お昼は角上の巻き寿司。午後、月子の学校で面談。帰路、道端の店ですいかと枝豆を購入。 夕刻帰宅したら、玄関前に野菜をいれたビニール袋がおいてありました。中身はきゅうり、なす、トマトなどふんだんにありました。内儀が心当たりに電話しましたが、誰が置いたのかよくわかりません。原村親善大使閣下によると、 「よくあること。」なのだそうです。 農家とか農家の親戚の人が、とれすぎた野菜を配ってくれるみたいです。リアル野菜サンタクロースやん。 「そのうちに電話があって、『どうだった?』と尋ねる人がいる。」のだとか。 ジャン・バルジャンが長野県に生まれていたら、飢えることもなく、パンを盗んでブタ箱に入れられることもなかっただろうに。そしたら名作レ・ミゼラブルも生まれなかったにちがいありません。当時のフランスもいまの日本の都会と同じく殺伐とした社会的雰囲気だったのかもしれない、と内儀と話しました。 夕食は枝豆。あさりの酒蒸し。豚肉と巨大ズキニーの煮物。まぐろ叩きと山芋おろし。内儀いわく、「あさりと豚肉は豆腐鍋にするつもりが油断した」のでBBAに使われてしまったのだそうです。BBAの料理はたいへん旨いからええじゃないか、というのがこのところふたりの共通了解事項になりました。