らますのだけが芸なのではなく、 開高健のように削るのもまた文学なのだ」 と谷やんに言ったのは昨晩のことか。  モスレムに改宗したくせに割礼もせず、豚玉イカのせお好み焼き豚肉と酒への未練を断ち切れない谷やんなのであった。 我が輩はブラック・グラウス、秘密の在庫をきっちり2杯飲む。 こんなハードボイルドな夕方は、岩上ユタカさんのアパートに転がり込んだ1987年以来だ。我が輩と同じ年の岩上ユタカさんは、夕刻に歩いていけるタカホー駅前のスポーツバーに出かけ、ルールのわからないアメリカンフットボールをテレビで眺めつつ、ビールやスコッチを飲んだのだった。 そんなハードボイルドな日々も遠く過ぎ去った。 岩上ユタカさんんはユダヤ系女性と結婚し、我が輩は流山の女性と結婚した。 アフガンでもイラクでも、アメリカ人がやっていることはベトナムと同じはずだ。 ウェイン大尉はジャック・ダニエルズを飲む。開高健もジャック・ダニエルズを飲む。 「夜がなくて昼ばかりだったらこの不思議の国では誰も死ぬものはあるまいに」 と開高健は書く。

夜総会。生野菜スティックとホムスのディップ。そら豆サラダ。焼きそば。がんもどき煮。焼き鮭マッシュルームソースかけ。鰯の南蛮漬け。鶏肉セロリトマト煮。牛肉薄切り炒め載せサラダ。アティカ製グラタン。ケーキ各種。

木曜日。朝はいつも通り出勤。お昼はサラダと海苔おにぎり弁当。夕刻さっさと退社。シャワーを浴びたら最初の来客。月姫のペルシア語家庭教師の美人先生と彼氏。野菜スティックを食べながらあれこれ話しているとTさん一家ご来訪、続けてマユコ、谷やん、ケイコ先生、そしてタナカさん。各位からケーキやグラタンなどお土産をいただきました。深夜まで豚肉ネタなどで語りました。

赤だしの味噌汁。揚げ豆腐。焼き鮭。ごはん。

水曜日。赤だしの味噌は名古屋人からもらったのだとか。具はたまねぎとわかめ。豆腐は揚げたての上に生姜をすりおろし、刻みねぎを載せて醤油をたらーりとかけ、熱いところをいただきます。鮭は皮がぱりぱり、中身はほかほか。肚身のゼラチンとぱりぱりの皮で舌がとろけます。いやは、日本人でよかったね。

温泉茹で卵ひやしうどん

火曜日。 それにしても変な夢だったなあ。 我が輩は谷底の土地に立っている家に住んでいて、外務省の人がそこでパーティーをやっていた。外交官のパーティーなので参加者はみなちゃんとした格好をしていて、我が輩だけがステテコにTシャツなのでちょっと恥ずかしかった。でも自分ちなんだよね。 参加者のなかにスーツを着た髪の長い女性がいて、こう言った。 「私はあなたの母上を存じ上げております。あなたにいつか滋賀県に行ってある人物にあって欲しかったと聞いております。今日は時間も車もあるので、あなたを滋賀県まで送っていくつもりでおります。」 我が輩はあのことだとすぐにわかりました。 「でもいまから滋賀県まで行ったら帰ってくるのは夜の11時をまわってしまいます。」 「そんなことはかまいません。なんなら泊まりがけでもいいのですから。」 朝はお日さんの出てる方角に群雲が出ていて、ずいぶんさわやかでした。高原に住んでいるというのを思い出します。出勤して、お昼はサンドイッチとサラダの弁当。夕刻退社して、八百屋でメロンなど買い求めて帰宅。夕食は温泉茹で卵ひやしうどん。 食後コーヒーを入れて内儀と情報交換。

揚げ高野豆腐丼。

月曜日。花子は学校が夏休みなので、久しぶりにひとりでバス停まで歩いて出勤。大通りの角の店で毎朝佇んでいた爺様の姿がみえないので、大丈夫だろうかと思いました。お昼は弁当。夕刻さっさと退社してぶどうジュースとバナナを買って帰宅。帰宅してシャワーを浴び、ぶどう酒の蒸留酒をソーダで割って飲もうとしたらそれが自家製ビールだったので、内儀とビールと柿ぴー。内儀とビールと柿ぴー。まるで「貴方と夜と音楽と」みたいだ。それからソファに寝転んで開高健「輝ける闇」を読んでいたと思ったらぐーぐー寝ていました。起こされて夕食。揚げ高野豆腐丼。これは内儀の工夫になる傑作でありまして、まず高野豆腐を鶏の胸肉みたいに味付けして唐揚げし、それを炒め野菜といっしょにあんかけにして丼にしたものです。鶏肉にしては整った立方体だな、と思ったら鶏肉じゃなかった、という趣向。楽しい。旨い。 食後、また酒を飲みながら「輝ける闇」を読了。テレビ部屋では内儀と月子が懐かしい映画「ゴースト」を観ていて、主題歌の「Unchained Melody」が聞こえてきます。生まれたばかりの月子をだっこして一所懸命に語りかける新米の父(我が輩)のBGMだった曲です。ただし我が輩のBGMはハリー・ベラフォンテ版。 さて、輝ける闇。 イラクで三馬鹿トリオ+2が拘束され、シリアでも拘束され殺され、さらに信濃毎日の現役記者が休暇を取って戦地にいって拘束され、というふうに続いているのだけれど、イラクでもシリアでもひとりの開高健も出ず、秋元啓一も出ない、なーんて昨日どこかに書いた気がする。 考えてみれば開高健がベトナムで九死に一生を得たのが1965年。そのころにはインターネットなんかなく、もちろんツイッターもフェースブックもない。 我が輩が最初の外国イラクに行った1983年だってそんなもんはなく、女に振られたのを知ったのはその手紙が書かれた3週間後だった。つまり手紙がバグダッドに届くまで3週間かかったっちゅうこっちゃね。そこをなんとか考え直してくれないか、なーんて返事がむこうに届くのにまた3週間。自分で折り合いをつけるしかない。 何が言いたいかというと、開高健は自分の体験、目前でおこったことをゆっくり熟成させて言葉を選ぶ時間がたっぷりあったということ。いまはツイッターで「屍体なう」みたいにすぐ発信できる。自分の目の前でお

野菜炊き込み御飯。野菜スープ。

日曜日。朝はゆっくり起きて味噌汁雑炊の朝ごはん。読書。開高健「輝ける闇」と「ち地中海文化の旅」の続き。お昼すぎに花子と近所の文房具屋にでかけたらしまっていました。午後アティカさんがご来訪。早い夕食は野菜炊き込み御飯と野菜スープ。夕方8時ごろから外は大嵐。

ホシュマゼ焼き。味噌汁雑炊。

土曜日。朝はすいか、メロン、パン(パラディウムモールで買ったやわらかいパン)、コーヒー。前日同僚のT氏宅でウオッカを久しぶりにストレートで楽しみ、いささか飲みすぎたことを反省。別に二日酔いとかはないものの、夜中に喉が渇いて2度ばかり起きて水を飲んだ。要するに久しぶりのハードリカーで軽い脱水症状になったんやな。これ毎日やってたら大腸に負担かかりまっせ。大腸癌の死の淵から生還した我が輩としては気をつけるべきことにこそ。 朝の読書。地中海学会編「地中海文化の旅(3)。」うーむ、こんなにたくさん地中海好きの日本人がいたとは。ほぼ変態の世界。 昼前後にひとりで地下プール。午後3時ごろ、セロリの葉っぱを使ったホシュマゼ焼き。 午後読書。司馬遼太郎「ロシアについて 北方の原型」司馬遼太郎を読むとなぜか頭がよくなったような気がするなあ。なんでやろ? 夜食に味噌汁雑炊。 最近の??? ひとつめ。 めくるめくファーストクラスの世界(Aviation Wire編集長 吉川忠行さん) http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20130318/245205/ によると、ファーストクラスではひとりでとても消化しきれないくらいの贅沢が準備されているらしい。けれど胃袋はひとつ。昨晩のウォッカじゃないけれど、本当の贅沢っていうのは何やろな?と思います。贅沢には2種類あるような気がする。ひとつはファーストクラスのラウンジと機内みたいな、他人様に見せるための贅沢。これは重複していればいるほど見栄えはいいのかもしれないけれど、誰がそのコストを負担するのか。もうひとつは自分のための贅沢。我が輩がごりごり挽いて入れるコーヒーみたいなもんかな。別にネスカフェでもええんやけどね。ちょっとした贅沢。コストは我が輩負担。 ふたつめの??? ファンド運営会社エクレクティカ・アセット・マネジメントのヒュー・ヘンドリー氏によると、中国株は最近下落しているものの長期の強気相場に入っているらしい。 ヘンドリー氏は、企業の利益率低下が反転する中で、「より長期の強気相場」に向けた材料が出そろったと指摘。「どうしてわれわれ投資家がこれを信じていないのか不思議だ」と述べた。 http://www.bloomberg.co.jp/news/

