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12月, 2011の投稿を表示しています

天ぷら10割蕎麦。

大晦日は土曜日。朝ご飯は(半)納豆汁と焼き鮭。窓ふきやら家回りの掃除。お昼過ぎにマレーシア時代からの盟友ありたさんが来てくれて、おかき焼きなど。午後、自動車で買いもの。夕刻、頂きものの霜降り肉を焼いたり、チーズを出したりしつつ、小樽の赤ワイン。我が輩はサントリーオールドのソーダ割り。7時ごろ、天ぷら蕎麦。 食後、西宮のおかんから電話。黒豆を認めてもらいました。ただし、ごまめは注意事項がありました。いわく、じゃことごまめは違う。ごまめは小さいほど値段が高い。じゃこであれば、それほど炒る時間はかけなくてよろしい云々。「さよか、ほな来年は気ぃつけるわ。」ということで、ごまめは来年の課題。

キムチ。納豆汁。

金曜日。朝ご飯は味噌汁と、昨日の鯖味噌煮の残り、白菜の漬けもの。午前中にブックオフで、大掃除で整理した本を売ったり、別の本を買ったり。五香の駐車場で買った沢庵で、自動車が臭くなりました。どうやらこの駐車場、どこかの農家が市街地のどまんなかになってしまった農地を駐車場にしたらしく、ほかの農地で取れたネギや、とれた大根でつくった沢庵を売っています。そして売っている沢庵が、純粋な昔風の臭い沢庵。農家がこういうふうにキャッシュを稼ぐのはとてもいいことだと思います。 帰宅して、お餅の昼食。この餅はこないだカレーシュー宅でもらった玄米餅でした。それから前日ストーブで焼いたさつま芋の残りをスイートポテト用に潰したり、鏡餅を作ったり。 いつもはパンを捏ねるのに使っている餅つき機ですが、年に一度だけ、ほんとうの餅つきに使われます。そのハレの日が今日。これがないと、餅つき機がアイデンティティーを失ってしまいます。 鏡餅の残りは餡餅と小餅。餡餅はみんなひとつづつ食べ、さらに今夜こどもたちを映画につれていってくれる福美ちゃんと紫苑にひとつづつ。こどもたちを送り出してから、内儀とイーオンに買い物へ。 買い物終えて帰宅し、あれこれを冷蔵庫にいれていると、ニューヨークで買って来たチーズにカビが生えているのを内儀が発見。カビを削り取りながらひと口ふた口チーズを食べていると、白ワインが飲みたくなって、内儀と乾杯。 夕方の餡餅でおなかがいっぱいになったはずなのに、なんとなくご飯を食べたくなったので、ゲット・ショーティーのDVDを見ながら、納豆汁とキムチでシンプルなごはん。

鯖の味噌煮。

木曜日は冬休み第1日め。朝8時30分ごろ、黒豆の鍋に点火。お昼はカレーうどん。午後3時頃に芯まで柔らかくなったので蒸らしに入りました。それから買い物。夕がたは納豆、ごまめ、松前漬けをつくり、餅米を洗って水漬け。 納豆をつくるというのはそもそも計画になかったのですが、こないだ味噌を仕込むとき、豆腐かなんかを作ろうと思い、ついでに水漬けしておいた余分の大豆をそのまんますっかり忘れて、台所の片隅で3日程過ごしてしまいました。いっそのこと納豆にすればいいだろうと考えて、蒸して放熱し、市販の納豆と混ぜて不織布の袋にいれ、それを穴のあいた段ボール箱にいれておきました。どうなることやら。 晩ご飯は月姫のリクエストで鯖の味噌煮。選択肢は鯖のカレー煮か鯖の味噌煮だったのですが。白菜の漬けもの、黒豆とごまめといっしょに頂きました。 食後、黒豆とごまめを箱につめて、西宮のおかんに発送しました。

パスタ。カール・レイモンさんのソーセージ。

水曜日は年内最終日。よく晴れた午後、つくばエクスプレスに乗って北千住。乗り換えて内幸町へ。インドネシアのBKPMに挨拶にいって話を聞き、いつもより早く帰宅。ハイボールとゴータチーズなど。しばらく居眠りしてから、散髪剃髪沐浴して夕食。函館の倫ちゃんから頂いたソーセージがあんまりおいしいので、花姫は気絶しそうだったそうですよ。

