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3月, 2011の投稿を表示しています

きつねうどん。いかの天ぷら。さつまいもの天ぷら。

木曜日。帰りのバスで中国語を復習していたはずが熟睡していました。おおたかの森で内儀、じゅんこ、こどもたちと待ち合わせ。花姫はふたたびじゅんこ宅へ。帰路内儀と月姫と3人で丸亀製麺。カレーシュー宅で月姫の制服など頂き帰宅。

カレーライス。きのこサラダ。

水曜日。放射性物質が降り注ぐせいなのか、今週はやたら眠く、眠っても疲れています。同僚の張さんも同じことを言っています。帰宅途中で拾ってもらい、岩澤工場長とじゅんこからもらったランドセルとともにオータニさん宅。自動車のなかでこどもをカウントすると、ひとり多いなぁとおもったら、じゅんこ宅から月の姫がきてましたよ。帰宅してカレーライスときのこサラダ。それから「ユニクロ帝国の光と影」を読みました。読みはじめて気づいたのですが、筆者は「アマゾンの光と影」を書いた人でした。

中華どん

朝はご飯とさんまの開き、みそ汁。昼前に事務所を抜け出し、総務美人社員と地震の恐ろしさについて語りながらバスでおおたかの森、つくばエスプレッソと地下鉄で神谷町。サントリーホールの前の広場で、ひなたぼっこをしながら大の字になってぐーぐー寝ている人の隣にすわり、コンビニのサンドイッチ。このサンドイッチは神奈川県平塚でつくられたものでした。そしてサンドイッチを食べながら、東京で2番目に地価の高い港区に、コンサートホールをつくってしまうまで自我を拡張させた洋酒屋の大将のこと、そしてそれを可能にした戦後という時代について考えました。それから、野放図に自我を拡大する時代には生まれなかったけれど、世界のいろんな場所に出没してそれなりに楽しんだ自分、なによりも子供たちとのつきあい方を楽しんでいる自分のことを考えました。それからジェトロ中東セミナー。帰路南柏で岩澤工場長に拾ってもらい、被災地に送るランドセルをいただきました。深謝。夕食は中華丼。中華風あんかけ野菜イカ炒めをごはんにのせたものです。デザートは花姫のフルーツ盛り合わせと、月姫のミニミニパンケーキ。

あさりの炊き込みご飯。野菜グラタン。ほうれん草のごまあえ。長芋天ぷら。などなど。

よく晴れた月曜日。帰宅するとカレーシュー宅のこいさんが。しばらくしてカレーシュー宅のご寮さんもお越しになり、みなで夕餉。お向かいさんからも差し入れいただき、書ききれない程のメニューで豪華美人ご飯でした。

特別のホットドッグ。味噌おじや。

朝いつもより遅く起き、パン。例によって餡パン12個、チェダーチーズパン19個、プレイン1個。パンを持って自動車でジュンコ宅。お昼は自分の持ち込んだパンではなく、ジュンコ特製ホットドッグをいただきました。地震 →浦安の埋立て地が液状化 →ディズニーランドが機能せず →ホットドッグが売れない →ホットドッグのパン工場が放出直売 →そういう食品工場が足立区にあります、というわけで、風が吹いたら桶屋が儲かるごとく、地震があったらディズニーランドのホットドッグが家で食べられる、という図式です。それにしても東京の海抜零メートル地帯、クッキー工場とかおせんべい工場とかパン工場がたくさんあります。あのへんが洪水になったら、どうなるのでしょう。 帰宅して、ランドセルを被災地に送るコーディネーター宅へ。それから帰宅してさすがに前夜のヘビーセッションの疲れでお昼寝。夕食はようやく人間界に復帰した内儀の味噌おじや。おいしかったなあ。

