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7月, 2015の投稿を表示しています

飲茶。アイスカチャン。

金曜日。朝起きたら現地時間で8時過ぎ。メールなどチェックしてから内儀を起こしたのが10時前。11時過ぎにエミ・リムが迎えに来てくれて、高層コンドミニアムが林立するモント・キアラ。そこでジェーン姐姐と落ち合い、姐姐のマツダで喜粤大飯店。そこで飲茶。海老焼売、海老河粉、焼豚甘煮包子、餅米の鶏肉冬姑 煮、羅伯羹ともやし炒め、海老と白身魚のお粥、小籠包などすべておいしく、デザートの杏仁豆腐花、芒果布丁までおいしくいただきました。やっぱりマレーシアの中華は中華文化のいちばんいい部分を楽しんでいるラッキーな人々だと思いました。 聖母観音寺で観光。記念写真など撮影。それにしてもテカテカの仏像など、相変わらずの中華即物趣味はまったく奥ゆかしさとか哲学性を感じさせませんなー。そのうちに雨が降り始めたので急いでクルマに戻り、ミッドバレーショッピングセンター。内儀、エミー林、姐姐がカフェでおしゃべりしているあいだに月子花子のボディガード役で若向き店の徘徊。それからワルン(屋台、インドネシア語やん)という名前のフードコートでABC(アイス・ブブール・チャンプール、つまりかき氷に仙草やら 餡やらナタデココやら入れたもの)を月花と食べ、内儀一行と邂逅したらそうとう疲れた顔をしていたらしい。それから金舗で月子のピアスをあけてもらい、我が輩は内儀月花と別れ姐姐、エミー林とホテルに送ってもらいました。内儀月花はこれから旧友ユキさんと邂逅です。 ホテルに帰着してシャワーのあとギネス。

カレーヌードル。クアラルンプールの中華。

7月30日。剣道は上半身と下半身を別々にトレーニングしたほうがじつはいいのだ、というような夢を見ていたら窓が開けられて朝日がはいり、朝食が配られ、我が輩は水とパイナップルの切片だけ摂取しました。 飛行機がクアラルンプールにぶじ着陸し、入管、両替、荷物検査を終えてKLエクスプレスの電車に乗ってセントラル駅。前夜のピッツア以外なにも食べていない腹ペコの一行は、駅のフードコートでカレーヌードルとビーフスペシャルヌードル。内儀がひさびさのカレーヌードルで感動。娘たちもビーフスペシャルヌードルで満足。ただし「スペシャル」の内臓煮込みはちょっと抵抗があったらしく、我が輩が食べました。 久しぶりのクアラルプール。家族といっしょに来たのは12年ぶりくらいです。高層ビルがずいぶん増えました。 タクシーでホテル。ホテルでは部屋が準備できるのが午後3時というので、チェックインを終えて荷物を預け、KLCCでショッピング。ショッピング中に外が豪雨。途中、フードコートで休憩し、メロンジュースとココナッツ割りジュース。 へとへとになってホテルに帰着。我が輩はとなりの福春にビールを買いに出ました。シャワーを浴びたらエミー林(リム)とジェーンちえちえ(姐姐) から電話があり、もうホテルの前に来ているんだと。旧友たちとダウンタウンの海鮮酒家で中華。エミー林とちえちえの、英語と広東語を交えたマシンガントークを堪能。10年ぶりというのに、ふたりはあんまりふけていなかった。 いろんなところで中華の人々と知り合ったけど、マレーシアの中華民族は世界でいちばん幸せな中華じゃないかな。なにかあったら家族親族友人たちであつまって中華料理を食べたり、その中華料理がとても旨くて値段が庶民的だったり・・っていう意味で、中華文化のいちばんいいところを楽しんでいる気がする。南方の血と混血しているので彫りの深い美人も多く、豊かなところなので体格もいい。ちゃんと中国語も伝えていて、基本的な漢字は読める人が多い。しかもクアラルンプールでは祖先の福建語、広東語、そして最近は北京語も勉強している。首相の汚職糾弾デモがあるかもしれないという噂をよそに、夜の街は賑わっていて、ざっくりといえばダウンタウン全体が巨大なショッピングモール。高層ビルのあいまに昔ながらの平屋のメシ屋街があるというのもここならでわの風情です。 食