鮭たまご飯。大根と厚揚げ。えびサラダ。白菜煮。

火曜日。風がないぶん寒さが減じた日、お昼ご飯のあと散歩すると富士山が見えました。夕刻速攻で帰宅し、河内屋で黒豆とサントリーのダルマを購入。再帰宅して、ゆうこちゃんをまじえて夕食。Pちゃんもやってきて合流。標記のメニュー。白菜煮はお向かいのGMから。ドリンクはテキーラとライム。

チキンカツ。きのこサラダ。味噌汁。れんこん揚げと春巻揚げ。

月曜日。お昼ごはんを食べてから、寒い北風が吹くなか運河を渡って散歩しました。夕方はバスのなかで熟睡。帰宅して、昨夜からお泊まりの月ちゃんをまじえて標記メニューの楽しい夕食。蓮根揚げと春巻き揚げはお向かいさんのGMから差し入れです。 今日は断酒を決意したのですが、おいしい前菜が出てくると、決意が揺らいでしまいます。つまり、断酒は決意だけでなく、ごはんのメニューと出しかたも改革しなければなりません。断酒のときは、鍋物やカレーライスやお好み焼きなど、前菜もなにもなくいきなり主食のパターンでないと、ぴりりとした酒が欲しくなります。

味噌仕込み完了日。餅つき大会。

日曜日。朝一番で第5バッチ。午前11時頃に終了し、午後2時に第6バッチも終了。それからかれーしゅー宅の餅つき大会に参加。ミキサー、氷、テキーラ、ライムジュースなど持ち込み、マルガリータのバーテンダーをやりました。耳がー、煮もの、餅、みかんゼリーなどおいしく頂きました。

ピッツァ。パスタ。煮もの。えび。などなど。

土曜日は快晴。夢に味噌の神が降臨して、お告げがあったので、朝一番で水漬けした大豆をガスの火にかけ、沸騰したらあとは薪ストーブでとろとろ加熱。午前中に第3バッチを終了し、午後昼寝してから第4バッチ。昨年にくらべ随分のんびりしたやり方で、午後4時半にその日の工程を終了したので、クリスマス会は拙宅で。 ジュンコがやってきて、鶏のから揚げを忘れたと申します。まーえーじゃないか、カレーシュー宅から丸焼き用の鶏がやってくるはずだから。ピッツァを焼いたり、お向かいさんからおいしい煮ものやらオードブルが来たり、ジュンコがスペイン風えび鍋をつくってくれたりして、何度めかの乾杯をした頃、カレーシューご一家が登場。ジャック犬が半解凍した鶏肉をまるまる盗み食いしてしまったとのことで、みんなで大爆笑。鶏肉のないほとんど草食の健全クリスマスになりました。 ケーキはこどもたちがつくりました。我が輩は11時ごろ、先にお風呂に入り寝てしまいました。GDは自分の持ち込んだグレンリベット12年ものをほとんど一人であけてしまい、両側をジュンコとPにささえられつつ、千鳥足で帰宅されました。

がってん寿司。

金曜日は天皇陛下誕生日でお休み。味噌仕込み第1日め。朝はカレー。薪の点火が一発でオッケーだったので、午前中に第1バッチ。大豆3.5kg、麹3.5kg、塩1.6kg、種水1.5リットル。お昼は娘たちが買って来てくれたモスバーガー。午後第2バッチ。内容は同じ。夕がた5時過ぎに工程終了し、内儀が帰宅したのでみんなでがってん寿司。いちばん安い、いわしといかがいちばんおいしかったっす。

カレーライス。白菜の漬けもの。

木曜日。前日より曇っていましたが、北風は吹いていないので、寒さはさほど感じずにすみました。夕刻、依頼によりカレールーを買い求め、自動車で拾ってもらいKO-D2へ。漬け物用バケツを2つ、LEDランプをひとつ購入して帰宅。帰宅して即カレー。今日はこどもたちの終業式。明日はそろってお休みなので、リラックス。

まぐろ生薑煮。白菜煮浸し。おつまみ各種。蓮根炒め。

水曜日。前日ほどの北風ではありませんが、曇っていたぶん寒さがこたえた日でした。帰路、柏であれこれ購入。帰宅して、お向かいさんの照明の一部LED化を実施。それからお向かいさんでGMによる標記の料理各種。GDからホワイトース12年物を4杯ほど頂きました。途中、麹と大豆のデリバリー。帰宅して大豆7kgの水洗いと水漬け。

