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4月, 2015の投稿を表示しています

高級料亭ナイーブでレタスとカバーブ。アララットクラブで鱒の焼き魚など。

えっと、久しぶりの投稿。忙しかったからなあ。 25日に到着した御一行をエンゲラーブホテルにチェックイン。このホテルはチェックインのため客を30分以上待たせるだけあって、鼻の高さは第六天よりも高く、態度は浮木に出会えない盲亀の腹のように冷たい。我が輩の連絡を受けたオフィスからホテル側に「日本のe-ラーニングのゴッドファーザーに対する取り扱いとして如何なものか?」と疑義を呈したところ、「苦情は貴方から当方にご足労頂いたうえで伺う。」とのこと。 やれやれ、これで制裁解除されたらどうなるこっちゃら。 26日の日曜日は朝から会議。お昼はイラン飯。午後も会議。夕刻はイラン側のご招待でナイーブというレストラン20:30。有名料亭らしく、ドアマンもウェイターも蝶ネクタイ。前菜がレタスの丸ごとクオーターぶったぎりトマト添え。メインはカバー ブ。ふつうの外食やん。 27日の月曜日も朝から会議。お昼はイラン飯、午後も会議。夕刻は日本側の招待でアララットクラブでチーズ盛り合わせ、ポテトサラダ、ナスとトマトの煮込みペースト、ビーフストロガノフ、鱒の焼き魚、フレンチフライなど。ビールと焼酎持ち込み。 28日の火曜日も朝から会議。お昼はイラン飯。午後の会議を早く締めくくり、一行は市内視察。我が輩は帰宅。ひさびさの我が家での飯は冷やしそば。 29日の水曜日はふつうに出勤。お昼は弁当。夕刻、家族と日本人学校近くで合流して帰宅。あれこれつまみながら自家製ビールや自家製ワインや頂きもの焼酎を飲み、締めくくりは炊きたてごはんと頂きものの「ごはんですよ。」

アヤム・チャリチャリみたいなチキン。フライドポテト。セロリときゅうりの生姜牡蠣油胡麻和え。

金曜日はお休み。朝ごはんはバルバリとチーズとコーヒー。ジャカルタのダウンタウンのラトゥ・プラザというショッピングモールの1階にあったカフェで食べた旨辛いチキン料理のことが話題になり、それが食べたくてたまらなくなった内儀はスパイスを買ってその料理に挑戦することに決定。お昼過ぎにみんなでお買い物。久しぶりにビール材料のモルトドリンクを買いました。1.2リットルくらい入っているのが6本で12万リアル=450円くらい。その炭酸を飛ばしてぶどう酵母と砂糖大さじ12杯を入れ、よく混ぜてもとのペットボトルに密閉して1〜2日放置すると爆発するので、ときどきガス抜きをしてあげるだけです。 買い物のとき、近所の通りの中央分離帯が公園みたいになっているところを歩きました。 「夕がた会社の帰りにここでときどきな、ブッサイクな犬連れたおっさんに会うんやけどな、そのおっさんの表情がな、ワシ散歩させられてるだけでんねん、ワシが好きで飼うてる犬とちゃいまんねん感が満載やねんで。」 花子いわく、 「しーっ!日本語わかるイラン人多いんだからね。ブッサイクって大声で言わないで。」 その顔には、 「こんな下品なことをいうおっさんは私の父親とちゃいまんねん」感が満載やった。  夕食はもちろんそのチキンがほかほかに炊いた長粒米ごはんにのっています。隠し味はシラーズで買ったざくろペースト。とても旨いのですが、我々が求めている味とはちょっと違ったので、夕食後は夫婦でレシピ探し。ついでにマレーシアの飯のことも話題になり、調べているうちにマレーシアに行きたくなりました。

串カツ。ポテトサラダ。巻き寿し。肉じゃが。←テイクアウト。内儀→野菜サラダ。きゅうり浅漬け。

木曜日は出勤。議事録など作っていたらあっという間に1日が過ぎ、夕刻急いで帰宅。着替えて内儀の料理をもってハイヤーに乗り所長宅。串カツ。ポテトサラダ。巻き寿し。肉じゃが。←テイクアウト。内儀→野菜サラダ。きゅうり浅漬け。久々のウィスキー。クリアブラックニッカを開け、バランタインに移行したらクリアブラックニッカのほうがうまい気がしたぞ。11時過ぎまで歓談。