バルバリ。ほうれん草の味噌汁。

7月29日水曜日。朝はバルバリ。ぼちぼち荷物をまとめ、冷凍庫の霜取りなどしました。夕方内儀のつくってくれたほうれん草の味噌汁をみんなで食べ、夕刻6時に出発。ほぼ2時間後に空港につき、荷物検査とチェックインを終えたら午後9時になっていました。意外と混んでいたなあ。空港のフードコートでピッツアを食べた。美味くて、でっかいサイズで25万リアル(1000円くらい)というのはテヘランのうちの近所より安いくらいだぞ。時間になったのでゲートに向かい、例によって1時間以上遅れて出発。やれやれ。経済制裁解除されたらこの調子でやっていけるのかねー。 マハン航空では、飛び立つ時にシートを倒したままでも客室上部員が誰も注意しない!ま、そもそもマハン航空のエアバスの座席は前後スペースが狭す ぎ。豊かなイランでハイカロリーなイランめしを食っているイラン人はだいたいにおいて体格がいいので、これじゃあキツイでしょ、だからシートの背もたれを 倒すのは仕方ないということなのか?それともシートを倒しても倒さなくてもホンマのところ、どっちでもいいのだろうか?目かくしマスクをして寝てしまったので、機内でなにも食べず。

野菜スープ。バルバリ。

火曜日。朝はいつものように出勤。お昼は鮭弁当。午後テレビ会議。夕刻仕事を片付けて退社。帰宅して野菜スープとバルバリの軽めの夕食と鎮魂酒。食後メールを見たらマレーシア時代にお世話になったボスからなつかしいメール。彼はエスパーニャ、我輩は中国語ながら姉妹校の後輩ということでずいぶん懇意にしてもらいました。ま、我々がいま学生さんたちを招いて宴会をしているのも、その偉大なボスから受けた恩を次世代につなぐという意味があるというわけです。

イワシ唐揚げ。温泉ゆで卵醤油かけごはん。ブロッコリのサラダ。

月曜日。朝ごはんは温泉卵醤油かけごはんと牛肉セロリ炒め。いつものように出勤。お昼は卵焼きと牛肉セロリ炒め弁当。夕刻帰宅。お茶を飲んでからメロンを切って食べました。夕食はイワシ唐揚げ。片栗粉をつけて外側をばりばりに揚げたいわしをだし汁にじゅっとつけてそのまんま食べます。旨い。それを堪能してから温泉ゆで卵醤油かけごはん。旨い。ブロッコリのサラダ。旨い。食後にコーヒー。このごろ娘たちが洗いものを手伝うようになりました。

温泉ゆで卵のせ冷やしわかめうどんをわさびで食った。

日曜日。朝がた、学校のようなところでいきなり発表をさせられた夢をみました。テーマは「天然ガスで動くロータリーエンジン」とかなんとか。朝はいつものように出勤。会社について夢のことが気になったので調べてみたら、天然ガスどころか水素で動くロータリーエンジンもあるのだな。さすがマツダ。お昼は鮭といんげん胡麻和え弁当。夕刻、花子にたのまれたポテトチップス、内儀にたのまれた卵、我が輩の整腸剤メロンを買って帰宅。兄貴とスカイプをしてから、夕食は温泉ゆで卵のせ冷やしわかめうどんをわさびで食った。たいへんうまかった。