同僚宅で豪華夜総会

金曜日。朝はバルバリ、すいか、メロン、コーヒー。お昼前後にタクシーでパラディウムモールでお土産など買い物。帰宅してメロン、パン、コーヒー。夕刻、数十メートルしか離れていない同僚宅で豪華夜総会。アブソルートのウォッカ、フランスのウォッカ、フランスのワイン、料理の数々。夜更けに帰宅。

えび天ぷら。いか天ぷら。冷やしうどん。きゅうり。

木曜日。朝は鮭ごはん。いんげんの胡麻和え。卵焼き。道路がずいぶん空いているなか花子を学校に送ってから出勤。お昼は鮭といんげんの胡麻和えとたまごやき弁当。夕刻、退社して空いた道路を空いたバスで走り、バルバリを買って帰宅。夕食はえび天ぷら。いか天ぷら。冷やしうどん。きゅうり。なんでこんなに豪華かというと、食品在庫の一掃期間に突入したからです。

ホシュマゼ焼き。

水曜日。朝は味噌汁と卵焼き、ピーマンにんにく炒め、ふろふき大根。お昼は弁当。夕刻、雲がでて直射日光がマシになったなかを帰宅。帰宅したらチェナール祭り幹事マダム会の続きをやっていて、大いに盛り上がってました。楽しそうだなあ。 ゲストがお帰りになってからの夕食はホシュマゼ焼き。そのときどきの葉っぱ野菜を小麦粉たまご生地に入れてフライパンで焼き、醤油マヨネーズ唐辛子で食べるという超庶民的な、しかしとてもうまいメシです。 食後のコーヒーを楽しみながら内儀とあれこれ情報交換。マダム会で盛りあがっていたのは、「ある種の日本人が何を言いたいかを理解するのは意外と難しい」ということだったようです。 主題をまず提示してそれから理由を説明するという我々が当たり前と思っているスタイルの対極に、主題を提示せずその周りを一所懸命汗をかいて説明しているけれど、けっきょくいったい何を言いたいのかさっぱりわからん、でも本人は理解してくれない相手に対し、コイツ空気読まんやっちゃな、と思っていることがあります。こういう典型的な日本人のスタイルは我々のスタイルとぜんぜんちゃうし、日本語という以外に共通項はない、という話です。 そういえば最初アメリカにいったとき、日本人で日本語を喋っているんだけれど、いったい何を言いたいのかさっぱりわからん仕事仲間のおじさんがいて、しばらくたってから「それでポイントはなんですか?」と尋ねたら、そのおじさんが真っ赤になって「何をいまさら」と怒ったことがあったなあ。カジやんという別のおじさんにそのことを愚痴ったら、「あのおっさんはいつも肝心なポイントのまわりを一所懸命ぐるぐる回って汗かいてひとりで疲れてるんや。君が悪いんやない。」と言われて安心したことがありました。それからしばらく「何をいまさら」というのが内輪で流行したような記憶があります。 それはほとんど30年前の話なんだけれど、現代でもそういう日本人は以外といるのかもしれず、「空気読まない」なんて他人のせいにしている人の何十パーセントかはそういう人なのかもしれないと思いました。 そういえばむかし、国連で同時通訳やってたという人と話したとき、「日本人のおっさんでいったい何いうてるかさっぱりわからん人がおるよね」という話ではげしく同意したことがありました。「そういうときどうする?」って尋ねたらその女性は「全部は

P5+1核協議合意記念ディナー ふろふき大根。スズキの粗味噌汁。大根ときゅうりと人参の浅漬け。

2015年7月14日。朝はカレーお焦げライス。お昼の弁当もカレーライス。午後1時に核協議結果について発表があるというので、ソファー会議室に有志が集まってテレビを見ました。我が輩はしみじみと感動し泣きそうだったくらいなのに、イラン人同僚たちはなんとなく静かです。「心からおめでとう。」と握手を交わしましたが、30代の若いイラン人同僚が冗談半分にいわく、「経済制裁がない世の中でどう生きていっていいのかわからないんだよね。誰か教えてくれないかな。」 いやはやそのとおり。イスラム革命から35年間、ずっと経済制裁が続いて国民の過半数は経済制裁じゃなかった時代を知りません。経済制裁をくらう前は王政だったので、ようするに国民のほとんどは民主制で経済制裁をされていないという状態を知らない。 (ちなみに一瞬だけできた民主制をひっくり返して王政に戻したのがCIAのしわざでした。) 経済制裁をされていないイランを皮膚感覚で知るのはもう50代以降のおっさんおばはんや爺さん婆さんたち。しかもクソ暑い夏に断食月。これじゃあみんなが路上に出て抱き合って祝福する、っていう感じがまったくないのもわかります。 帰宅してまず内儀とワインでイランに乾杯。夕食はP5+1核協議合意記念ディナー。ふろふき大根。スズキの粗味噌汁。大根ときゅうりと人参の浅漬け。

夏野菜のゼリー寄せ。骨つき鶏肉マッシュルームソースかけ。フライドポテト。葉野菜サラダ。

日曜日。帰宅してシャワーを浴びていたらみんな学校から帰ってきました。今日は花子のお誕生ディナー。断食月なので外食を控え、内儀がつくってくれたご馳走をみんなで楽しくいただきました。夏野菜のゼリー寄せ。骨つき鶏肉マッシュルームソースかけ。フライドポテト。葉野菜サラダ。すごいね内儀がやる気になったときの瞬発力と持続力。味も素晴らしくプレゼンも美しいディナーでした。

鮭のアラ焼き。

土曜日。朝はバルバリ。お昼前に買い物。お昼は焼きそば。午後はテレビで映画とかニュースをつけたまま昼寝、読書など。最初は落合信彦「崩壊 ゴルバショフ失脚」を読みはじめ、途中で放り出しました。会話ばっかりでなんと内容の薄い本かと。川地恵理子「ナン香るイランから」は薄い本なのですぐに読了。イラン人と結婚して、旦那さんの実家で義理母たちと暮らした6ヶ月くらいの間に経験したこと、観光したところの話など。なによりも家族を優先させ、家族の幸せが自分の幸せと言い切れるイラン人に囲まれ、家族より自分のやりたいことを大切にしたいという思いが抑えられなくなった、という流れがおしまいのところで浮かび上がってきます。 夕食は鮭のアラ焼きとおこげごはん。家族みんな無言で食べ続けました。贅沢だなあ。 この場合の贅沢は、六本ギヒルズの竹やぶで蕎麦を喰うというような粋なものではなく、鮭のいちばん旨いアラの焼きたてをおかずにごはんをたべるという純粋な行為のことです。 江戸の蕎麦屋の「粋」なり、京都の湯豆腐の「上品」なり、ほんらいざっかけな食いもんのはずの蕎麦とか豆腐を、粋とか上品というキーワードを付加価値に千円以上の値段をつけ、それを有り難がるっていうのは贅沢と言わないよね。 食後、荒松雄「インドとまじわる」読みかけ。バラモン教では人生を「学生(がくしょう)期」「家住期」「林住期」「遊行(ゆぎょう)期」にわけるのだとか。我が輩はそろそろ林住期。ちょうど家を長野に移してよかったと思います。 遊行期といえば、イラン人もある日思いたって山に登って滑落とか遭難で死ぬ人がときどきいるらしい。我が輩は冬山で遊行してパンパカするのはやめておこう。 参考資料。パンパカパ~ン♪また死にました Part302 [転載禁止]©2ch.net http://hello.2ch.net/test/read.cgi/out/1435851329/l50

ラムチョップ

金曜日。朝はバルバリとクリームチーズ、そしてフレンチローストのコーヒー。月子の似顔絵を描いたりしていたらお昼。お昼は月子のつくったバナナパンケーキ。焼きたての東京バナナっていうくらいのふわふわ食感。バナナ大4本をフォークで潰し(これが我が輩に与えられた作業)牛乳でちょっとゆるめに溶かしたホットケーキミックス(イラン製)とあわせて焼くだけ。午後は読書。陳舜臣「風よ雲よ。」 夕方4時ごろ、内儀が「ラムチョップ食べよう!」というので、野菜サラダ、ポテトスライス焼き、そしてラムチョップ。我が輩がラムチョップ焼き係。うまかったけれど、台所も家族も羊臭くなりました。食後は引き続き読書。「風よ雲よ」読了。 奥書を見たら、この本は1973年に出てます。我が輩はまだ中学生で、背伸びして司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」なんて読んでいた頃だな。我が輩が最初に読んだ陳舜臣さんの本は「敦煌の旅」1976年。その頃にもっと「風よ雲よ」みたいなエンタテインメントを読んでいたら、人生が違った方向にいってたかもしれない。 陳舜臣さんは大阪外大でヒンディー語とペルシア語を学んだらしい。司馬遼太郎さんは同じころ同じ大学でモンゴル語をやっていた。やっぱり中国は周辺から眺めたほうがおもしろいと思う。