青梗菜と薄揚げのごまあえ。ピッツァ。

晴れていたけれど、寒い北風がぴゅーと吹いた火曜日。お昼は運河を渡って散歩。夕刻、はらぺこで帰宅。ワインとオリーブ。青梗菜と薄揚げのごまあえでワイン。日曜日に仕込んだまま使っていないドウでピッツァ。散らしたチェダーチーズが効いていました。旨かった。

鮭。大根と厚揚げの煮もの。にんじんと大根とマグロの煮もの。

とても寒い月曜日。お昼は天気がよかったので、運河を渡って向こう側まで散歩しました。夕刻帰宅するとお向かいさんのGMがワインを飲んでいて、そのまんまあれこれ話を聞きながら、サンマの甘酢漬けをつまみ、タコチップスをつまみ、にんじんと大根とマグロ煮をつまみ、内儀の大根t厚揚げ煮をつまみ、ワインを3杯、テキーラを1杯飲み、焼き鮭と沢庵と味噌汁でごはんを美味しくいただきました。

チーズ。肉。パスタ。ワイン。

日曜日。朝はパン。あんパン16個、チーズロール2個。チーズロールはなかなか難しく、めったに成功しません。成功というのは、中に仕込んだチェダーチーズがうまく外に流れだして、焦げてくれることを言います。お昼まえ、五香に向けてこどもたちと出発。こどもたちはブックオフ、我が輩はホームセンター。木材を仕入れ、こどもたちを拾って帰宅。お昼はカレーうどん。午後はテレビ台の工作。夕方おもいついてパン種の仕込み。チーズ切りなど。 6時半ごろ、かれーしゅー宅とバレリオがやってきました。かれーしゅーの旦那から、木箱色の高級ボージョレー。アルコール度12%で、葡萄ジュースからワインになったばっかりの若く軽いワインでした。バレリオから菜っ葉バレーの、値段がついていない超絶ヘヴィー級赤ワイン。アルコール度15度。ひと口飲んで、まるで絞らない酒粕をそのまんま飲んでいる、というより食べているといっていいくらいの重厚さがどどどぉーんと直撃。このまんま飲み続けたら、確実に沈没してしまいそうでした。 食事は、我が家から牛のあなぼこチーズとヤギのチーズ。牛のあなぼこチーズはまだましとして、ヤギのスモークトゴータチーズは、あんまりのヤギ臭さに閉口。然るに、かれーしゅーの旦那もバレリオも、「ぜんぜん臭いことないやん。」と平気。うーむ。ちかごろ基本草食なので、我々にだけケダモノ臭さがアタックするのでしょうか。かれーしゅー宅から、野菜のお浸しと、2キロ以上はあるかもしれない豚肉塊。1時間オーブンで炙ったのに、中心部がまだ赤いというでっかさでした。外側はぱりぱり、なかはほっかほっか。〆はパスタ。とっても臭いロマノチーズを入れたので、こくがあるパスタに仕上がりました。 我が輩は、ヘヴィーワインに直撃されたので、誰よりも早くお風呂にはいって、おやすみなさいのご挨拶をして寝てしまいました。

ダブルきつねうどん。

よく晴れた土曜日。朝はパン。餡パン19個、チーズロール2個。ニューヨークから買って帰って来たシャープチェダーチーズを使ったパンは相変わらず大好評。学校へ行く内儀にパンを持たせ、洗濯物干しなどして、午前中はベトナム語だと思っていたら先生が来なかったので、ステレオの配置換えなど。授業がないと、なんとなくほっとしているサボり性の我が輩です。お昼はマルちゃんのカレーうどんと、タイの蝦揚げせんべい。こどもたちが習字から帰ってから、三郷のイケア。カフェーでチーズケーキ、フォッカチオ、フレンチフライなど。帰路、三郷の丸亀製麺で、我が輩はダブルきつねうどん。帰宅して、湯たんぽを用意したり、お風呂を用意したり、こどもを寝かしつけたり、パンを仕込んでいたら内儀が帰宅。二人で夜更けにジャックダニエルズ。