そら豆サラダ。焼きそば。がんもどき煮。鶏肉セロリトマト煮。などの残りもの。

金曜日。たいして酒も飲んでいないのに内儀は二日酔い。昼前の朝ごはんは焼きそばとカンもどき煮の残りを温めました。午後はテレビ映画など。夕刻、開高健の「輝ける闇」再読。秘蔵のブラック・グラウスを飲みながら。これはフェイマス・グラウスの上級版で、 特別な秘密の在庫なのだ。我が輩はそら豆のサラダを食う。内儀は料理の魔女だ。彼女のそら豆サラダは誰もかなわない。  アルボルズの山々に雲がかかる夕方である。 「文学は膨らましだけじゃない。三島由紀夫みたいに膨らますのだけが芸なのではなく、 開高健のように削るのもまた文学なのだ」 と谷やんに言ったのは昨晩のことか。  モスレムに改宗したくせに割礼もせず、豚玉イカのせお好み焼き豚肉と酒への未練を断ち切れない谷やんなのであった。 我が輩はブラック・グラウス、秘密の在庫をきっちり2杯飲む。 こんなハードボイルドな夕方は、岩上ユタカさんのアパートに転がり込んだ1987年以来だ。我が輩と同じ年の岩上ユタカさんは、夕刻に歩いていけるタカホー駅前のスポーツバーに出かけ、ルールのわからないアメリカンフットボールをテレビで眺めつつ、ビールやスコッチを飲んだのだった。 そんなハードボイルドな日々も遠く過ぎ去った。 岩上ユタカさんんはユダヤ系女性と結婚し、我が輩は流山の女性と結婚した。 アフガンでもイラクでも、アメリカ人がやっていることはベトナムと同じはずだ。 ウェイン大尉はジャック・ダニエルズを飲む。開高健もジャック・ダニエルズを飲む。 「夜がなくて昼ばかりだったらこの不思議の国では誰も死ぬものはあるまいに」 と開高健は書く。

夜総会。生野菜スティックとホムスのディップ。そら豆サラダ。焼きそば。がんもどき煮。焼き鮭マッシュルームソースかけ。鰯の南蛮漬け。鶏肉セロリトマト煮。牛肉薄切り炒め載せサラダ。アティカ製グラタン。ケーキ各種。

木曜日。朝はいつも通り出勤。お昼はサラダと海苔おにぎり弁当。夕刻さっさと退社。シャワーを浴びたら最初の来客。月姫のペルシア語家庭教師の美人先生と彼氏。野菜スティックを食べながらあれこれ話しているとTさん一家ご来訪、続けてマユコ、谷やん、ケイコ先生、そしてタナカさん。各位からケーキやグラタンなどお土産をいただきました。深夜まで豚肉ネタなどで語りました。

赤だしの味噌汁。揚げ豆腐。焼き鮭。ごはん。

水曜日。赤だしの味噌は名古屋人からもらったのだとか。具はたまねぎとわかめ。豆腐は揚げたての上に生姜をすりおろし、刻みねぎを載せて醤油をたらーりとかけ、熱いところをいただきます。鮭は皮がぱりぱり、中身はほかほか。肚身のゼラチンとぱりぱりの皮で舌がとろけます。いやは、日本人でよかったね。

温泉茹で卵ひやしうどん

火曜日。 それにしても変な夢だったなあ。 我が輩は谷底の土地に立っている家に住んでいて、外務省の人がそこでパーティーをやっていた。外交官のパーティーなので参加者はみなちゃんとした格好をしていて、我が輩だけがステテコにTシャツなのでちょっと恥ずかしかった。でも自分ちなんだよね。 参加者のなかにスーツを着た髪の長い女性がいて、こう言った。 「私はあなたの母上を存じ上げております。あなたにいつか滋賀県に行ってある人物にあって欲しかったと聞いております。今日は時間も車もあるので、あなたを滋賀県まで送っていくつもりでおります。」 我が輩はあのことだとすぐにわかりました。 「でもいまから滋賀県まで行ったら帰ってくるのは夜の11時をまわってしまいます。」 「そんなことはかまいません。なんなら泊まりがけでもいいのですから。」 朝はお日さんの出てる方角に群雲が出ていて、ずいぶんさわやかでした。高原に住んでいるというのを思い出します。出勤して、お昼はサンドイッチとサラダの弁当。夕刻退社して、八百屋でメロンなど買い求めて帰宅。夕食は温泉茹で卵ひやしうどん。 食後コーヒーを入れて内儀と情報交換。