野菜ラーメン

木曜日。飛び石連休のなか日なので有休(というか自由裁量制みたいなものだけれど。)朝は花子を送って日本人学校。家に戻りあれこれ読みものをしているとお昼。内儀は花子の同学の母上とともにショッピング。ショッピングからお二人が戻ってきたので拙宅でお昼。ふわふわのパンとハムサラダ。午後は読書。椎名誠「啜れ!麺の甲子園。」 この本に、千葉県柏市の「竹やぶ」という蕎麦屋が六本ギヒルズに出した店のことが書いてあって、一人前が1260円なのに5回ほど箸を動かしたらなくなったという話。それが粋なのだろうと椎名誠はリップサービスっぽく言う。ざっかけなもんを食っているという地面感覚がこの人にはあって、安心して読んでいられます。 「竹やぶ」の柏の本店は、義母に連れて行ってもらったことがありました。その頃はどこをどう走ったのかわからなかったから、内儀といっしょに暮らしはじめた頃だったかなあ。それから二度といかないまま長野に引っ越してしまった。長野には値段の高い蕎麦屋もあれば、安い蕎麦屋もあり、家のそと蕎麦もあればウチ蕎麦あり、どれも気取ってなくてよろしい。なんで江戸で蕎麦に「粋」を求めるのかよくわからんのだが、それがうどんでもなく親子丼でもなくスパゲティでもなく蕎麦だったというのがおもしろいよね。 日本人学校の七夕の短冊には「丸亀製麺がテヘランに出店しますように」と書いた我が輩ですが、じつは日本に帰って食べたいと心から願うのが、日清やきそば。 てなあんばいで、内儀がパラディウムというモールでラムチョップを買ってきてくれたんだけれど、頭のなかはすっかり麺づくしになっていたので、夕食は野菜ラーメン。

揚げがんもどき。わかめとたまねぎの味噌汁。ごはん。

水曜日。今日はイマーム・アリーの命日でお休み。朝はほぼいつもどおり起きて花子を学校に送り、すぐに帰宅。お昼頃に歩いて買い物。iPodに音楽をうまく転送できないとおもったら、iTunesが起動できなくなってる。なんじゃこりゃ?OSとアプリの相性の問題?どうやらiOSと同期云々が出てきてからおかしいぞ。我が輩は1990年代からアップルを使っているコアなファンだが、アップルもスティーブン・ジョブズが死んでからマイクロソフト 化したのか? 夕食は内儀の手作り揚げがんもどき。わかめとたまねぎの味噌汁。ごはん。

野菜スパゲティ

火曜日。午後はテレビ会議でおおいに疲れとぼとぼ帰宅。内儀も疲れていました。夕食は野菜スパゲティ。キアヌ・リーヴスのジョン・ウィックというアクション映画を見て寝ました。

冷ややっこ。味噌おにぎり。玉ねぎとわかめの味噌汁。

月曜日。曇りときどき晴れ。ときどき晴れたときが強烈に暑くなります。花子を送ってから出勤。お昼は弁当。夕刻退社。十字路に出ているカートでねぎを買い、肉屋でたまごを買って帰宅。今日は豆腐のデリバリーが来たとのことで、夕食は冷ややっこ。味噌おにぎり。玉ねぎとわかめの味噌汁。

冷やしわかめごまうどん。野菜かき揚げてんぷら。

日曜日。雲が直射日光をさえぎってくれています。朝は花子を送ってから出勤。街全体になんとなく勤労忌避感みたいなのがただよっています。お昼は弁当。夕刻帰宅途中で、道のまんなかに出ている屋台でねぎとかにらを売っているのを見かけました。ねぎとかにらみたいな野菜とそれ以外の野菜はなんとなく区別されているみたいです。あたかも日本で野菜と果物を区別するみたいに。 帰宅して夕食は冷やしわかめごまうどんと野菜かき揚げてんぷら。

第六天鶏飯つゆだく。

土曜日。8時ごろ起きてバルバリとクリームチーズとコーヒー。午前11時ごろ内儀と買い物。八百屋でよさそうなねぎとにらがありました。すいかも買って帰宅。お昼ごはんはホシュマゼ焼き。小麦粉たまご溶きにときどきの野菜を刻み入れ焼いて、マヨネーズ醤油七味唐辛子でいただきます。これがうまいんだ。午後は散髪、映画など。夕食は第六天鶏めしつゆだく。どんどん進化する内儀の鶏めしです。

焼き鮭・ごはん。じゃがいもと玉ねぎの味噌汁。

金曜日。朝はバルバリとクリームチーズと紅茶と野菜サラダ。7時半に花子と日本人学校。花子を学校に送ってまた家に戻り、8時半に内儀と月子と我が輩の3人でまた日本人学校。授業参観の日です。1時限めが数学。担当は校長先生。先生いわく、「数学はまず見通しを立てる。それから論理的に考える。」いいねえ。花子、いい先生に出会ってよかったな。 2時限めは英語。担当の先生がルー大柴みたいにノリノリだったのがおもしろかった。3時限めは進路講演会。某商社の現法社長のお話。ダーウィンの引用「強いだけでは生きてけない。お利口なだけでも生き残れない。適応できるやつだけが生き残る」って、まるでチャンドラーじゃん。 帰宅してみんなでそうめん。午後は読書。木村泰司「名画の言い分」読了。なんだかしみじみとむかつく本だなあ。 「パリから戻っていらした日本のかたで『ルーヴルはつまらなかったけれど、オルセーはよかったわ」などというかたがいますけれど、フランス人の前ではあまりおっしゃいませんように。自分は教養がないと公言しているようなものになってしまいます。」 「フランス人の前ではぜひ『私、オルセーはあまり好きではありませんの。やはりルーヴルが最高ですわ』と見栄を張ってください。」だと。知るかハゲ。 このハゲ、学士をとったのはバークレーなんだって。ワインはよさそうだな。それからロンドンサザビーずの美術教養講座。スコッチとギネスがある。でも美術的には辺境じゃないか。だからフランスに劣等感があるのか? この本を読んでよかったのは、ヨーロッパみたいなめんどクサイところに生まれなくてよかった、日本のようにアニメみたいなポップカルチャーとアートが同等になっちゃうようなリベラルな国に生まれてよかった、と思えるところ。別にクリスチャンじゃないからキリスト教の歴史とウンチクを知らなくても恥じゃないし、ヨーロッパから遠いからギリシャ神話なんて知らなくてもいい。キューピッドと天使のちがいはわからないけれど、森永とロッテのちがいはわかる。

野菜ラーメン

木曜日。朝。快晴。前日夜9時に寝たのにいまいち晴れ晴れせず、内儀もいまいち不調。いつものように出勤。お昼は第六天チキンめし弁当。おやつはいちじく。夕刻さっさと退社して帰宅。帰宅したら今日も来客があったらしく、内儀も疲れていました。夕食は野菜ラーメン。イラン製のインスタントラーメンはいろんな在留日本人がおいしくないという評価をしているみたいですが、内儀の手で野菜ラーメンになるとふつうにうまくなりました。我が家のストライクゾーンが広いのか?それとも他の日本人が期待するレベルが違うのか?謎です。

第六天チキンめし絶品。

水曜日。気温41度くらい。お昼は弁当。午後、ゆーたろー君がオフィスに来ました。 「やー、たしかいっしょにサッカーやったよねー。あれ、ここイスラマだっけ?テヘランだよね。」ってなあんばいで再会。環境プロジェクトの担当になったのだとか。 夕刻速攻退社。道端で映画DVD、超級市場でぶどうジュースと生活用品など買って、クソ暑いなかをとぼとぼ帰宅。 帰宅したら花子のご学友と母上の来客。挨拶をしてシャワー。来客を見送り、冷蔵庫にあった豪華ケーキとかすいかとかコーヒーで一息つきました。 夕食は内儀のチキン煮込み。たっぷりセロリがはいっています。絶品。ごはんの横にのせて、その汁の染み込んだごはんがまた絶品。みんなで褒めていたら内儀、 「もっと褒めて。褒められて伸びるタイプだから。」 「こんなにおいしくつくられたら、鶏だっていまごろ第六天に昇っているにちがいない!」 というわけで、第六天チキンめしと命名。 食べおわったしりから、また食べたくなるうまさでした。

温泉卵オクラのせ冷やしうどん。きゅうりとセロリの浅漬け。

火曜日。まだ火曜日。本日の最高気温41度。朝から家族全員がバテています。朝は野菜コロッケごはん。旨い! 月花と一緒に家を出ました。日本人学校からバス停までの間、ロシア語の罵り言葉にペルシア語のカウンターパート(同じ意味の表現)があるのかな?と月子がいうので、会社で尋ねてみました。 ロシア語                ペルシア語 「きんたまより高く跳ぶことはできない」 「じゅうたんの外に足をだすことはできない」 「他人の掌のなかのちんぽこは大きく見える」「隣の鶏はダチョウみたいに見える」 「去勢豚は雌豚にのっかってから考える」「・・・」尋ねたけど忘れた。 ま、いずれにせよペルシア語のほうが上品でよろしい。下品な表現もたくさんあるけれど、ペルシアでは場所と同席者をよく見極めてからでないとつまみだされるらしい。プロトコルがはっきりしているということでしょう。 ひとつペルシア語の特徴として、男性側のおばさんが悪者にされること。つまり小姑のせいだ、っていうことでしょう。たとえば「あんたアホやろ」というかわりに、「おまえの伯母ちゃんアホやね」というのだとか。「おまえの母ちゃんデベソ」みたいなもんかな。 クソ暑いなかをとぼとぼ歩いて帰宅。途中でたまごを購入。 夕食は温泉卵オクラのせ冷やしうどん。きゅうりとセロリの浅漬け。 仕事がらアフガン人の顔写真を何十枚か見ていて、気づいたことをマトリックスにしました。「ワシが舞い降りたった」に書いておきました。 http://manhaslanded.blogspot.jp/