野菜スティック。味噌チーズ。などなど。

土曜日。午前中に粒餡炊き。金曜日の朝一番で水漬しておいた小豆の吸水状態がよく、すぐに煮上がりました。ほとんど蒸らす必要もなく餡炊き工程にうつり、昼前に完成。 午後、花姫がジュンコ宅で延泊するという連絡があり、月姫も合流したいとのこと。駅まで送り、帰路ガソリンスタンド。いつものように空いていて、満タンも問題ないというきわめて普通の状態にいささか当惑。内儀を駅で拾い、ビデオを借り、チーズを買って帰宅。牛乳も2本売ってくれました。帰宅して、内儀と二人だけで野菜スティックと味噌を塗りたくったチーズでスペインの赤ワインとビデオ「ラストショット」鑑賞、そのまんまお茶漬けでも喰って風呂はいって寝ようかと思っていたら、お向かいさん宅から招集。たっちゃんの帰国報告だったはずが、翌日午前2時まで濃密なセッション。

タキシマ精肉店のコロッケ。キャベツ。あさりのみそ汁。マカロニサラダ。

金曜日。午後は雨になるという予報だったのですが、夜まで晴れていました。内儀と子供たちはジュンコ宅にいっていたので、我が輩がまっさきに帰宅。ほどなく内儀と月姫が、タキシマさんのコロッケなどを買って帰ってくれました。さっとつくってくれたアサリのみそ汁がとてもおいしく、キャベツもとても甘く、いろいろな話をしながら夕食をいただきました。レインボウ農園からデリバリーと手紙。茨城の農場の窮状が書いてありました。われわれおとなはぜひとも福島、茨城の農家をサポートしたいところです。

号外!これぞ全国民必見の動画。「原子力発電は戦艦大和。人の心が大事。」

これを見て、いままでの政府、東電、保安委員会の態度がようやく理解できました。全国民必見の動画。 ↓ここ経由です。敬意を表しつつ: http://kaminoseki.iza.ne.jp/blog/entry/2211332/ いわく: 「原子力保安院の大ウソ暴露!」武田邦彦教授 関東エリアでは未放送だそうです。 ↓これが動画。 http://www.youtube.com/watch?v=gW8pfbLzbas ・日本の 原子力発電所 は、地震国でありながら地震で倒れてもよい設計になっている。 ・ 原子力発電所 は、安全性はほとんど関係なく造られる。典型的なのが浜岡発電所。 ・役人はウランが海に流れ出るなんてことには全く関心がない。国民の健康を守ろうとは全然思っていない。 ・誰も責任を問われないように・・・ ・役人にとっては、保身>国民の安全 一部のマスコミや政治家、官僚たちの行動はあまりにも胡散臭いことが多すぎです。 これが真実ならば、明らかに人災でしょう。

スパゲティ

木曜日。朝一番で揺れ。朝は晴れ。会社でも揺れ。夕方業務終了時に揺れ。帰路、東武スーパーで定点観測したところ、強力粉を発見したので即購入。ただし納豆と牛乳はなし。自動車で拾ってもらい、ガソリンスタンドに寄ったら品切れ。帰宅してソーセージとトマトソースのスパゲティ。

鯖のひらき。セロリの浅漬け。豆腐ちゃんぷーる。白菜の漬け物。わかめのみそ汁

朝はよい天気。通常運行で通常出勤。お昼は多少揺れたくらいでたいした事もなくすごし、夕刻ずいぶん寒くなった中を帰宅。スーパーマーケットで定点観測。強力粉なし、納豆なし、ミルクなし。帰宅して標記のメニュー。それからギターの練習と中国語など。

ソーセージとブロッコリ。ほたてのせ葉菜サラダ。焼き餃子。味噌汁。

連休明け、雨の火曜日。電車はほぼ平常運行。会社では停電もなく、お昼過ぎに多少長めの揺れがありました。震度4。夕方おおたかの森経由で帰宅。スーパーで強力粉の定点観測。先週金曜日の午後から土曜日にかけて店頭から消えてしまったのが、強力粉と納豆。たぶん強力粉も納豆も、それほど回転の早いSKUではなかったのでしょう。日頃からのんびり回転していた商品なので、問屋の中間在庫も少なく、仕入れのスピードも遅いのではないかと思います。 夕食は標記のメニュー。