揚げ高野豆腐丼。

月曜日。花子は学校が夏休みなので、久しぶりにひとりでバス停まで歩いて出勤。大通りの角の店で毎朝佇んでいた爺様の姿がみえないので、大丈夫だろうかと思いました。お昼は弁当。夕刻さっさと退社してぶどうジュースとバナナを買って帰宅。帰宅してシャワーを浴び、ぶどう酒の蒸留酒をソーダで割って飲もうとしたらそれが自家製ビールだったので、内儀とビールと柿ぴー。内儀とビールと柿ぴー。まるで「貴方と夜と音楽と」みたいだ。それからソファに寝転んで開高健「輝ける闇」を読んでいたと思ったらぐーぐー寝ていました。起こされて夕食。揚げ高野豆腐丼。これは内儀の工夫になる傑作でありまして、まず高野豆腐を鶏の胸肉みたいに味付けして唐揚げし、それを炒め野菜といっしょにあんかけにして丼にしたものです。鶏肉にしては整った立方体だな、と思ったら鶏肉じゃなかった、という趣向。楽しい。旨い。 食後、また酒を飲みながら「輝ける闇」を読了。テレビ部屋では内儀と月子が懐かしい映画「ゴースト」を観ていて、主題歌の「Unchained Melody」が聞こえてきます。生まれたばかりの月子をだっこして一所懸命に語りかける新米の父(我が輩)のBGMだった曲です。ただし我が輩のBGMはハリー・ベラフォンテ版。 さて、輝ける闇。 イラクで三馬鹿トリオ+2が拘束され、シリアでも拘束され殺され、さらに信濃毎日の現役記者が休暇を取って戦地にいって拘束され、というふうに続いているのだけれど、イラクでもシリアでもひとりの開高健も出ず、秋元啓一も出ない、なーんて昨日どこかに書いた気がする。 考えてみれば開高健がベトナムで九死に一生を得たのが1965年。そのころにはインターネットなんかなく、もちろんツイッターもフェースブックもない。 我が輩が最初の外国イラクに行った1983年だってそんなもんはなく、女に振られたのを知ったのはその手紙が書かれた3週間後だった。つまり手紙がバグダッドに届くまで3週間かかったっちゅうこっちゃね。そこをなんとか考え直してくれないか、なーんて返事がむこうに届くのにまた3週間。自分で折り合いをつけるしかない。 何が言いたいかというと、開高健は自分の体験、目前でおこったことをゆっくり熟成させて言葉を選ぶ時間がたっぷりあったということ。いまはツイッターで「屍体なう」みたいにすぐ発信できる。自分の目の前でお

野菜炊き込み御飯。野菜スープ。

日曜日。朝はゆっくり起きて味噌汁雑炊の朝ごはん。読書。開高健「輝ける闇」と「ち地中海文化の旅」の続き。お昼すぎに花子と近所の文房具屋にでかけたらしまっていました。午後アティカさんがご来訪。早い夕食は野菜炊き込み御飯と野菜スープ。夕方8時ごろから外は大嵐。

ホシュマゼ焼き。味噌汁雑炊。

土曜日。朝はすいか、メロン、パン(パラディウムモールで買ったやわらかいパン)、コーヒー。前日同僚のT氏宅でウオッカを久しぶりにストレートで楽しみ、いささか飲みすぎたことを反省。別に二日酔いとかはないものの、夜中に喉が渇いて2度ばかり起きて水を飲んだ。要するに久しぶりのハードリカーで軽い脱水症状になったんやな。これ毎日やってたら大腸に負担かかりまっせ。大腸癌の死の淵から生還した我が輩としては気をつけるべきことにこそ。 朝の読書。地中海学会編「地中海文化の旅(3)。」うーむ、こんなにたくさん地中海好きの日本人がいたとは。ほぼ変態の世界。 昼前後にひとりで地下プール。午後3時ごろ、セロリの葉っぱを使ったホシュマゼ焼き。 午後読書。司馬遼太郎「ロシアについて 北方の原型」司馬遼太郎を読むとなぜか頭がよくなったような気がするなあ。なんでやろ? 夜食に味噌汁雑炊。 最近の??? ひとつめ。 めくるめくファーストクラスの世界(Aviation Wire編集長 吉川忠行さん) http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20130318/245205/ によると、ファーストクラスではひとりでとても消化しきれないくらいの贅沢が準備されているらしい。けれど胃袋はひとつ。昨晩のウォッカじゃないけれど、本当の贅沢っていうのは何やろな?と思います。贅沢には2種類あるような気がする。ひとつはファーストクラスのラウンジと機内みたいな、他人様に見せるための贅沢。これは重複していればいるほど見栄えはいいのかもしれないけれど、誰がそのコストを負担するのか。もうひとつは自分のための贅沢。我が輩がごりごり挽いて入れるコーヒーみたいなもんかな。別にネスカフェでもええんやけどね。ちょっとした贅沢。コストは我が輩負担。 ふたつめの??? ファンド運営会社エクレクティカ・アセット・マネジメントのヒュー・ヘンドリー氏によると、中国株は最近下落しているものの長期の強気相場に入っているらしい。 ヘンドリー氏は、企業の利益率低下が反転する中で、「より長期の強気相場」に向けた材料が出そろったと指摘。「どうしてわれわれ投資家がこれを信じていないのか不思議だ」と述べた。 http://www.bloomberg.co.jp/news/