お焦げ炊き込みご飯。きゅうりじゃがいもサラダ。その他いろいろ。

日曜日。このごろの朝は下の管理人のおじさんに自動車を出してもらって花子の学校まで行きます。花子を学校に送りとどけ、月子とバス停まであるき、そこからそれぞれの方向のバスに乗ります。午前中は来客、お昼は弁当、午後は大使館。会社で一番くじをひいて、SBディナーカレーのルーをもらいました。やったー。 クソ暑いなか帰宅したら、内儀月子花子みんなバテていました。来客があったとのこと。(がき)んチョたちも来たようです。月子花子がんチョだったころ、んチョたちがきても平気だったのに、月子花子が娘さんになったとたん、んチョがきたら疲れるんだからおもしろいよね。それだけトシをとったということか。夕食は残りもののお焦げ炊き込みご飯。きゅうりじゃがいもサラダ。その他いろいろ。 夕食後ねっころがって「オリガ・モリソヴナの反語法」読了。何度も休みながら読みました。何度も休まないと心がもたないような、でもすぐに戻ってしまう不思議な本です。 朝の出勤のとき、月子とバス停まであるきながらこんな話をしました。 中学生くらいだったパパにとってソ連とかロシアっていうのは、とても暗いイメージだった。なぜかといえば、家にあった「リーダーズ・ダイジェスト」という本で、ソルジェニーツィンの「イワン・デニーソビッチの1日」だったか「収容所列島」だったかのあらすじを読んだから。なぜ家にリーダーズ・ダイジェストがあったのか、いま考えたらよくわからない。たぶん死んだ西宮のおじいちゃん(父のこと)は母子家庭で育ったので、父親として思春期の息子にどう接していいのかわからないので、息子が読みそうな本を目のつくところに置いたのかもしれず、それをきっかけに何か話したかったのかもしれない。 月子はこういいました。ロシアに行ってみたいなあ。

ホシュマゼ焼き。卵焼き。味噌汁。ごはん。きゅうりと人参の浅漬け。

土曜日。朝はバルバリとタイカレー。お昼に買い物。帰ってからのお昼は野菜を入れた卵入り小麦粉焼きをマヨネーズと醤油と七味で食べるという単純な料理です。いわばお好み焼きのうすっぺらいやつですが、名前の候補がいろいろ。いわく、ペルシア語でおいしいという意味のホシュマゼ焼き。花子がツンデレなのでツンデレ焼き。あるいは単純にテヘラン焼き。ま、なんでもよろしい。そのうちに定着するでしょう。午後は読書。米田万里さんの「オリガ・モリソヴナの反語法」、杉山経昌というおじさんの「農で起業する!脱サラ農業のススメ」この2冊のぜんぜん傾向の異なる本と居眠りをとっかえひっかえ。 夕食は卵焼きのせごはんと味噌汁。そしてきゅうりと人参の浅漬け。たまねぎとジャガイモの味噌汁をごはんにぶっかけて頂きました。

焼き鮭ご飯。味噌汁。

金曜日。朝はバルバリ、クリームチーズ、コーヒー。お昼はインスタントマカロニ。調理法に水500cc、油200cc、ミルク250ccで煮る、とあったので当然オイルはパスし、ミルクをお湯に投入しようとしたら、こないだまでたしかに牛乳だったのにヨーグルトになっていました。カスピ海ヨーグルトかな?なーんてね。味見したらふつうのヨーグルトなので、そのまんま使用。ちょっと酸味のある旨いマカロニになりました。花子の切ってくれたすいかなどつまみながら、「負うた子に教えられ、てか。」なんてぶつぶつ。兄貴からスカイプ。夕食は焼き鮭ご飯。味噌汁。 フランスで化学工場が襲撃されたり、チュニジアのリゾートビーチが襲撃されたり、クエートのシーアモスクが爆破されたり、事件がてんこもりの日でした。こんな日はNHKに限るぜ、なーんていいながらNHKテレビをみたら大当たり。ふんどしデブがジンガイを案内して四国参りをしていたり、浜離宮の茶店の宣伝をしているぜと思ってみていたら、スーツ姿のオカマが天気予報をはじめました。NHKワールドさん完全に我が道をいってます。

タイカレー。タイ風ビーフンサラダ。貴重なスコッチ。

木曜日。朝は花子を送ってから出勤。お昼は鮭弁当。夕刻、冷蔵庫が運び込まれるなかさっさと退社しすいかを買って帰宅。シャワーを浴びて着替え、みんなで手分けして料理をもってPTA会長宅へ。チェーナール祭りの打ち上げです。PTA会長は武官なので、本物のビールや本物の大吟醸や本物のシャンペンや貴重もののスコッチを頂きながら、タイカレーやタイ風ビーフンサラダなど頂戴しました。うまかったなあ。あんまり美味しかったので、夏に一時帰国して日本でなにを食ってなにを飲んだらいいのかわからなくなったくらい充足しました。

やきそば

水曜日。朝は月子花子といっしょに家をでました。お昼は弁当。夕刻さっさと退社してバルバリを買って帰宅。夕食はやきそば。食後、「ねじまき鳥クロニクル」第3巻を読了。

野菜チャーハンスペシャル

火曜日。朝ごはんのとき買い物リストをもらいました。月子の調子が戻ったので花子、我が輩と3人で早いめに出発。花子を学校に送り届け、月子とバス停まで歩き、我が輩はダウンタウン、月子はアップタウンへ。お昼はカレーとサラダ弁当。夕刻、しごとを終えて会社の図書室で村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」第2巻を発見。いくらさがしてもないと思っていたのですが、文庫本じゃなくて単行本でありました。やっほー!というわけで気分よく、とちゅうで頼まれた買い物をして帰宅。夕食は野菜チャーハンスペシャル。 外国で暮らして働いていていいところは、たとえば「ねじまき鳥クロニクル」の第2巻がほしくなっても、もし会社の図書室にも学校の図書館にもなければ、がまんするしかないところです。そんなわけで我が輩のアマゾンの欲しいものリストはかなりいろいろ詰まって長くなっているはずですが、実はそうでもありません。リストが長くなると、吟味して削除するのです。外国で暮らして働いていていいところは、アマゾンの欲しいものリストが発注されないうちにどんどん削除されてしまうこと。それはしかし、決して我が輩の欲望が減ったわけではなく、たんに我慢せざるを得ないから我慢するうちに慣れてしまうということです。

パスタ入りトマト玉ねぎセロリスープ。バルバリ。

月曜日。夏至の翌日、夏の第2日め。これから日が短くなるといっても、太陽の昇る場所が4日に1度くらいしか変わらないので、あんまり変化なし。朝は花子とふたりで出発。いつものように出社。お昼は弁当。午後、大使館から来客。夕刻、さっさと退社。帰路、いつもの八百屋でチェリーとすいかを買って帰宅。シャワーを浴びてちょっとだけうとうとして軽めの夕食。パスタ入りトマト玉ねぎセロリスープ。バルバリ。 食後テレビでRTとプレステレビをみていたら、パキスタンでは暑さで200人が死んだんだとか。首都イスラマバードでも夏の盛りに1日16時間くらい停電していたかなあ。パンジャビのラホールではもっと通電時間が短かったし、カラチはなおさらだろうな。そして断食月。パキスタンのモスレムはまじめに守るやつが多いんだろうな。それに比べたらテヘランは停電がなくて、リゾートみたいなもんやね。

親子丼。

日曜日。夏至。今日から公式に夏になります。冬至にすいかを食べたり、夜更けに年寄りの話をおとなしく聞いたり、という風習をもつイラン人も、クソ暑いせいか夏至は特段なにもしません。おとなしく出勤。お昼は弁当。 夕刻、某ルートで特別に手に入れた葡萄酒の蒸留酒のデリバリーがありました。蒸留酒が1.5リットルということは、原料となる葡萄酒は15リットル。15リットルをぶどうジュースで作ろうと思ったら、75万リアル(2850円)かかります。本日入手した蒸留酒はそれを考えたらお得です。 蒸留酒のキャップを開けて匂いを嗅いでみたら、ちょっと刺激がありました。米田万里さんの本に、グルジアかどっかでつくったどうしようもないウォッカを黒パンの耳で濾過したら極上ウォッカになったという話を思い出し、帰路に黒パンを買いました。 思い出した。帰路バス停で午後5時の西日の直射日光を受けたとき、暑いというより痛かったなあ。 帰宅して黒パンを切り、フライパンでぱりぱりに焦がして手でつぶしてコーヒーフィルターに詰め、ぶどう蒸留酒を濾過しました。ビフォーとアフターを飲み比べてみたら、あら不思議。とげとげしさが消えてマイルドになりました。蒸留酒をたっぷり吸った黒パン粉は、鶏肉でも漬け込んでおきましょうか。 夕食は親子丼。このごろ内儀と花子と月子がガールズトークで盛り上がっています。今日は父の日とやらで、夕食時に「パパにありがとうって思うこと」をそれぞれ発表してくれました。我が輩も「ずいぶん楽しませてくれてありがとう。」と言いました。