野菜サラダ。揚げ豆腐。きのこパスタ。

水曜日。朝8時半にエネルギー省。10時のアポがキャンセルになってやれやれと思ったら、朝刊に担当しているプロジェクトの記事がでかでかと載ったので、問い合わせで忙殺。12時にレポート会。14時に某企業の知己がご来訪。16時にあたふたと自動車にのり、渋滞の中を某政府系シンクタンクへ。18時過ぎにホテルでお見送り。帰宅したら拙宅で日本人学校祭りの打ち合わせ。夕食は20時ごろ、野菜サラダ、揚げ豆腐、きのこパスタ。我が輩も疲れたけれど、内儀も疲れただらうなあ。前日早く寝ていてよかったよ。

チキンカツ。焼鮭。茹でジャガイモサラダ。きゅうりの酢の物。混ぜご飯おにぎり。野菜スープ。

月曜日。夜は急な来客にもかかわらず食材在庫がそこそこあったのと内儀の大奮闘でチキンカツ、焼鮭、茹でジャガイモサラダ、きゅうりの酢の物、混ぜご飯おにぎり、野菜スープ。鎮魂酒の在庫も払拭しました。いやあ旨くてたのしかったなあ。

ひじき煮。ブロッコリとじゃがいもとズキニー炒め。

日曜日。朝はいつものご飯。お昼は弁当。夕刻さっさと帰ろうぜと考えていたら来客。5時に退社。いつもと違うヨーグルトを買って帰宅。ゆうがた6時ごろの街を歩くと、あちこちで香ばしいいい匂いがします。パン屋の前を通ったら、熱々のバルバリを3枚ばかりジャケットに包んで抱えた男の子と母親がいました。男の子は頼もしいね。 帰宅したら来客があったらしく、とてもうまい残りものがありました。なすとトマトの煮込みペースト。へにゃへにゃのナンになすりつけて喰ったらそのうまいこと。ワインがすすみます。てな按配で、内儀と例によってあれこれ話しながら(毎日顔を合わせているのに話が尽きないのが外国生活の旨味)すっかり酔っ払い、ごはんとひじき煮、ブロッコリとじゃがいもとズキニー炒めで夕食を終えました。

焼き鮭茶漬け

土曜日。前夜に花子と宿題をいっしょにやって、ひさびさに脳の違う場所をつかったせいなのか非常に眠くなり10時半に就寝。朝がたに引越しをする夢を見て目覚めました。朝はご飯と卵焼きといんげん胡麻和え。お昼前に月子と待ち合わせて野菜や卵など買い物をして帰宅。お昼は内儀の温うどん。午後は満洲〜ウイグル関連の調べ物など。その途上で物故した恩師の年譜を発見。つぎの一節で思わず吹きました。 1975(昭和 50)年 4-5月 日中友好の翼・兵庫県各界友好訪中団の一員として、上海→北京→天津を廻る。 宴席で火を噴く大道芸をしようとして、伊藤道治神戸大教授に止められる。 中国の白酒はアルコール度数が高いので、白酒を口に含んで霧にして出し、それに点火したら火を吹くように見えます。そうえいば在学中に恩師のそれに類する伝説を聞いたことがあるような。張家口の蒙古文化協会で勤務中に終戦を迎え、「規律正しい」という八路軍に興味を持って会いに行って拘束され、のちに通訳をやり、これじゃ学問が続けられないと思ったので単独行動をして国民党軍の捕虜になり・・という恩師らしいエピソードです。 夕方から下のプールで家族揃って水泳。娘たちが成長して目のやり場に困りますな。部屋に帰ってから焼き鮭をのせた鮭茶漬け。

ピッツア

木曜日は休みをとりました。朝ご飯はバルバリとクリームチーズとコーヒー。内儀がPTA役員会で外出したあと、娘たちと文房具屋などでお買い物。お昼は豆ご飯。缶詰の豆トマトソース煮を温めてご飯のよこに置いただけ。「口のなかがもちゃもちゃする」と娘たちが言うので、にんにくの酢漬けをだしたらぽりぽりかじっていました。うむ、なかなかよろしい。夕がた内儀と待ち合わせてピッツア屋でテイクアウト。諸物価値上げの折とはいえ、1枚1500円相当というのは高いな。ピッツアは味も価格もイスラマバードのほうが宜しいようで。 1日のんびり情報集めをしていて、最近のウクライナなど世界情勢をとてもわかりやすくまとめた記事をみつけました。 Washington’s War on Russia by MIKE WHITNEY http://www.counterpunch.org/2015/03/18/washingtons-war-on-russia/ 要すればアメリカはEUとロシアを戦争させて分断させ、アメリカのグローバル企業が優位性を失わないようにするという都合のいいことを考えているとのこと。然るに、 「ロシアのじゃがいもの60%以上は家庭菜園で生産されている。」 「1億5000(万人)総兼業農家!」 「この類まれなるバッファーがあるからこそ、ロシア人は途方もなく過激にもなれば、途方もなく気が長かったりするのだ。」 以上、米原万里さんの「ロシアは今日も荒れ模様」(講談社文庫)から。 アメリカはロシアのことをわかっているようでわかっていないんじゃないかな。しかもNATO軍(=アメリカ軍)機甲部隊をドイツから1500kmも行進させてロシア国境で演習をやらせ、また1500kmも行進させてドイツの基地に戻すなんてやりつつ、結果的にチェコ住民にプラハの春を思い出させるなんてアホなことに大変な経費をかけています。 戦争だけはいやだなあ。