同僚宅で豪華夜総会

金曜日。朝はバルバリ、すいか、メロン、コーヒー。お昼前後にタクシーでパラディウムモールでお土産など買い物。帰宅してメロン、パン、コーヒー。夕刻、数十メートルしか離れていない同僚宅で豪華夜総会。アブソルートのウォッカ、フランスのウォッカ、フランスのワイン、料理の数々。夜更けに帰宅。

えび天ぷら。いか天ぷら。冷やしうどん。きゅうり。

木曜日。朝は鮭ごはん。いんげんの胡麻和え。卵焼き。道路がずいぶん空いているなか花子を学校に送ってから出勤。お昼は鮭といんげんの胡麻和えとたまごやき弁当。夕刻、退社して空いた道路を空いたバスで走り、バルバリを買って帰宅。夕食はえび天ぷら。いか天ぷら。冷やしうどん。きゅうり。なんでこんなに豪華かというと、食品在庫の一掃期間に突入したからです。

ホシュマゼ焼き。

水曜日。朝は味噌汁と卵焼き、ピーマンにんにく炒め、ふろふき大根。お昼は弁当。夕刻、雲がでて直射日光がマシになったなかを帰宅。帰宅したらチェナール祭り幹事マダム会の続きをやっていて、大いに盛り上がってました。楽しそうだなあ。 ゲストがお帰りになってからの夕食はホシュマゼ焼き。そのときどきの葉っぱ野菜を小麦粉たまご生地に入れてフライパンで焼き、醤油マヨネーズ唐辛子で食べるという超庶民的な、しかしとてもうまいメシです。 食後のコーヒーを楽しみながら内儀とあれこれ情報交換。マダム会で盛りあがっていたのは、「ある種の日本人が何を言いたいかを理解するのは意外と難しい」ということだったようです。 主題をまず提示してそれから理由を説明するという我々が当たり前と思っているスタイルの対極に、主題を提示せずその周りを一所懸命汗をかいて説明しているけれど、けっきょくいったい何を言いたいのかさっぱりわからん、でも本人は理解してくれない相手に対し、コイツ空気読まんやっちゃな、と思っていることがあります。こういう典型的な日本人のスタイルは我々のスタイルとぜんぜんちゃうし、日本語という以外に共通項はない、という話です。 そういえば最初アメリカにいったとき、日本人で日本語を喋っているんだけれど、いったい何を言いたいのかさっぱりわからん仕事仲間のおじさんがいて、しばらくたってから「それでポイントはなんですか?」と尋ねたら、そのおじさんが真っ赤になって「何をいまさら」と怒ったことがあったなあ。カジやんという別のおじさんにそのことを愚痴ったら、「あのおっさんはいつも肝心なポイントのまわりを一所懸命ぐるぐる回って汗かいてひとりで疲れてるんや。君が悪いんやない。」と言われて安心したことがありました。それからしばらく「何をいまさら」というのが内輪で流行したような記憶があります。 それはほとんど30年前の話なんだけれど、現代でもそういう日本人は以外といるのかもしれず、「空気読まない」なんて他人のせいにしている人の何十パーセントかはそういう人なのかもしれないと思いました。 そういえばむかし、国連で同時通訳やってたという人と話したとき、「日本人のおっさんでいったい何いうてるかさっぱりわからん人がおるよね」という話ではげしく同意したことがありました。「そういうときどうする?」って尋ねたらその女性は「全部は