冷やしうどん+きゅうりわかめ+温泉たまご

土曜日。月子が登校するのでふつうにおきましたが、バルバリの朝食のあと塩野七生さんの「男たちの肖像」を読みはじめ、あっというまに読了。めんどくさそうなおばちゃんだけど「我が友マキャベッリ」がよかったからなあ。男をセクシーさで評価するのはまだいいとして、家柄とか育ちが違うっていわれてもどうしようもない。最古の腐女子やからしょうがないね。1937年生まれなので、我が輩の「ワシが舞い降りたった」によると、島国根性世代。その反動からイタリアまで飛んでいってしまった人。 お昼前に内儀、花子、我が輩の3人で外出し、慎重に日陰を選んで歩き、ジャムジャメ超級市場で月子と合流。お買い物をして、やはり慎重に日陰を選びつつ歩いていると、なんと前を歩いている3人組が缶ジュースを飲んでいるじゃないか! 仮にもいまはラマザン(断食月)ですぞ。しかも白昼の路上である。 「外国人かな?」「ペルシア語喋ってるよ。」「クリスチャンかな?」 てな会話をうちわでしているうちに、そこらへんのビルにはいっていきました。我が輩も喉が渇いたので、人が見ていないうちに買っておいた500mlペットボトルから水をひと口。それを花子に咎められました。ええねや。イスラムっちゅうのは他人が見てるときだけ取り繕ったらええねんから。アッラーはアラブ人の氏神さんやねんで。山紫水明の日本の神々とはぜんぜんちゃう。 途中で八百屋にたちよりすいかを購入。ひーふーいいながら抱えて帰り、帰宅してシャワー。お昼はお好み焼きみたいなナントカ焼き。それから村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」第1巻読了。読みはじめてから、いつかどっかで読んだことがあるような気がしましたが、そのうち気にならなくなった。村上春樹さんは我が輩にとって、レイモンド・チャンドラーがいきていて、日本語でちょっと不思議な小説を書いてくれているという存在なんだけど、唯一のちがいとして、チャンドラーのミステリーは何度読んでもはじめて読んだ気になるんだけど、村上さんのほうははじめて読むはずなのに、いつかどっかで読んだような気がすることかな。 夕食は冷やしうどん+きゅうりわかめ+温泉たまご。うちの内儀、もう温泉たまごづくりにかけてはプロですわ。いやほんま。

炒飯スペシャル

金曜日。前日の夜は酒井順子さんの「煩悩カフェ」を寝床で読みつつそのまま寝てしまったらしく、目覚めたら本はたんすの上にありました。カーテンを開け、水を飲み、すいかを切り、さて前夜と同じくポテトフライにするか、それともジャガイモたまねぎ炒めにするかと考えながらコーヒーとシナモン紅茶を入れたら腰がヤバくなってきたので、そのまんまソファーに横たわって「煩悩カフェ」のつづきを読んでいたら内儀が起きてきました。 遅い朝ご飯はすいか、ポテトフライ、バルバリ、クリームチーズ、コーヒー。 昼過ぎにすいかを買いに出ました。かんかん照りの下、日陰木陰を慎重に選びつついつもの八百屋にいったらおやすみ。ラマザン(断食月)の金曜日のお昼やからね。しかたがないのでその斜め向かいのめったに行かない八百屋ですいかを買いました。とはいえ値段はどちらの八百屋で買っても、ほとんどいっしょ。7〜8kgくらいのすいかが15万リアル(570円)くらい。この値段だと家にすいかモンスターがいても平気です。ちなみにテヘランですいかは冬至の日まで売っています。でっかい国やからね。 慎重に日陰木陰を選びつつ帰宅。この乾燥した高温の夏と、冬に雪を抱く3000〜5000メートルの山々、そしてゆたかな地下水脈が、ぶどうとかすいかとか旨い果物を作りだしすんだよな、などど考えました。帰宅してシャワーを浴び、司馬遼太郎の「街道をゆく7」を読みふけりました。伊賀・甲賀、大和・壺阪、明石海峡と淡路、砂鉄のみちなど我が輩の故郷をはじめ西日本の近所が中心なのであれこれ想像しながら読了。「千二百 貫の鉄を得るのに四千貫の木炭を使った。四千貫の木炭といえば、ひと山をまる裸にするまで木を伐らねばならない。木炭四千貫といっても、江戸時代のやり方ならわずか三昼夜でつかってしまうのである。」というところで霊感。 そうか。古代は緑の沃野だったシラーズが石灰岩まるだしの奇岩山と砂漠になってしまったのは、神殿建設に必要な木材と石材、その石材加工に必要な鉄器、その鉄を溶かしだすための燃料としての木材伐採にあったのかもしれない。植林しなかったのかもしれないし、植林しても根が地下水脈に届くまで育たなかったかもしれない。若芽を遊牧のヤギに食べ尽くされたのかもしれない。でも近代的な技術をもってすれば、また緑の沃野に短期間でもどすことができるんではなかろうか、

バルバリ。野菜サラダ。ポテトフライ。

木曜日。ラマダン(断食月)第1日め。朝はスムーズに出勤。バス停をおりたところで、ばるばりを10枚くらい抱えてあるいている若いもんを見かけました。オフィスにつくと、外で飲み食いできないせいか、スタッフはみんなでフルーツとかクッキーをつまんでお茶をしていました。お昼も同様。我輩は会議室かどっかにひっこんで弁当を食べようかと考えていましたが、テヘランではそんな気遣いもいらなさそうです。定時でさっさと退社して、帰路焼きたてのバルバリ(まだ日が高いのにちゃんと売ってるやん)と野菜を買って帰宅。内儀が「どんなごはんの気分?」とたずねるので、「バルバリとトマトの野菜サラダとポテトフライ!」とお願いしたら、そのとおりの晩ご飯をつくってくれました。

メヒどん。

水曜日。朝はちょっと早く出たので快適に出社。朝一番で外務省西アジア局。外務省は上品でスマートやね。お昼はおにぎり弁当。午後はとつぜんはいった広報のネタ集め仕事。夕刻さっさと退社。冷房バスが7台つづけて来ました。なんでや?帰りに肉屋でたまごを買って帰宅。 夕食はなんと表現したらいいのか。トルティーヤの具をごはんに載せた丼。名付けてメヒコ丼。縮めてメヒどん。意外とうまかったですぞ。

野菜天ぷら冷やしうどん

火曜日。朝いつもより5分ばかり遅くなったら、来るバスが3台つづけてヒゲおやじ満載で見送り、オフィスに到着したら定刻ぎりぎりでした。お昼は弁当。夕刻さっさと退社してすいかとチェリーを買って帰りました。前日もおなじパターンですが、うちにはすいかモンスターとチェリーモンスターがいるからねー。夕食は野菜天ぷら冷やしうどん。

鶏唐揚げサラダ。バルバリ。きゅうり塩もみ生姜風味。なす揚げ浸し。

月曜日。月子の元気がないので我が輩ひとりで花子を送ってから出勤。お昼は弁当。夕刻さっさと退社。帰路チェリーとすいかを買いました。シャワーを浴びているあいだに花子がすいか1/4を略取。すいかモンスターですな。夕食は鶏唐揚げサラダ。バルバリ。きゅうり塩もみ生姜風味。なす揚げ浸し。

温泉卵冷やしうどん

日曜日。朝はひさしぶりにひとりで出勤。午前中は用務で税関。帰社してお昼は内儀のサンドイッチ。午後は議事録翻訳など。夕刻さっさと退社。あと1週間で夏至。本日の予想最高気温は摂氏38度。日陰を歩いているぶんにはいいのですが、日向に出るといきなり消耗します。なつかしいゲームDOOM2で放射能汚染地域にはいったら生体エネルギー残量が急激に低下する、あの感じです。帰宅途中でぶどうジュースとたまごを購入。夕食は温泉卵冷やしうどん。今日の温泉卵は大成功です。おめでとう!と、鎮魂酒を切らしたので本物ワインで乾杯。うどんにはオクラものっていて、ネバネバ感が甚だ宜しい。「俺、キミのつくるご飯好きだなあ。」と告ってしまいました。