おこのみやき

春分の日の月曜日は雨。我が輩がこどもだった昭和30年代、あちこちで核実験が行われたので、「放射能の雨にあたったら頭がハゲる」と言われ、そのころの気持ちを思い出しました。 朝は雑炊。お昼はうどん。午後かれーしゅー宅にこどもたちを送り、その足で買い物。道路はすいているし、パン屋さんにはパンが普通にありました。ガソリンがなくなったので、みんなの買いだめフィーバーが収拾したということでしょう。けっきょくこの買いだめフィーバーも、週末に自動車で大型店舗に出向いて一気買いするというアメリカ的生活様式がもらたらしたもの。ガソリンという必要条件が欠ければ、そもそも成り立たない構図なのでありました。自動車はあるけれど、雨でもないかぎり自転車で間に合わせるという、世間のおおかたからちょっとずれた我が家の生活様式でパニックを乗り切れそうなうちらです。 放射能の雨なのでさすがにバレーの送り迎えも自動車。夕食はみかちゃんも来てくれて、お好み焼き。

焼き鮭。野菜炒め2種。粗汁。

朝はパン。あんパンとチーズパン。チーズパン16個がことごとく切腹していたのは、強力粉と薄力粉を半々でブレンドしたせいでしょうか。先週の日曜日からこのかた、強力粉が店からすべてなくなりました。ふだんパンやピッツァを作らない人々が突然作るようになったのでしょうか。これで我が家の強力粉の在庫もなくなりました。お昼は蕎麦。午後こどもたちと内儀はジュンコ宅へ。我が輩はこどもたちと内儀を駅に送ってから、イラン人の店「ひまわり」へ。リラックス効果のあるというCDを何枚か買いました。午後は読書:岡本太郎さんの「今日の芸術」を読みました。夕食はジュンコ宅でごちそうになりました。

卒業のお祝い。お寿司。サーモン野菜サラダ。野菜のかき揚げ。エリンギとブロッコリ。鮭の粗汁。

土曜日の朝はパン。チーズパンにはクラフトのチェダーチーズが大人気です。チェダーチーズもいろいろあって、切れてるチーズとチェダー6Pと業務用チェダースライス20では成分が違いますが、どれでも基本的にオッケー。餡パンの餡の在庫が少なくなってきたので、業務スーパーに小豆と砂糖を買いに行きました。ついでに、納豆も自家発酵できるように大豆も1kg購入。 お昼はそば。海苔とねぎをたくさんのせました。午後はLED電球買い出しなど節電計画発動。近所の図書館に本を返しに行ったら閉館していました。しかしその近所のスーパーで牛乳を1本買うことができました。 夜はがてん寿司のテイクアウトと、標記のメニュー。お向かいさんから爺ぃじ婆ぁば、みかちゃんも来てくれて、月姫の卒業のお祝いをしました。乾杯は山梨大学発酵学部の準特選の白。子供たちが生まれてから9.11、ジャカルタでマリオット爆破、オーストラリア大使館爆破、そしてアチェ津波。平和な日本に帰ってきたら地震津波原発。大人たちがざわざわそわそわしているのに慣れているのか、平常心の子供たち。彼女たちから学ぶことのおおい昨今です。 うん国際政治ブログを「GNN通信」に改題しました。GNNとは、義理(G)と人情(N)と浪花節(N)の頭文字で、関西方面ではそこそこ一般的な語彙です。大阪市バスが2台、援助物資を満載して東北まで走ったと知り、今こそGNNの時代だと思ったのがきっかけでした。