P5+1核協議合意記念ディナー ふろふき大根。スズキの粗味噌汁。大根ときゅうりと人参の浅漬け。

2015年7月14日。朝はカレーお焦げライス。お昼の弁当もカレーライス。午後1時に核協議結果について発表があるというので、ソファー会議室に有志が集まってテレビを見ました。我が輩はしみじみと感動し泣きそうだったくらいなのに、イラン人同僚たちはなんとなく静かです。「心からおめでとう。」と握手を交わしましたが、30代の若いイラン人同僚が冗談半分にいわく、「経済制裁がない世の中でどう生きていっていいのかわからないんだよね。誰か教えてくれないかな。」 いやはやそのとおり。イスラム革命から35年間、ずっと経済制裁が続いて国民の過半数は経済制裁じゃなかった時代を知りません。経済制裁をくらう前は王政だったので、ようするに国民のほとんどは民主制で経済制裁をされていないという状態を知らない。 (ちなみに一瞬だけできた民主制をひっくり返して王政に戻したのがCIAのしわざでした。) 経済制裁をされていないイランを皮膚感覚で知るのはもう50代以降のおっさんおばはんや爺さん婆さんたち。しかもクソ暑い夏に断食月。これじゃあみんなが路上に出て抱き合って祝福する、っていう感じがまったくないのもわかります。 帰宅してまず内儀とワインでイランに乾杯。夕食はP5+1核協議合意記念ディナー。ふろふき大根。スズキの粗味噌汁。大根ときゅうりと人参の浅漬け。

夏野菜のゼリー寄せ。骨つき鶏肉マッシュルームソースかけ。フライドポテト。葉野菜サラダ。

日曜日。帰宅してシャワーを浴びていたらみんな学校から帰ってきました。今日は花子のお誕生ディナー。断食月なので外食を控え、内儀がつくってくれたご馳走をみんなで楽しくいただきました。夏野菜のゼリー寄せ。骨つき鶏肉マッシュルームソースかけ。フライドポテト。葉野菜サラダ。すごいね内儀がやる気になったときの瞬発力と持続力。味も素晴らしくプレゼンも美しいディナーでした。

鮭のアラ焼き。

土曜日。朝はバルバリ。お昼前に買い物。お昼は焼きそば。午後はテレビで映画とかニュースをつけたまま昼寝、読書など。最初は落合信彦「崩壊 ゴルバショフ失脚」を読みはじめ、途中で放り出しました。会話ばっかりでなんと内容の薄い本かと。川地恵理子「ナン香るイランから」は薄い本なのですぐに読了。イラン人と結婚して、旦那さんの実家で義理母たちと暮らした6ヶ月くらいの間に経験したこと、観光したところの話など。なによりも家族を優先させ、家族の幸せが自分の幸せと言い切れるイラン人に囲まれ、家族より自分のやりたいことを大切にしたいという思いが抑えられなくなった、という流れがおしまいのところで浮かび上がってきます。 夕食は鮭のアラ焼きとおこげごはん。家族みんな無言で食べ続けました。贅沢だなあ。 この場合の贅沢は、六本ギヒルズの竹やぶで蕎麦を喰うというような粋なものではなく、鮭のいちばん旨いアラの焼きたてをおかずにごはんをたべるという純粋な行為のことです。 江戸の蕎麦屋の「粋」なり、京都の湯豆腐の「上品」なり、ほんらいざっかけな食いもんのはずの蕎麦とか豆腐を、粋とか上品というキーワードを付加価値に千円以上の値段をつけ、それを有り難がるっていうのは贅沢と言わないよね。 食後、荒松雄「インドとまじわる」読みかけ。バラモン教では人生を「学生(がくしょう)期」「家住期」「林住期」「遊行(ゆぎょう)期」にわけるのだとか。我が輩はそろそろ林住期。ちょうど家を長野に移してよかったと思います。 遊行期といえば、イラン人もある日思いたって山に登って滑落とか遭難で死ぬ人がときどきいるらしい。我が輩は冬山で遊行してパンパカするのはやめておこう。 参考資料。パンパカパ~ン♪また死にました Part302 [転載禁止]©2ch.net http://hello.2ch.net/test/read.cgi/out/1435851329/l50