えびから揚げ。白菜お浸し。大根煮もの。などなど。

金曜日。天気のよかったお昼に、運河の橋を渡って野田市側へ。水路の合流地点で、でっかい魚と水鳥の多さに驚愕。写真をとって仕事に戻り、コーヒーを飲んでしばらく考えごとをしてから、何件か電話をして相場を問い合わせ、すぐに返事がきたものもあり、しばらく時間が必要なものもあり。すっかり冷めたコーヒーを飲み干してからまた考えごとをして、また電話をしてアポを取り、夕刻になったので、北海道牛乳とピーナッツを買って帰宅しました。 本日は内儀が学校だったので、夕食はお向かいさんで。内儀もまもなく帰宅し、ジョニーのダブルブラックをオンザロックで3杯いただきながら、標記では書ききれなかったおいしい夕食。帰宅してパン仕込みなど。

たらなべ。

木曜日。お昼は柏ステーションモールで天丼。行く途中、運河沿いに運河駅まで歩いているとき、張さんが 「おや,鴨がいますね。」 「おお、美味しそうですね。」 と、我が輩。 午後はおおたかの森で銀行屋さんとお話。夕刻、ぶらん姫からメール依頼、ロフトで文具調達。ついでにチョコレート調達。帰宅して熱々の鱈鍋。BGMはスタッフと、こないだ死んでしまったコーネル・デュプリーおじさん。

大根肉じゃが。大蒜味噌にんじん。さわら粕漬け。澄ましなめこ汁。かぶら浅漬け。。

水曜日。曇りときどき雨。前週末に立ち寄ったトップでバター売り切れだったので、前日東武ストアに立ち寄ったら、そこでもバター売り切れ。アマゾンでも売り切れ。本日帰路、立ち寄ったおおたかの森のイトーヨーカドーでもバター売り切れ。柏のドンキホーテならあるだろうと思ったら、やっとありました。日高バターを2コ調達。内儀にジャック・ダニエルズ。バターを探しているかたは、ドンキホーテを試してみましょう。 夕食はお向かいさんから大根肉じゃが。1か月ほど前に仕込んでおいたにんにく味噌でにんじんを賞味。チーズはフランスのラクレー。内儀も娘たちも臭いといいますが、今回ニューヨークから買って来たチーズの中で、これが一番臭くないという気がしています。さわら粕漬けとお澄まし、かぶら浅漬けでご飯。デザートは横浜煉瓦と凍頂阿里山烏龍茶。

大根と厚揚げの煮もの。ほたて胡椒ソース。豚肉ピーマン炒め。

火曜日。夕刻、LED電球と小麦粉を買い、駅前で拾ってもらって帰宅。夕食は、作るたびに旨さが増す煮もの。ホタテ刺し身に胡椒のぴりりと効いたソース掛け。豚肉とピーマンのソテー。IWハーパーを2杯。

かきふらい。にんじんスティック。チーズ。

月曜日。昼間はよく晴れて、暖かい日でした。夕がた、おおたかの森で仕事を終え、いつもより早く帰宅。ニューヨークから持って帰って来たチーズのうち、フランスのラクレーを切りました。お向かいさんから揚げたてのかきふらいの差し入れ。おいしかったなあ。スコッチを2杯飲んでから、テキーラのショットに切り替えました。写真は冷蔵庫のチーズ群。

パン。おにぎり。まるちゃんのカレーうどん。あいなめ清蒸。いわし刺し身など。

日曜日。朝はパン。餡パン17個、バターロール、チーズロール。内儀を学校に送り出し、午前中はひたすら洗濯。お昼は花姫のつくってくれたおにぎり。月姫をバレーに送り、花姫をかれーしゅー宅に送り、帰宅してハラがへったのでマルちゃんのカレーうどん。ニューヨークの写真を調整していたら、あっというまに時間が経ち、月姫をお出迎え。お向かいさんのGMの買い物につきあい、いったん帰宅して花姫を出迎えにいき、帰宅して清蒸。お向かいさんにデリバリーして、蒸し魚を解体していたら内儀も合流し、みんなでおいしいご飯をいただきました。

ふたたび機内食。

12月9日、金曜日。朝8時にホテルを出て、大佬のクルマでJFK空港。こんどは数年で会おうぜと堅く握手し、お別れしてからアメリカンチェリーやぶどうをむしゃむしゃ食べ、セキュリティーをくぐりぬけゲートへ。機内食はチキンを選んだら、意外とイケました。村上春樹の「羊をめぐる冒険」を内儀にとられ、防音ヘッドフォンを花姫にとられたので、寝ることしか残されていない我が輩はひたすら寝ていました。