野菜天ぷら丼。

土曜日。前日のチェナール祭で家族全員へとへとに疲れたので、月子も学校をサボりました。我が輩は午前11時まえまで眠りこけました。朝ご飯は餅ピッツア。前日のお祭りで餅つきデモンストレーションに使った餅を内儀がもらってきたのでした。手さし水にミネラルウォーターじゃなくて水道水を使ったということで、みんな遠慮したのかな。ちなみにイランでは水道水を飲むことができます。ただしカルシウム分が多いので、結石になりやすいだけの話。今年の水は地下水じゃなくてダム水らしく、例年より柔らかいみたいです。ミネラルウォーターじゃないことをぜんぜん気にしない我が家は餅をもらって大喜び。 午後はコーヒーを入れたり、写真整理、そして寝転び読書。村上春樹さんの「1973年のピンボール」読了。 1980年に出たこの小説、今読むと主人公たちはチェインスモーカーで、吸い殻をどこにでも捨てるし、アル中で飲酒運転をふつうにやっているし、重金属を使った配電盤を貯水場に投げ捨てるなど、からだにも環境にも悪い反社会的なことを平気でやっています。女性たちは男たちとすぐに寝るし、そんなんありかと思いませんか。 我が輩にとって村上春樹は、亡きレイモンド・チャンドラーが生きていて、探偵小説じゃないちょっと不思議な小説を日本語で書いてくれているという存在です。その本家レイモンド・チャンドラーのシリーズを読むと、やはり主人公のフィリップ・マーロウは女とすぐに寝るし、チェインスモーカーだし、いつもウィスキーを飲んで運転している。何度か読んでいると気にならなくなるけれど、はじめの何回かはモク中アル中飲酒運転性感染症がとても気になります。 「1973年のピンボール」に戻ると、文庫本にしてこのたったの4行が小説を凝縮しています。 「僕たちはもう一度黙り込んだ。僕たちが共有しているものは、ずっと昔に死んでしまった時間の断片にすぎなかった。それでもその暖かい想いの幾らかは、古い光のように僕の心の中を今も彷徨いつづけていた。そして死が僕を捉え、再び無の坩堝に放り込むまでの束の間の時を、僕はその光とともに歩むだろう。」 団塊の世代じゃなくても、若い男性がかならず持っているやり場のない苛立ち、つきあう女性がいても解消されない将来への不安、何も持っていない、何もできない苛立ちみたいなものが書かれていて、村上さんより10歳年下の我

餅。シーザーサラダ。野菜ペンネ。フライドポテト。

金曜日。午前7時前後に起き、日本から持ち込んだ南米豆ブレンド、エスファハンで買ったインド豆とフレンチローストの3種類のコーヒーをつくり、アイスコーヒーにしました。朝ご飯はバルバリとチーズとフレンチローストのコーヒー。残りのコーヒーはフレーバーごとに1.5リットルのペットボトルに詰めました。内儀がつくってくれたシャケおにぎりと味噌おにぎりをカバンに入れ、冷凍庫で凍らせていうたチューペットも保冷バッグにいれ、重くなった荷物をもって家族4人で10時20分に出発。 テヘラン日本人学校主催のチェナール祭りです。 我が輩たちはPTA幹事なのであれこれ仕事があります。花子は生徒で机移動など仕事があり、月子もゲーム担当になっています。 歩いてアフリカ通りに出て、日陰をえらびながら坂道を何ブロックか登り、スーパーマーケットで紙コップと水とジュースと塩ヨーグルトドリンクを買いました。タクシーに乗り日本人学校へ。 早くから来てくれている人々にアイスコーヒーとクッキーを出し、お昼までに餅つき準備などできることを終え、機材にへばりついた餅の切れ端など試食し、涼しい教室でおにぎり弁当。 午後2時半の開場までにペルシア語アナウンス担当のサーベル先生とリハーサルを終え、定刻どおり開場。我が輩は日本語の司会担当ですが、NHKふるさとの歌祭りの宮田輝さんも降臨せず、トニー谷も降臨せず、関西弁の浜村淳も降臨しなかったので、ふつうに司会をやりました。そのせいかその1日で半年分くらいのまじめさを使い切ってしまったような気分になりました。 午後6時に無事閉会し、6時45分にざっと片付けを終え、解散。 我が輩たちは徒歩でバリ・アスール大通りまで出てバスにのり、坂道を駆け上がってメラット公園駅で降り、そこのモールのレストラン「コローブ」で夕食。シーザーサラダ、フライドポテト、娘たちはハンバーガーをシェア、我が輩と内儀は野菜ペンネをシェアしました。ドリンクは 塩ヨーグルトドリンク、レモンスカッシュ、搾りたてオレンジジュースなど。 その時だったかその前だったか忘れましたが、内儀がこんなことを言いました。 「エスファハンのコーヒー屋、ゲイだと思わない?」 「そうかもしれないな。ゲーハーだったし。」と、我が輩。 「おしゃべりなところと、フィリピン人が猿の脳みそを食べるのが許せなかったから店を

チキンカツ。野菜サラダ。

水曜日。朝はいつものとおり出勤。月子、花子、我が輩の3人でアフリカ通りまで歩き、そこでタクシーを捕まえ、ゴバディエン通りまで乗り、3万か4万リアルを支払い、ありがとうと神が共にあれと言ってタクシーを降り、日本人学校まで歩きます。職員室の先生がたに挨拶し、校長室の校長先生に挨拶し、事務局の事務局長さんに挨拶します。花子は事務局の前にある水槽の金魚に餌をあげることもあります。花子が階段をあがって教室に行くのを見送り、月子と我が輩は道路に出てヴァリアスール通りまで歩き、そこで我が輩は南行き、月子は北行きのバスに乗ります。我が輩は2両連結の冷房が効いたバスを待ちます。 午前中は報告書の添削、お昼は弁当のサンドイッチ、午後はテレビ会議記録。夕刻、ぶどうジュースとすいかを買って帰宅。夕食はチキンカツと野菜サラダ。暑くて消耗したのか、左足の踵が痛く、それをかばった右足が音をあげたのか、大いに疲れたので8時頃に寝ました。翌日の午前2時に目が覚め、村上春樹の「1973年のピーンボール」を半分読み、グラスに水を入れて飲みました。

バルバリ。野菜サラダ。

火曜日。朝はいつものように出勤。まず花子を学校に送り、月子とあれこれ話しながらバス停へ。午前中は報告書執筆、お昼は弁当、午後はテレビ会議。あっという間に1日がおわり、帰路さくらんぼと熱々のバルバリ(巨大な草履型パン)を買って帰宅。 内儀の発案で、夕食はまだ温かいバルバリと野菜サラダ。我が輩と内儀は鎮魂酒。

親子丼。野菜サラダ。

月曜日。なんとなく道路が空いています。やっぱりみんな4連休の前後に休むんだろうなイランでは。お昼は弁当。夕刻、ぶどうジュースとメロンを買って帰宅。夕食は内儀ががんばって作ってくれた親子丼と野菜サラダでした。

ペパロニのピッツア。フレンチフライ。シーザーサラダ。

日曜日。夢のなかで人間はフィクションがなければ生きていけないと考えていました。朝はいつものように食事をして花子を学校まで送ってから出勤。途中、ペルシア人が世界征服したら週休3日制になるんじゃないか、なーんて考えていました。お昼は弁当。半期の報告書書きを終え、夕刻気温35度のクソ暑いなかをさっさと退社。バス通りまで歩いたところで愛する内儀から電話。夕ご飯と野菜と卵を買ってきてほしいとのこと。バスは冷房車を選んで乗り、いつもより手前のバス停で降りて気楽なレストランでペパロニのピッツア、フレンチフライ、シーザーサラダをテイクアウトで注文。できるまでの間に近所で野菜と卵の買い物。タクシーで家の近くまで行ってもらい帰宅。帰宅したら内儀が寝ていました。カモシカのような脚を挫いたんだと。あら大変。しかしエスファハンで挫いたわけではなく、今週末に学校であるはずのイベント中に挫いたわけでもなし、「グッドタイミングやん」と励ましたら内儀は複雑な表情でした。みんなで早いめの食事をして、内儀にはさっさと寝てもらいました。久しぶりの洗いもので腰が痛くなりました。ヤバイな。トシには勝てないぜ。(吾妻光良とスインギンバッパーズ)

焼きシャケご飯。

土曜日。午前11時まえに起床。エスファハンのバザールで買ったフレンチローストのコーヒー豆を挽き、玉ねぎとジャガイモを刻んで炒め、冷凍しておいたバルバリを焼き、シナモン紅茶をいれてみなを起こしました。食事のあと、内儀は洗濯、我が輩はエスファハンの土産やら荷物やら写真の整理。花子は揺れるミナレットのプラモづくり。月子はたぶん宿題かな。家族揃って1日じゅう引きこもり、下のプールにもいかず。 夕食は焼きシャケご飯。鎮魂酒。玉ねぎじゃがいもの残り。 「しみじみ旨いなあ。イラン飯もいいけれど、えびケバーブもいいけれど、やっぱりシャケめしやね。死ぬ前にブリの照り焼きと焼きサーモン、どっちかって言われたらどうする?」 「わたしはシャケ。ぜったい。死ぬまえに蕎麦かソーメンかって言われたら?」 「日寛上人は江戸っ子だから蕎麦だったけど、ワシはソーメンかなあ。死ぬのが3日まえにわかったら、両方喰う。うどんも喰う。」 さて音楽にウルサい向きにひとこと。我が輩はエスファハンの一連の投稿で、「デューク・エリントンの名曲イスファハン」と書いておりますが、これはじつはビリー・ストレイホーンの作曲だったかもしれない。女たらしだったデューク・エリントンと、ゲイだったビリー・ストレイホーンはコンビを組んで、どっちがどっちだかわからないくらい名曲の数々を作りました。イスファハンもそのうちの1曲。この二人はいわゆる「エリントン学派」といわれていて、不可分になっています。だから我が輩も便宜上デューク・エリントンと書きましたが、ひょっとしてビリー・ストレイホーンだったかもしれない。大昔に手に入れた楽譜にはビリー・ストレイホーンとあったような気もする。 ふう。やっと一連の投稿を終えました。おやすみなさい。明日から仕事だ。イラン人が世界を制覇したら、きっと週休3日制を広めてくれるだろうな。