しらたきときのこと豚肉。カレーじゃがいも。まぐろ粗煮。などなど。

朝は味噌汁とおにぎり。今日は月姫の卒業式なので、有休を頂きました。 卒業式は、我が輩の時代のような退屈なものではなく、歌声が溢れていました。停電になっても、たとえアコースティック楽器がなくとも、人の声さえあれば、多くの人を勇気づけることができるという意味で、歌のちからを再認識しました。この時代、我々がこどもたちに残せるのは、ひょっとして歌ぐらいしかないのかもしれません。でも、いい歌さえあれば、我が輩がいまの内儀と結婚前にいったネパールの夜のように、たとえ停電で灯りがろうそくしかなくても、お湯がでなくても、尽きない歌とジョークがあれば、それで若いふたりは幸せなのです。小学校の先生がた、こどもたちにたくさんのいい歌を、ほんとうにありがとう。この子たちは被災地にいっても、人々をきっと勇気づける歌を歌ってくれるにちがいありません。 午後は近所の農園で野菜パッケージをピックアップ。ガソリンがないので配達できないそうです。帰りにホームセンターでLED電球を購入。いくら節電といっても、街路を真っ暗にしておくのは、帰宅する女性がたには不安でしょうから。 夕方、花姫をつれて歯医者さん。地震でも大丈夫だったようです。ぐらぐらしていた歯を2本抜いてもらいました。 夕食はお向かいさん宅で、標記のメニュー。ごちそうです。カレージャガイモというのは、ゆでたジャガイモにカレーをかけたものです。こんなん初めて。 ところで我が輩のウン国際政治ブログ: パンダの名前を「尖尖」「閣閣」にしよう! が、昨日なんと1日8000ヒットを記録しました。こんなん初めて。うゎおう。

まぐろ刺身。蓮根と厚揚げ。ブロッコリ。

木曜日。自転車出勤。行程の7割ほど走ったパチンコ屋の前でe塚さんのステップワゴンに出会い、自転車ごと乗せてもらって余裕出勤。さすがステップワゴン。 お仕事終わって、岩沢工場長のワゴンに自転車ごと乗せてもらい帰宅。さすがマツダのワゴン。停電の用意をいそぎ、夕食。まぐろ刺身などなど。結局今にいたるも停電はなし。

うなぎ丼

本日水曜日は電車で出勤。拍子抜けするほどスムーズかつがら空きで、いつもより10分以上早くおおたかの森到着。午前中に停電。これは東京電力が、「原発やっぱりいらないっぺ」という声を封じ込めるためと、原発の後始末にまつわる泥縄手法を報道するメディアのスペースをなるべく埋めるために考えだした手法と、我が輩は理解しておる。違うか東京電力?もう悪あがきはやめろ。ウルトラマンでいえば、もう3分間はとっくにすぎておる。国営化されて公務員になったら、下請けに危険作業をぶん投げるわけにいかなくなるんだぞ。国営化されるなら、株価が屑以下になったところで買ってもいいかもしれないな。 夕方は会社のバスで柏。内儀のお使い物を済ませ、東武電車は止まっていたので国鉄常磐線で南柏。駅前でクッキー大袋など買い求め、内儀のピックアップで帰宅。夕食はなんと贅沢なうなぎ丼。

餃子鍋。いかサラダと揚げ焼売。

朝はカレーライス。自転車流星号で出勤。時速10km。お昼は会社弁当。夕方、北小金ルートで帰宅。大げさかもしれませんが、家族と無事再会を喜び合い、餃子鍋の夕食。烏賊サラダと揚げ焼売はお向かいさんからの差し入れでした。深夜、カレーシューの旦那から電話あり。ご家族をつれて神戸に避難するそうです。「とてもいい決定だと思います。賛成です。」と申し上げました。それから夜更けまでいろいろと考えごとをしました。