ねんみょん(冷麺)。ぴびんばぷ。

12月8日、木曜日はからりと晴れました。57丁目で地下鉄を降りて、5番街方面へ。スタインウェイのショールームを見つけた福美ちゃんが、興奮しています。5番街のユニクロの前からバスに乗って、42丁目のパブリック・ライブラリー。本フェチの福美ちゃん、大興奮です。ギフトショップで、ニューヨーク市のエンサイクロペディアを見つけた我が輩も大興奮。くそ重い本を買ってしまいました。 それからふたたび32丁目までバスにのり、コリアンタウンで冷麺、ピビンバプ。そしてエンパイアステートビルディング。登って降りたらずいぶん寒くなっていて、またまたバスで14丁目。歩いて7番街。大人の女性たちはエルムズというドラッグストアでお買い物。我が輩はとなりのカフェーでこどもたちのお守り。 買い物おわってFの地下鉄で、ロックフェラーセンターのラジオシティー・ミュージックホール。女性たちはクリスマス・スペキュタクラーのショー観劇です。我が輩は例によって、スーパーヘビー級の荷物をもって、はふはふの態でホテルへ。ドラッグストアで、いったい何を買うたんやろ。例によって大汗をかいたのでシャワーなど浴び、ちょっと休憩のつもりが居眠りしてしまい、起きたらもうお迎えの時刻。ロックフェラーセンターで守備よく合流し、しばらくうろうろしてから、バスに乗ってアップタウン。ホテルの近所でピッツアなど買い、ホテルでごにょごにょはなしをしながらブルックリンビール。いつもならエールを飲むのですが、ラガーもなかなかよろしい。というよりも、ラガーが非常によろしい。

美術館のカフェ。スープ。ステーキ。

12月7日は水曜日。雨の中をバスでメトロポリタン美術館。カフェもレストランも壁も移動していて、我が輩がすいすいと動き回れたのも今は昔。マップを見ないと袋小路にはいってしまいそうです。カフェであんまりおいしくないパスタと、サミュエルアダムスのビールなど。ギフトショップでは、欲しかったニューヨーク市のエンサイクロペディアが見つからず、ちょっと残念でした。 女性たちは夕がた、ニューヨークシティーバレーの胡桃割り人形を観劇。我が輩は雨の中、お買いものの荷物をえんやこらさとホテルまで運び、大汗をかいたのでシャワーを浴び、ゼイバーズで購入したチーズを袋につめていたら、もう迎えにでる時刻。さいわい間に合って、内儀以外とホテルの近所のデリーでスープ、ステーキサンドイッチの半分など。 一行をホテルに送り届け、ミッドタウンのMatt'sという店で内儀とリタと合流。前日に話し足りなかったリタに、われわれ呼び出されたというわけです。深夜にハラがへったので、ニューヨークスライスのステーキをミディアムレアで。うえにブルーチーズが散らされているソースが、なかなかいい味を出していました。スコッチを4杯ほど飲み、午前4時までバーにいました。 「さびしいわよ。」と、リタ。 「また会いにくるよ。こんどは13年も待たせない。」と、我が輩。 「約束よ。」 「約束する。」 我が輩はもう少しで泣きそうでした。それから、ほとんど嵐といっていいような雨風のなか、リタをアパートまで送りとどけました。 リタのことをよく知っていて、われわれ3人だけが居残っていたのに、なにもいわず店を使わせてくれたMatt's。ニューヨークにはまだ、こんな人情が残っています。