揚げ茄子と揚げ豆腐煮。きゅうりとわかめの酢のもの。柔らかめに炊いたご飯。

水曜日。お昼に調査団報告会なので内儀にサンドイッチを作ってもらい早弁。つけてくれたブロッコリサラダが画竜の点睛。素晴らしい。午後は大使館。夕刻なんだかんだを片付け、ヴァヒッド君とあれこれ話しながらバス停まで徒歩。帰路ぶどうジュースを買って帰宅。昨日ほど寒くありません。帰宅して夕食は 揚げ茄子と揚げ豆腐煮、といっても普通の豆腐ではございません。イラン人のおばちゃんが日本人から技術移転され、たっとうな大豆でまっとうに作っている保存添加物なしの木綿豆腐を自宅で揚げたものですぞ。さらに、きゅうりとわかめの酢のもの。そして柔らかめに炊いたご飯。

野菜スープとおこげごはん

日曜日。テヘランに来て4ヶ月めにはじめて雨らしい雨が降りました。タクシーで出勤したら、いつもの半分の時間で到着。昼はお弁当。お弁当のあとさっさと退社し、内儀と両替屋で待ち合わせて日本人学校PTA総会。総会のあと帰宅して内儀と乾杯。野菜スープとおこげご飯で夕食を済ませ、いい加減酔っ払ってから緊急の買い物で花子と外出。ついでにパン屋でまだ温かいバルバリを買い、花子はイラン人のみんながやるようにもぐもぐ食べながら帰宅。パン屋さんでバルバリを買って歩き喰いする楽しさをわかってくれたようです。 ところで添付の写真は近所のスーパーマーケットで買ったスモークトチーズです。大変旨く価格も手ごろなのですが、どこの国の言葉なのかわかりません。知っていたら教えてください。

揚げ豆腐。きゅうりとセロリの牡蠣醤油胡麻和え。きむち。

土曜日はほんまは休みやのに朝からエネルギー省。お昼はエネルギー省の地下食堂でミートソースかけご飯。ご飯にはレーズンと豆がはいっていました。ご飯よりスパゲティにかけたらより美味かっただろうな。午後は事務所で夕刻さっさと帰宅。帰宅したら前日修復したルービックキューブがまた崩壊していて再度組み立て。夕食は揚げ豆腐。きゅうりとセロリの牡蠣醤油胡麻和え。きむち。

PTA役員会。鶏肉炊き込みご飯。揚げ豆腐と茄子の揚げ煮。きゅうりとセロリの牡蠣油胡麻和え。

金曜日は拙宅でPTA役員会。あれこれ話し合ったあと鶏肉炊き込みご飯。揚げ豆腐と茄子の揚げ煮など。持ち込みいただいた惣菜もことごとく旨く、ワインも進みました。夕食はそのお流れ。

肉じゃが。ブロッコリサラダ。

火曜日は発電所見学。お昼は発電所で豪華昼食。サラダ。スープ。チキンカバーブ。これはふつうの従業員と同じ食事だそうです。さすが。お土産はペルセポリスの豪華本とナイフ包丁セット。うーむ、こりゃまるで結婚式の引き出物じゃあーりませんか。ペルシアはお土産文化。帰宅して肉じゃがとブロッコリサラダ。前日よりうまくなってました。

夜総会。炊き込みご飯。チキンチーズ挟み焼き。肉じゃが。ブロッコリゆでたまごサラダ。いわし唐揚げあんかけ。きゅうりわかめ酢の物。

月曜日は調査団を招いて夜総会。スモークトチーズなど盛り合わせに引き続き、炊き込みご飯。チキンチーズ挟み焼き。肉じゃが。ブロッコリゆでたまごサラダ。いわし唐揚げあんかけ。きゅうりわかめ酢の物。