カレーライス。野菜サラダ。

朝はおにぎりと味噌汁。味噌汁は体内の放射性物質を排出させる働きがあるそうです。東武電車が動かないので、自転車で出勤。会社では崩壊状態の3階にあった事務所を2回に移転。お昼はおにぎり弁当。夕方自転車で帰宅。往復2時間はちょっとこたえるなあ。2〜3日たったら慣れるのかもしれないけれど。夕食はカレーライスと野菜サラダ。

最後のかきフライ。あじフライ。

朝はパン。いつも通りの週末のように餡パンとチーズパンをこどもたちに焼いてあげられることの感謝を込めて。福島第一原発の3号機のガスを午前8時頃までに放出したというので、午前中は洗濯物も干さず、外出もせず。お昼はおにぎり。夕方気晴らしを兼ねて自動車で外出。イーオンは1階の食料品売り場しか開いておらず、品薄のうえに納豆は売り切れ。これからもう買えなくなる三陸産わかめを購入。回り道してアミ。おやつ昆布、お米と乾麺など購入し帰宅。夕食はこれが最後かもしれない牡蠣フライとあじフライ。計画停電で、いつお風呂にはいれるかわからないので子供たちは洗髪。 これからはこの日本で、放射性大気と共存していかなければなりません。なるべく味噌と、昆布と、納豆をたくさん摂取しましょう。

臨時ニュース:地震・津波被災地に海外出身のご友人のある方へ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ TUFS「日本語で読む中東メディア」 臨時ニュース:地震・津波被災地に海外出身のご友人のある方へ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 地震発生時緊急マニュアルがボランティアの人々により アラビア語、ペルシア語、トルコ語などに翻訳され、 公開されています。是非、ご友人に教えてあげてください。 アラビア語版・地震発生時緊急マニュアル http://nip0.wordpress.com/%D8% A7%D9%84%D9%84%D8%BA%D8%A9-% D8%A7%D9%84%D8%B9%D8%B1%D8%A8% D9%8A%D8%A9/ ペルシア語版・地震発生時緊急マニュアル http://nip0.wordpress.com/ farsi/ トルコ語版・地震発生時緊急マニュアル http://nip0.wordpress.com/ turkce/ 東京外大アラビア語専攻学生らも参加しています。 その他の言語もあります。 トップページ http://nip0.wordpress.com/

炉心溶融。刺身。中華丼。鯖薫製サラダ。

朝はパン。さいわい前夜からガスが復帰したので、せめて子供たちにはいつもの環境を提供しつつ、この国を襲った大きな悲劇を受け入れ、やりすごし、いつか人と社会のために役立つように願う。お泊まりだったみかちゃんも、ひとりぼっちの近所のお友達も合流して、香り高いミルクコーヒーとパン。未曾有の大地震がひょっとして予震かもしれないから、お昼はおにぎり。午後は中国語学習もろくに手がつかず、お買い物に出かけて放射線排出に役立つというわかめと納豆を購入。帰宅して、放射能排出に役立ち、しかも安全でおいしい手前味噌を樽出し。夕食は、お向かいさんが合流し、お向かいさんからいただいた刺身。みかちゃんの中華丼と、鯖薫製野菜サラダ。

大地震。大根と飛竜頭。じゃがいもと肉のたまごとじ。

金曜日。事務所は手のつけられない状態です。内儀とのメールは1時間以上遅配でした。脆弱なインフラに支えられた日常だったことが痛感されます。さいわい工場長が自動車で送ってくれたので、迅速に帰宅できました。首都圏は鉄道がほとんど動きません。お父さんが仕事から帰って来れなくなった近所のひとりぼっちの子が今夜お泊まりします。みんなでお向かいさん宅にいき、標記のご飯をいただきました。さいわい電気は泊まらず、9時頃にガスが復帰しました。