メキシカン。

12月6日は火曜日。前日は夜中過ぎまで起きていたうえに、この日は雨模様だったので、こどもたちをゆっくりのんびり寝かせ、午後になってミッドタウンのダンス用品の店カペッツィオ。それからリタ・コルビーのバレーレッスン。ステレオセットをスタジオにごとごと運び込むのを手伝い、「ここでいいかな?」リタは相変わらずの調子で、「そこのガラクタをどけちゃなさい。」ガラクタ(ラビッシュ)というのは、前のコマで歌のレッスンに使われていた譜面台のことです。ぜんぜん変わっちゃおらんな、この性格・・・と、思わず笑ってしまいます。生徒たちが恐怖するケイン(杖)も、もちろん昔のとおりちゃんとあります。 一流の先生に稽古をつけてもらい、月姫はご機嫌です。レッスンのあと、同じブロックにあるメキシカン料理店へ。奥のボックスにみんなですわると、おにいちゃんが 「申し訳ありませんが、ハッピーアワーはバーだけです。テーブル席は対象になりません。」 「何いってるのよ。表の看板にハッピーアワーって書いてあるじゃない。あれ嘘なの?」 と喰ってかかるリタ。内儀がこどもたちに、 「まだジャケット脱いじゃダメ。リタがいつ出て行こうっていうかわからないから。」 我が輩はまた笑ってしまいます。喧嘩腰のリタの、このキツくてオモロい性格は、ほんとうに愛すべきなのですから。 「まあええじゃないの。」という内儀のとりなしを聞き入れたところを見ると、リタも随分まるくなったのでしょう。だいじょうぶかな。手術したのがこたえたのかもしれない。 全員ジャケットを脱いで、それぞれ好きな料理を注文し、おおいに楽しみました。我が輩はトルティーヤスープ。みんなでナチョ。エンサラータなどなど。飲み物は女性がたがフローズン・マルガリータ。我が輩はテキーラをショットで。デザートはこどもたちの注文したフライド・アイスクリームを少々いただきました。

雲呑。ピッツア。

12月5日は月曜日。こどもたちを福美ちゃんにお願いして、内儀とふたり、地下鉄7番線にのって、新婚時代をすごしたフラッシングへ。銀行口座を閉めてから、ジュンコに頼まれたクッキーを買うため大班ベーカリーを探訪。もとの場所にはなくて、尋ねるとあちこちに分店を出しているのだとか。7人くらいに道を尋ね、「つぎを右」「この裏」「となりのブロック」など、みんなそれぞれいい加減に教えてくれ、途中でおなかがすいたので雲呑。 この町では、英語で道を尋ねるとみな決まって怪訝な顔をして要領を得ないのですが、中国語に切り替えると、明晰ながらいい加減な返事が返ってきます。結果ようやく探し当て、クッキーをぶじ購入。 その昔、大班ベーカリーのオーナーが若かった頃、こんな会話を交わしたことがあります。 「カウンターに可愛い女性をおいたら、もっと売れるんじゃないかな?」 「とんでもない!そんなことをしたら、時間がかかってしかたがない。」 「どうして?」 「パンなんて薄利多売なんだ。ひとつ売って利益は何セント。だからトランザクションは早くなきゃいけない。ひとつあたり2〜3秒でおさえたいんだよ。」 「ほほぉ。なるほど。」 「美人なんか雇ったら、ほら、いつシフトが終わるのとか、電話番号を聞かれたりして、トランザクションが数秒どころじゃない、分単位になってしまう。だから苦労して、手の早いブスばっかり集めてるんじゃないか。うちは意識してブスを集めてるんだ。」 ちなみに当日その店で対応してくれたのは、可愛くて愛想のいい女性でした。きっと競争が激しくなったので、戦術を変えたのでしょう。 ふたたび地下鉄7番線に乗りマンハッタン。ラジオシティーミュージックホールに立寄り、クリスマスのスペキュタクラーの切符を買い、1番線に乗ってホテル帰着。午後はシンディーと俊聲が「うちにおいでよ」と電話で誘ってくれたので、俊聲の運転する車に全員乗って、ジョージ・ワシントン橋を越えてニュージャージーへ。途中立ち寄ったショッピングモールでさんざん買い物をして、新しい旅行鞄まで買いました。花姫はいちばんのお気に入りのブツを買ってもらい、ごきげん。それはなにかというと、アメリカの町の雑貨屋で、おばあちゃんが棚の上にのったキャンベルの缶スープかなんかを取るときに使う、マジックハンドみたいなやつ。英語では「つかむやつ」とい