エスファハン第3日め その6 テヘラン帰還

イマーム広場で空が暗くなり、かなり近くで雷がなりました。早い目にきてくれたバンに乗り込んで一路空港へ。とちゅうばらばらと雨が降りましたが、バンのフロントグラスを汚しただけで雨は止みました。空港で定刻10時05分にイランエアが出発するのを確認し、またの再会を約してみきさんとお別れしました。とても楽しかったなあ。 飛行機は30分遅れで出発。我が輩は家族も含めて、いままで奇跡といっていいくらい飛行機の運がよく、シラーズの旅でもほぼ定刻、エスファハンの帰りはたったの30分遅れです。ただしこれにはオチがあって、イランエアのエスファハン・テヘラン便は出発が22時05分、到着が23時25分となっています。エスファハン・テヘラン間という短い距離なのに、飛行時間がなんで1時間20分なのだ?と思ったら、スケジュール自体がサバを読んでいたのでした。じっさいの飛行時間は40分。飛行機はフォッカーF100、双発エンジンが胴体の後ろについているやつです。 ロールスロイスのエンジンがしゅるしゅると回り、うとうとしているとあっというまにテヘラン。スムーズにタクシーをつかまえて夜半近くの道路をすいすい走り、家についたら12時前でした。無事でよかった。コーヒー豆を冷凍庫にいれました。

エスファハン第3日め その5 カフェでお茶。静かなる中国人ご一行の話。コーヒー豆お買い上げ。

アリガプの階段を降り、また広場を横切ってお向かいのバザールのどんづまりのカフェへ。ウィリアム・ギャリソンっぽいハーモニカのBGMが流れるお洒落で静かなカフェ。  コーヒーなど頼み、まったりしていると中国人のおっさんおばはん6名様ご一行が来訪。でっかい望遠レンズをつけたニコンのカメラをもっている人たちです。その望遠レンズくらい態度がでっかくなるのだろうなと、我が輩も内儀もみきさんも(ーー;) ウ。しかし驚いたことに、店内は静かなままです。さりげなくご一行のほうを見ると、(゜o゜)なんとみなスマートフォンをいじっています。そこで一句。 スマートフォン 中国人を 黙らせる 数分して一行がスマートフォンをいじり終わると、北京語に広東語が入った会話が聞こえてきました。しかしみなさん落ち着いたおトシのせいか、それとも中華もペルシアもおたがい五千年の歴史をもつという遠慮のせいか、店内はそれほどうるさくならず、我々は微笑とともに店をあとにしました。 それから我々はバザールのなかで、コーヒー屋をみつけてコーヒー豆を買いました。お兄ちゃんいわく、「フィリッピンでカフェーやってたんだけどサ、やつら猿の脳みそを食べるんだよね。それでフィリッピンがいやになっちゃってサ」なーんて話してくれます。にいちゃんがおもしろいし、コーヒーの香りがよかったし、試飲もさせてくれたし、決して高くなかったのでフレンチローストを500グラム、インド産の豆を500グラムお買い上げ。 それからイマーム広場で馬車に乗ったりして遊び、3日めの夕闇は静かに深まってゆくのでありました。

エスファハン第3日め その4 イマームのモスクで昼寝。アリガプ宮殿で階段登り降り。

食事のあとバンでイマーム広場。BGMはデューク・エリントンのエスファハンにひきつづき、キング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」と、同じアルバムの「21世紀の精神異常の男」が加わりました。なんでかっていうと、イマーム広場にはアリー・ガプという宮殿があって、宮殿 =>クリムゾンキング、そしてアルバムリピードモードで =>21世紀の精神異常の男、というあんばいです。リピートモードだけれど途中の曲「風に語りて」や「ムーンチャイルド」はなぜかスキップ。 脳内で3曲をリピートさせながら、暑い日差しのなか広場を横切ってイマームのモスクへ。薄暗いなかにじゅうたんが積み上げられた一角があり、1枚分だけじゅうたんが広げられています。これ幸いとみんな靴を脱いでそこで昼寝。天井を眺めながら、なんで360度を16に区切るんだろう?90度を4つにくぎるって、何なんだろう?そういえばペルシャ音楽でもCからD#、西洋音階でいうと半音3つ分を4つに区切ったりしているよなあ。 なーんて考えていると、イラン人のおばちゃん一行がはいってきて、どうやら「なんであの人たちがまったりしているのに私たちは・・・」なーんて文句を言っているらしく、笑顔で「どうぞ!」と席を譲りました。 すっかり元気回復して広場をふたたび横切り、お向かいのアリ・ガープ宮殿へ。入り口すぐの四角い広間で、対角線上のすみっこに2人を配置し、おたがい背をむけて壁の角にむかってぶつぶついうと、対角線上の相手にぶつぶつが聞こえるという不思議。500年前のペルシアにも、ボーズ博士のように音響の天才がいたのだろうな。展示部屋でエスファハンのインタラクティブDVDを売っていました。我々が見損ねたアルメニア教会の拷問地獄絵図もクイックタイムで見れるというので即購入。 アリガプ宮殿は壁が漆喰でできているので落書き厳禁。汗をかいて歩いて上がるとエスファハンが一望できます。写真は途中の階からの眺めです。

エスファハン第3日め その3 シャヘラザーデでえびケバーブ、マス、ラムチョップ。

幸か不幸か拷問地獄絵図を見ずにすんだ一行を乗せたバンは再び川を渡り、なにやら見慣れた街路に止まります。前夜のステーキサンドイッチの店の斜め向かい。おやこれはエスファハンで一番というシャヘラザードレストランではあーりませんか。これがみきさんの手配になる本日のハイライト。そして我々は2階へ。 写真は3階から撮影したメインフロアー。今まで我々が、せっかくの名ガイドみきさんがいながら路上食に近いものばっかり食べてきたのは、彼女が我々家族の超リラックスまったりモードにあわせて日程を組んでくれていたからでありまして、彼女の実力はエスファハンの、つまりイランで一番人気というシャヘラザーデの、金曜日のお昼という 困難時間帯に、表にわんさか人だかりがしているなか我々一行をするりとなかにいれることができるほどのものであることを書いておかなければなりません。さてここの名物えびケバーブ、鱒、そしてラムチョップを注文。ドリンクは店じまんヨーグルトドリンク。 えびケバーブは想像していたえびのすり身ではなく、4センチメートルくらいのえびを、まるで王将の餃子のようにぴったりなかよく並べて焼いたものでした。付属のタルタルソースをつけないほうが我が輩の好みです。小さめのラムチョップも美味で、花子もむしゃむしゃ食べていました。

エスファハン第3日め その2 毒殺の家と、見なかったけれどアルメニア教会の拷問地獄絵図。

金曜モスクからしばらく走って市街地の狭い道に入り、路地のつきあたりにある家に到着。ここはマジャール朝時代、民主運動家の隠れ家であり、その後のパハレヴィ朝の拠点になったという伝説の家。いまは博物館になっています。ここでは近代イランの政治史を人形付きで見ることができます。民主運動家の毒殺の部屋。写っているふたりはお人形。 一行を乗せたバンは良すぎる日差しのなか、川を渡ってアルメニア人街へ。シャーが商売上手なアルメニア人を移住させたのだそうで、いまでも2万人くらい住んでいるのだとか。石畳の奥にあるのがヴァンク教会。たまたま閉まっていたものの、もし入れたらそ中にはキリスト教徒がこれでもかこれでもかという残虐な拷問にあっている地獄絵図の壁画があるのだとか。アルメニア教会はたしか世界最古のキリスト教会、ということは拷問しているほうはローマ帝国の警察なのかな。村上春樹の「雨天炎天」にも、ギリシャ正教の教会の壁画に地獄図があって、拷問されて「困ったな」「かなりだめそうだ」という表情をしているキリスト教徒のことが書いてあった。最古の教会から島原の乱にいたるまで、受難というのはキリスト教徒のアイデンティティー確立となにか深い関連がありそうだ。 教会に向かって右に歩いた最初の角に「アルマーニ」という店がある。そうか、イタリアの有名デザイナーのジョルジュ・アルマーニはアルメニア系だったんだ。だから商売上手なのか。