鶏肉入り野菜炒め

日曜日。朝はスーツでいつも通り出勤。午前中に調査団とエネルギー省。そうそう、イスラマバードで一世を風靡した綾ちゃんが調査団の秘書役でやってきました。お昼はエネルギー省の食堂でカバーブめし。午後遅くに帰社してあれこれしていたらあっという間に夕方。ジャムジャムスーパーで紅茶を買って帰宅。帰宅してシャワーを浴び、夕食は鶏肉入り野菜炒め。 今日は月子が不機嫌で帰ってきて、花子になぐさめてもらっていたらしい。いわく教室で濃い系のにいちゃんに「隣に座っていいか」と尋ねられ、「オッケー」と気楽に答えて座らせてやったら、だんだんその濃さが嫌になり、最後に生理的に受け付けなくなったらしい。パキスタンで濃いのにガン見されつづけたトラウマがここにきて発動したのかな。 「パパぐらいの濃さだったらどうなんだろう?」 「 パパぜんぜん濃くないじゃん。」 「将来留学するときは薄い国にしな。ロシアとか。」 「そうするよ。」  クラスメートだった中国人の若い女性で、「濃けりゃなんでもイケメン」と思っている人がいるらしく、濃いのに声をかけられたら1日ハッピーみたいなのがいるそうな。 「ま、そんなんにならんでよかったやん。そう考えたら、年頃の娘を連れてパキスタンで暮らす、っちゅうのも悪くなかったよな?」と内儀にいうと、 「まぁ、そやな。」と内儀。 そんなことを内儀とあれこれ話していたら、花子に「仲がいいんだね」って言われました。 「そうだよ。ふたりは親友だから。」 親友というか、戦友というか。

焼きシャケ。イエメン考察なんてね

土曜日。世間は普通に戻っていました。普通に戻らなくて路上駐車も排気ガスもないテヘランのほうがいいなあ。月子も本日から授業。お昼前後に八百屋と肉屋で買い物のあと月子とおちあって帰宅。午後は調査団のホテルに出かけて打ち合わせ。もう半袖夏服でいいくらいの陽気です。帰宅して夕食は焼きシャケと茹でブロッコリ。 それにしてもどうなるのかねーサウジなど湾岸王国連合軍のイエメン侵略。イエメンなんて誰も欲しくない、っていわれているのに。スンニ派55%、シーア45%で、産油国じゃない超貧乏国。でも沖合を世界の原油の30%かなんかが通過している。中身はぐちゃぐちゃだけど、立地が立地だけに皆が無視できない。でも誰も何もやりたくない。 さてそんなところに手を出したサウジはこれからどうするつもりなのか?サウジ王は金持ちの2代目3代目。2代目3代目の特性として、自分に何ができて何ができないかをよく理解しているから、他人にやらせる。他人にやらせる場合、できるやつにやらせる時と、できないかもしれないけれどやる気のあるやつにやらせる時がある。近所を探してみたら、おお居るじゃないか、できないかもしれないけれどやりたくてたまらないやつが。てなわけで、我が輩がサウジ王なら、ボコって侵略しておいて、パキスタンにイエメンを任せるかも。パキスタン政府は金のためなら、できるできないは別としてなんでも引き受けそうじゃん。

野菜サラダ。ムゼメリ見学。

金曜日。朝はパンケーキ。娘たちに手伝ってもらい卵を卵黄と卵白に分け、卵白を泡立て、卵黄は砂糖と合わせ、小麦粉をふるってミルクで溶いて裏ごしし、卵黄・卵白と合わせて焼きました。結果は小麦粉が強力粉だったらしくクレープの皮っぽいパンケーキ。でも大好評。こんどから娘たちに作ってもらいましょう。 午後はタクシーにのって国立(めり)博物館(むぜ)見物。ペルシア語では形容詞が「え」という音を介してあとからくっつくのでムゼメリ。コンパクトな博物館なのであまり疲れずに見学終了。バスにのってアップタウンに戻り、腹ペコなのでいつものジャメジャムの2階フードコートでハンバーガーなど。 帰宅してシャワーなど浴び、のんびりぼんやり。 夕食はサラダ。茹でインゲン。にんにく生姜いためズキーニ。茹でたまごなどをごま油醤油で和えたもの。ワインによくあいました。 ところでイランとP5+1の核協議。さっそく合意内容がでてきました。 http://www.zerohedge.com/news/2015-04-02/iran-nuclear-deal-fact-sheet しかしアメリカ政府が流した文書は「段階的」制裁解除というのが合意内容と違う、ということでさっそく物議を醸しています。RTによるとロシアは「合意内容を改変するのであれば安全保障理事会にかけるってことになっていたよね」とオバマを牽制にかかっています。さてどうなるこっちゃら。