巡礼。ベーグル。ステーキサンドイッチ。

12月4日は日曜日。朝一番、ゼイバーズでベーグルなど買い求め、1番の地下鉄でサウスフェリー。スタテンアイランド行きのフェリーボートでコーヒーを買い、巨大なベーグルを食べ終わらないうちにセント・ジョージの波止場に到着。ターミナル全体が奇麗になったうえに、13年間で記憶がずいぶんあやふやになり、とまどいながらスタテンアイランド鉄道に乗りました。毎日通勤していたのに、記憶というのはアテにならんもんです。 月姫の生誕地への巡礼です。 オールドタウンという駅でおり、反対側のホームで帰りの電車の時刻を確かめ、途中でベーカリーに立ち寄ったりしながら、徒歩で小高い丘になっている墓地へ。海が見えるこの墓地は、赤ちゃんだった小さな月姫をつれてピクニックに来たところです。 今よりも若くて、金銭の余裕がなかったふたりは、バスと電車とフェリーと徒歩でずっと暮らしていました。 オーバリンストリートの小さな一軒家は、もうすでになくなっていました。お向かいのアンクル・パットの家だったところのガレージに自動車が停まりました。運転していたアルバニア人のおじさんによると、ご近所はことごとく引っ越してしまったとのこと。 「9.11で、みんなの生活がすっかり変わったんだよ。」 ちょっと寂しくなって、それから30分ほど歩いて海岸に行きました。 対岸にブルックリンが見えます。海に向かって左手には、ベラザノナロウズブリッジ。美しい吊り橋です。かもめがたくさん飛んでいます。こどもたちは砂浜でこころゆくまで遊び、走り、歓声をあげています。我が輩は内儀と、こどもたちもすっかり大きくなったなあ。時の経つのも悪くないね。こんどは花姫の生誕地巡礼だね、などと話しました。福美ちゃんにもいい気散じになったようです。 バスに乗って、橋の足下を通り過ぎ、ダウンタウンも通り過ぎ、ふたたびセント・ジョージの波止場。スタテン・アイランドにやってくる前に暮らしていたクイーンズ区のフラッシングは、とてもごちゃごちゃしたうるさい中華街ですが、ご飯は抜群に旨かったところでした。そこからスタテン・アイランドに引っ越そうと、そのむかしふたりで訪れたところをバスが通りました。「ダウンタウンのあたりはちょっと粗雑なかんじだから、もうちょっと奥で探してみようか。」などと話しあったことを思い出しました。 午後3時頃、42丁目の

パストラーミ・サンドイッチ。粥之家の中華。

12月3日は土曜日。ブランチは近所のデリー。我が輩はパストラーミ・サンドイッチ。46丁目のスパークスというステーキハウスの前で、1985年12月16日に暗殺されたマフィアのドン、ポール・カステラーノも大好きだったそうです。糖尿病を病んでいたので、ドクターに禁じられていたのだけれど、ときどきドクターの目を盗んでレキシントンのなんたらという店で食べていたとか。やはりアメリカ、分量は常識の2倍でした。 お疲れのこどもたちを福美ちゃんに預け、内儀とふたりでリンカーンセンターまで歩いていってチケットなど購入。「ずいぶん変わったね。」「どこを歩いているかもわからないくらいだね。」などと話しながら、ふたりだけの時代にタイムスリップしてデート気分。 午後、48丁目でバリトンサックスのリードを買い、グレイラインの赤い2階バスでマンハッタン観光。夕食はチャイナタウンの「粥之家」で、外はパリパリ、中はほかほかの手羽先など。昔の仲間たちがすっかり大きくなった子どもたちを連れて集まってくれました。それからチャイナタウン・アイスクリームファクトリーを経由して、茶餐庁というカフェーで泡茶。

アメリカンエアの機内食

12月2日は金曜日。朝いつものふつうのご飯を食べ、お昼過ぎまでのんびりと荷造りなどして、午後成田空港。チャプター11、日本でいわゆる会社更生法の適用を申請したばかりのアメリカン航空167便でニューヨーク。 機内食は意外と不味いビーフステーキ。それでも量だけは多いので、そうだこれがアメリカだった、ぜんぶ食べてはいけなかったんだと、ブーデー化への警戒心がもくもくと雲のように沸きおこります。それにしても、なんという浪費大国でしょうか。 着いたら夕がた遅くになっていて、ずいぶん行列してイミグレを通過。荷物をもらって出口を出たら、ずいぶん頭髪が後退した大佬が待っていてくれて、79丁目のホテルへ。近所のデリーでサンドイッチとビールなど買い求め、ホテルに戻りました。瓶ビールをいろいろ試してみたけれど、やっぱりブルックリンビールが最高。