小籠包飛竜頭入り煮もの。蒸し野菜ときのこ。鮭たまごご飯。

木曜日。技術翻訳に少々頭を悩ました日でした。帰路中国語ポイント稼ぎ。前日からはじめたこのプロジェクト、2日めにしてすでに累積37ポイント稼ぎました。帰宅して小籠包飛竜頭入り煮ものでジェームソンのソーダ割りを啜りながらさらに中国語。鮭たまごご飯と蒸し野菜。食後チョコを少々頂いてギター練習。

生ハムサラダ。野菜のかきあげ天ぷら。たことまぐろの刺身。切り干し大根。鶏手羽先焼き。などなど。

火曜日。体操クラスの帰りの駅前で拾ってもらい帰宅。お向かいさん宅にたっちゃんが中国出張報告に来るというのでお呼ばれ。メニューは標記で、グレンリベット12年ものを旨いからといっていささか飲み過ぎ。

白菜ときのこと魚肉炒め。みそ汁。茄子と茸と豚肉。

朝はパン。餡パン12こ、チーズパン18個、その他2こ。お昼は前日の残りのマカロニ。午後に内儀とこどもたちをお買い物に送り、我が輩は酒屋などで内儀の誕生日のための秘密の買い物。トラボルタの From Paris with Love を借りてきて、ジェームソンのソーダ割りをすすりながら見ていたらみんな帰宅。居眠りしていると夕食になって、標記のシンプルごはん。食後に鉄観音茶と読書「発酵食品礼賛。」

野菜薄揚げサラダ。角煮。野菜グラタン。卵とじ。岩手ソーセージのマカロニ。。

朝はパン。餡ぱん12個、チーズパン18個。ということはなんもはいっていないスカぱんが2個。お昼は蕎麦。午後はギターと昼寝。夕方は標記のメニュー。ひろぴょんもかれーしゅーの旦那も来てくれました。もちろんメインのシェフはみかちゃん。

魚のぶつ切りの味噌煮。焼き餃子。など。

長かった1週間。ようやくの金曜日ですが、寒かったなあ。流山では風がぴゅうぴゅう吹いていました。さえぎるもんがないし。牛乳とかきぴーを買って、帰宅。夕食はお向かいさんからの魚の味噌煮。この魚、肌とサイズは鯖なのですが、骨は鰯。うーむ、不思議だけれど、じつに旨い魚でした。大根とこんにゃくと魚肉天ぷら。ぱりぱり焼き餃子。白菜のお漬けもの。ジェームソンのソーダ割り。娘たちよりもさきにお風呂にはいって寝てしまいました。 ところで、3月1日ぶんの記述。読み直していて気づきましたが、「粉」というのはコナではなく、フェンと読んでください。これは麺の一種です。いやいや、麺というと誤解が生じます。なぜなら麺というのは、小麦粉をこねて長く延ばして切ったものを言うのですから。粉というのは、米粉をこねて延ばし、それを切ったりしたもののことです。 南方では春巻きの皮みたいなやつのことを河粉といいます。地方によっていい方が異なるようです。 例えば豚饅。北方では包子(パオヅ)といい、上海あたりでは狗不理包(犬も喰わない饅頭)といい、南のほうでは小籠包という。ちゅふうな話を、黒竜江省の奥さんの手作り包子をいただきながら聞きました。

ひな祭りディナー。うなぎいくらちらし寿司。ほたてしめじさやえんどう炒め。鶏肉。

寒い木曜日。平時に出勤し平常勤務。5時きっかりにいきなり生命力レベルが低下。はふはふの体で帰宅すると、みかちゃんも婆ぁばも来ていて、ひな祭りディナーの準備中。メニューはうなぎいくらちらし寿司。ほたてしめじ莢隠元のにんにく炒め。爺ぃじもやってきてウィスキー。はまぐりのお吸い物。鶏肉は、鶏肉は、なんといえばええのかわからんくらい旨い鶏肉。じっくりじっくり低温の油で揚げたので、皮はぱりぱり、中身はほっかほっか、そしてソースも手が込んでいて、今世で食べた鶏肉で最高のレベルでした。デザートは月姫御手製のいちごケーキ。花姫御手製のヨーグルトフルーツ。婆ぁば御手製のフルーツ盛り合わせ。みかちゃんのコーヒー。ああ美味しかった、幸せいっぱいのディナーでした。