揚げ豆腐。核協議の合意。

4月2日は木曜日。イランは水曜日のイスラム共和国革命記念日にひきつづき「自然の日」でお休み。この連休イラン人はみなピクニックにいくのだそうです。我々は遅い朝ごはんのあと皆で買い物。帰宅して内儀の作ってくれた炒飯スペシャル。夜遅くなって揚げ豆腐。 夜中近くにテレビを見ていたら、「核協議で合意」とのニュース。最後の合意項目が「使用済み核燃料を監視のもとで輸出すること」なんだって。さてどこで再処理するのか。 http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/04/04070107/01.gif これを見るとロシアがいちばん近いんじゃないかな。ロシアの外相ラブロフさんが議論が煮詰まりそうなときにひょろっとやってきて、昨日あたりにすっと帰ってしまった、そのときに「うちで責任持って引き受けますんで」なーんて言ったのだろうか。 それにしても、ラブロフさんもイランの外相も賢くて上品で、インタビュアーに優しく、疲れを知らない。外交のトップっていうのはかくあるべし、という感じです。それに比べてアメリカのヴィクトリア・ヌーランドさんたらチョンバレの嘘をつくときの醜さが際立ってますね。 閑話休題。イギリスが自国の糞通貨政策の尻拭いで国庫保有の金を6割がた中国とインドに売ったのだとか。イランは最後の経済処女地。アメリカもイギリスもEUも(もちろん日本も)糞通貨政策でやばくなってきたところ、戦争するか経済処女地進出かあるいはその両方か、という瀬戸際での核協議合意。グローバル経済に組み込まれるイランは、これから通貨政策の極めて微妙な舵取りをしなければならなくなります。

八宝菜。「ネパール王国探検記」

前日3月31日の備忘録。晴れた日。ほぼ定時で退社。肌寒いくらいの強い西風が雲を吹き飛ばし、東のほうの丘陵地帯がくっきりと見えました。帰宅したら娘たちは部屋にひきこもっていて、内儀もけだるそうです。外出のあと4時頃にハンバーガーを食べたので、満腹でやるきゼロとのこと。我が輩もそんなに腹が減っているわけでもなく、夏時間になって世間も明るいので、コーヒーを入れてバルバリを焼き、アモールのクリームチーズをつけ、酢漬けにんにくやフレンチフライの残りをフライパンでかりかりに焼いたのといっしょに食べ、それで満足してしまいました。シャワーを浴びてぼんやりとテレビを眺め、そのうちに小腹の空いた女性たちがそうめんを茹でたので、それをつるつるとすすって再び満足。 さて本日は4月1日で祝日。3階くらいまで登っていけるような脚立を買ったら中国製なので使い物にならず、千船のおじいちゃんの饅頭屋の3階の作業場にアクセスできないじゃないか、という夢から覚め、コーヒーとバルバリの朝食。 朝から川喜田二郎博士の「ネパール王国探検記」を読み、昼過ぎに野菜ラーメンの昼食。みんなで出かけ、バスに乗ってぶいぶい坂道を登り、終点の田尻ッシュという山の麓に到着。マーケットで服屋などを冷やかし、野菜を買ってバスにのってぶいぶいと坂道を下って帰宅。シャワーを浴びてふたたび「ネパール王国探検記」に戻り、夕食は月子のリクエストで八宝菜。食後に「ネパール王国探検記」読了。こんな下りを読むと、合理的で近代的で用意周到なはずの日本人がなんで冬山に登って遭難(2ちゃんねるではパンパカっていうらしい)するのか、考えるヒントになります。いわく、 とうとう私は漠然とこんなことを考えはじえる。たったひとりの力で、彼らは無限の高い境地に達しようとしているのだ。おのれの持つすべての力をつくして達しようとしているのだ。その到達境地において、彼の霊と肉と、つまり、ひとりの人間が持っているふたつのものは完全に合致するであろう。彼は完全な自由の境地をかちうることだろう。そのときこそが酔生夢死の人生を去って、彼がもっと充実して「生きている」という実感に立つときである。それがさとりの境地なのであろうか。 云々。一神教なんていう、人生と世界をややこしくするだけの宗教をもたない日本人にとって、ひょっとして山が宗教なのかもしれないと思いませんか