エスファハン第3日め その1 金曜モスク近くのバザールでかき氷。

金曜日。朝ごはんはホテルのルームサービス。果物は前日がバナナ5本、この日はスイカ1/4。お昼前にみきさんと待ち合わせ、バンで出発。しばらく走ってからバンは地下のロータリーで駐車。ここは巨大な地下ロータリーにバス停が併設されています。すごいね。階段を上がればそこはイマーム・アリー広場。結婚用品の飾りものや砂糖塊などを売っている店々の前を通り抜ければ金曜モスク。広場に面した日陰ではおっさんたちが昼寝をしています。家庭内に居場所のないおっさんたちがここに来て昼寝するのだと聞き、モスレムじゃない我が輩でもモスク昼寝おやじに親近感がわきます。  金曜モスクの暗がり、足の具合が悪いので願掛けのお参りに来ているおっさんのかたわらでしばし瞑想。それからモンゴル時代の漆喰オーナメントなど眺めたり、トイレで写真撮影したり。この手洗い場のデザインは、妹尾河童さんのトイレ本にあった一ツ橋大学のトイレに似ています。きっと一ツ橋のデザイナーがパクったのだろうな。なんせこっちは8世紀から14世紀の建築というのだから。 金曜モスクの周囲は庶民的なバザールになっていて、どこまで庶民的かというとディスプレイの人形のぞんざいさにそれが現れています。たとえば子供服の店がこんな感じ。  内儀はその市場でカラス衣装(いわゆるブルカ)をお買い上げ。クソ暑いので娘たちはかき氷。

エスファハン第2日め その3 三十三桁橋でステーキサンドイッチ。奈良県イラン人に出会う。

じゅうたん屋の手引きでモスク見学を終え、そとはすっかり夕暮れ。家族連れでいっぱいの人だかりです。我々は芝生でひとやすみ。 それから歩いて三十三桁(シーオーセー)橋方面へ。アーチが33あるので33桁橋と呼ぶそうです。日本にも三十三間堂ってあるよね。 橋の手前、エスファハンでいちばん有名なシャヘラザードというレストランの斜め前のステーキサンドイッチ屋でテイクアウト。ここのステーキは、縦にくるくる回る軸に屑肉をペタペタ貼り付け、外からオーブンでじりじり焼いたのを鉄板で野菜といっしょに炒めかきまぜたものです。蛮地バグダッドで学んだのは、羊肉が新鮮なうちはティッカ(角切り肉の串刺し焼)、2日めでヤバくなったらケバーブ(金属製ヘラにミンチをのせて焼いたやつ)、3日め以降いよいよ腐りかけてきたら縦軸円錐型貼り付け焼、ということでした。しかしイランでは縦軸貼り付け店であっても腐りかけの屑肉を食わされるわけではなく、安心できそうです。やっぱり文明国は違うねー。  あつあつのステーキサンドイッチと冷え冷えのモルトドリンクをコンビニ袋にぶらさげ一路川岸へ。堤防にすわって夜景をながめつつサンドイッチをもりもり食います。川風が涼しく、とても気持ちのいい夜です。  そこで偶然、奈良県に住んでいるというイラン人のおっさんに会いました。正倉院の絵柄のじゅうたんを作って商っているというサイード・メヘラリさん。奈良県では有名なイラン人、と本人談。世界は広いのに世間は狭いよね。ステーキを食べ、記念撮影をして、一行は歩きはじめました。みきさんの滞在ホテルの近所まで彼女を送り、我々はホテルに戻りました。

エスファハン第2日め その2 絨毯屋でお茶。

アッバーシーホテルでお茶のあと、歩いて八天宮パレス公園を通り抜けホテルに帰着。このパレスはそもそも中に入れないので通り過ぎるだけ。シャー・アッバースが大急ぎで建てたのだそうです。ホテルでシャワー、ナッツと鎮魂酒、読書、昼寝。 夕刻5時、みきさんと待ち合わせて外出。ぼちぼち開きはじめた店をひやかしながらイマーム広場へ。  バザールをうろうろしてから、とある絨毯屋に入り、絨毯椅子にすわって出されるがままにお茶。店主のじゅうたん講談など聞き、感心したようにうなづきつつ、まったりとお茶をすすりつつ、 「そのシルクのものはじつに美しい。んでもって値段はお幾らであるのか?」と我が輩。 「旦那、たったの1400ドルで候。とても優しい。」 「んでそのバルーチ族のウールものは?」 「たったの450ドルに候。クルード族のものがたったの550ドルで候。これも優しい。」 「なるほど、我々も優しいので、あわせて1500ドルということか?」 「えーと、いやいやそれはお客さん優しすぎというか・・・。」と店主爆笑。 「パパ、いい加減にしないと・・・。」と花子。貧乏なパパがじゅうたんを買わされてしまうんではないかと、心配してくれています。そろそろ時間です。 「それでは優しい家族会議をするので、結果は明日伺ってからということで。ごきげんよう。さようなら。ご歓待に感謝します。」と、優しくも断固たる内儀の宣告で絨毯屋をでます。 みきさんがじゅうたん屋に連れてきてくれたのは、じゅうたん屋がモスクにコネをもっているからです。モスクでは祈りの時間にじゅうたんを敷き詰めるので、じゅうたん屋はふつうの人や参拝者が入れない時間帯と場所に出入りすることができます。てなあんばいで、ワケあって以下省略。青シャツがじゅうたん屋の若い衆です。

エスファハン第2日め その1 アッバーシーホテルでお茶。

1日めが強行軍だったので2日めは目覚ましをかけず朝寝。いつものように自分がどこにいるのかわからない状態で目覚め、水を飲みました。朝ご飯はホテルのルームサービス。ルームサービスとは贅沢なようですが、この八天宮(ハシュト・ベヘシュト)というホテルには食堂がないので、中メシはことごとくルームサービスです。フルーツ、紅茶、チーズ、卵焼きなどシンプルながら味わい深いメニュー。第2日めはイマーム・ホメイニの命日でどこもお休みという事前の話。ゆえにクルマはたのまず、夕方からみきさんと徒歩で散策という計画です。 お昼ごろに4人で外出。行き先は木陰を選んでてくてく歩いて15分くらいのところにある高級アッバシーホテル。ここの中庭がすばらしいらしいのでホテルの茶店でお茶を楽しむという企みです。まずは中庭で記念撮影など。クソ暑いのですぐに中に入り、チャエハーネ(茶店)へ。 内装がすばらしい。高級感にあふれています。娘たちはそれぞれチョコレートシェイク、ピーナッツミルクシェイク。我が輩と内儀はアイスコーヒー。メニューを見ているうちにフレンチフライ、サラダなど追加してしまったのは、すでに腹が減っていたのでしょう。前日は施しものの豆シチューだったからねー。 隣の席ではアラブ人らしき家族4人連れ。我々とおなじ組みあわせです。女の子ふたりがヘジャーブ(かぶりもの)をかぶっていないのは、たぶんふたりとも小学校低学年でしょう。しかしお姉さんのほうは、日本なら高校生でも通じるくらい大人びています。ということは父親もかなりのオサーンに見えるけれど、30代なかばくらいなのか? 春から夏にかけて、もし部屋をとっているのでなければ、この中庭はカフェから眺めるのがいちばんいいようです。しかし建物そのものが古いので、ホテルの部屋は値段のわりにフツーなのだとか。

エスファハン第1日め その4 モスクの施しもので腹一杯になる。

エスファハンの街を東西に流れる川の南側に800年前から存在するという巨大な墓苑があります。我々がむかったのはその一角にあるロクノルモルクという小さなモスク。ロクノルモルクモスク。舌を噛んでしまいそうです。 どこのモスクでもそうですが、鎖が入り口にぶら下げられていて、それは神と人をつなぐ鎖なのだとか。だからそれをゆらゆら揺すってモスクに入るのがいいそうです。迷信なのか何なのか、そのあたりのユルさがシーアの面白いところです。我々がモスクの中庭で座ってくつろいでいると、若い坊さん見習いらしき人がうろうろしたり、寺男らしき爺さんが夕方の祈りの準備のためか、絨毯を広げはじめたりしています。 そのうちに爺さんのひとりがやってきて、プラスチックの丼になみなみと入れた豆煮込みシチューをくれました。アーシュレシテという豆煮込みうどんシチューなら食べたことがありますが、レシュテ(うどん)が入っていないのでこれは単にアーシュというべきなのか。今まで食べたうちで一番おいしい豆煮込みシチューでしたが、なんといっても量が多く、5人で二碗たいらげるのがせいぜいです。これも翌日がイマーム・ホメイニの命日ということでの施しです。せっかくの施しものなので、残すのも失礼と思い必死に食べ尽くしました。食べ尽くしたところで別の爺さんにまた1碗と勧められ、それはありがたくテイクアウトさせてもらい、バンの運転手君にさしあげました。 それから一行は裏手の墓地で散策。ミュージシャンたちが詩人の墓の前で歌を歌い、家族連れが夕暮れの散歩をする、それはのどかな墓苑でした。  日暮れが近づき、我々はバンに乗って街の南東の岩山の麓へ。ロープウェイの麓駅の隣の5次元シアターでアホなショウを楽しんだり(ひとり5万リアル=190円)、夜景をながめてからバンでボテルに戻りました。今日の晩メシがモスクの施しもので終わってしまい、ちょっと残念。