台湾ラーメン。機内食。

3月2日は水曜日。朝、カフェでサンドイッチを食べていると事件が勃発し、収集に1時間程度費やしてから事務所出頭。サンプルをかばんにつめてタクシーで白雲空港へ。空港で台湾ラーメン。飛行機で鶏肉の載ったごはん。プレミアムモルツ。宇宙戦艦ヤマトを見ているうちに成田につき、8時にタッチダウン。8時34分のアクセス特急。たっちゃん宅経由で9時半には帰着。夜更けまで内儀と談話。 この旅で身に沁みたのは、「食は広州に在り」というのは過去のキャッチフレーズで、現在のところ「食は広州になし」でした。

炒粉。白菜蒸し。

3月1日は火曜日。朝食はホテルのカフェでミックスサンドイッチとコーヒー。はじめからこれにすればよかったのです。午前中はまた街はずれの工場。お昼は事務所の裏の壁のない炒麺屋。麺というのは小麦で出来ていて、粉というのが米でできていると教えてくれました。なるほど、麺は麦偏で、粉は米偏やん。わかりやすい。炒粉は普通の屋台の味でしたが、おじさんおばさんの笑顔が印象に残ったのと、缶の青島は甘くないのを知りました。午後は中規模の工場を見学して感動。ひとつは、4日めになってようやく普通スピードの中国語がほぼわかりはじめたこと。もうひとつは、勤勉で快活で丁寧で迅速で率直な中国人経営者と知り合えたことでした。夜は秦の始皇帝というレストランで軟骨フライ、白菜蒸しなど。上にビーフン炒めを載せた白菜蒸しは佳品。白酒は糊塗酔。これは小糊塗仙ブランドのパクリなのだとか。

失敗焼きそば。東北家庭料理。

2月28日は月曜日。朝ご飯はホテルのカフェーで焼きそばとミルク紅茶を頼んで失敗。午前中、街外れの工場に出向き責任者と面会。午後は我儘を行ってホテルに帰り、シャワーを浴びて資本論を読んでいたらいつのまにか熟睡。夕食は黒龍江省の家庭料理。肉包子と豚の角煮がことのほか旨く、白酒の水割りといただきました。

味千ラーメン。カルビ湯。

2月27日は日曜日。徹夜を終えて11時頃ホテルに入り、シャワーを浴びて就寝。ホテルのウェルカムフルーツを齧り、大通りを漫歩して味千ラーメンとビール。遅くに事務所に出頭し、そのまんま夜10時頃まであれこれ作業とか談合とか。夕食はホテルの裏の朝鮮料理屋でカルビ湯と小糊塗仙という安い白酒。カルビ湯は、普通に旨かったので、しみじみ味わいました。

機内食は京風バンザイ弁当。豚丼。

2月26日の土曜日。朝4時半に起きてパンで朝食を済ませ、6時すぎに家を出発。たっちゃんを拾って新鎌ヶ谷経由で成田空港に7時40分到着。9時35分の飛行機の機内食が京風オバンザイ弁当だとか。9種類の惣菜と炊き込みご飯のお握り。広州の白雲空港から拉致られ靴の街へ。そのまんま裏通りの零細企業工場。深夜、「この街で唯一まともな和食レストラン」とやらで豚丼と青島ビール。ビールがとても甘かったのは、偽物だったのか、それとも工程中で加糖しているのか。豚丼は豚肉を残し半分ほど食べました。それから徹夜。シンナーの臭いで頭の左半分をヤラれ、男たちの吸うドカタ煙草の煙で頭の右半分をヤラれ、時差も併せて、長く濃密な1日でした。