ラムチョップ

金曜日。朝はバルバリとクリームチーズ、そしてフレンチローストのコーヒー。月子の似顔絵を描いたりしていたらお昼。お昼は月子のつくったバナナパンケーキ。焼きたての東京バナナっていうくらいのふわふわ食感。バナナ大4本をフォークで潰し(これが我が輩に与えられた作業)牛乳でちょっとゆるめに溶かしたホットケーキミックス(イラン製)とあわせて焼くだけ。午後は読書。陳舜臣「風よ雲よ。」 夕方4時ごろ、内儀が「ラムチョップ食べよう!」というので、野菜サラダ、ポテトスライス焼き、そしてラムチョップ。我が輩がラムチョップ焼き係。うまかったけれど、台所も家族も羊臭くなりました。食後は引き続き読書。「風よ雲よ」読了。 奥書を見たら、この本は1973年に出てます。我が輩はまだ中学生で、背伸びして司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」なんて読んでいた頃だな。我が輩が最初に読んだ陳舜臣さんの本は「敦煌の旅」1976年。その頃にもっと「風よ雲よ」みたいなエンタテインメントを読んでいたら、人生が違った方向にいってたかもしれない。 陳舜臣さんは大阪外大でヒンディー語とペルシア語を学んだらしい。司馬遼太郎さんは同じころ同じ大学でモンゴル語をやっていた。やっぱり中国は周辺から眺めたほうがおもしろいと思う。

野菜ラーメン

木曜日。飛び石連休のなか日なので有休(というか自由裁量制みたいなものだけれど。)朝は花子を送って日本人学校。家に戻りあれこれ読みものをしているとお昼。内儀は花子の同学の母上とともにショッピング。ショッピングからお二人が戻ってきたので拙宅でお昼。ふわふわのパンとハムサラダ。午後は読書。椎名誠「啜れ!麺の甲子園。」 この本に、千葉県柏市の「竹やぶ」という蕎麦屋が六本ギヒルズに出した店のことが書いてあって、一人前が1260円なのに5回ほど箸を動かしたらなくなったという話。それが粋なのだろうと椎名誠はリップサービスっぽく言う。ざっかけなもんを食っているという地面感覚がこの人にはあって、安心して読んでいられます。 「竹やぶ」の柏の本店は、義母に連れて行ってもらったことがありました。その頃はどこをどう走ったのかわからなかったから、内儀といっしょに暮らしはじめた頃だったかなあ。それから二度といかないまま長野に引っ越してしまった。長野には値段の高い蕎麦屋もあれば、安い蕎麦屋もあり、家のそと蕎麦もあればウチ蕎麦あり、どれも気取ってなくてよろしい。なんで江戸で蕎麦に「粋」を求めるのかよくわからんのだが、それがうどんでもなく親子丼でもなくスパゲティでもなく蕎麦だったというのがおもしろいよね。 日本人学校の七夕の短冊には「丸亀製麺がテヘランに出店しますように」と書いた我が輩ですが、じつは日本に帰って食べたいと心から願うのが、日清やきそば。 てなあんばいで、内儀がパラディウムというモールでラムチョップを買ってきてくれたんだけれど、頭のなかはすっかり麺づくしになっていたので、夕食は野菜ラーメン。

揚げがんもどき。わかめとたまねぎの味噌汁。ごはん。

水曜日。今日はイマーム・アリーの命日でお休み。朝はほぼいつもどおり起きて花子を学校に送り、すぐに帰宅。お昼頃に歩いて買い物。iPodに音楽をうまく転送できないとおもったら、iTunesが起動できなくなってる。なんじゃこりゃ?OSとアプリの相性の問題?どうやらiOSと同期云々が出てきてからおかしいぞ。我が輩は1990年代からアップルを使っているコアなファンだが、アップルもスティーブン・ジョブズが死んでからマイクロソフト 化したのか? 夕食は内儀の手作り揚げがんもどき。わかめとたまねぎの味噌汁。ごはん。

野菜スパゲティ

火曜日。午後はテレビ会議でおおいに疲れとぼとぼ帰宅。内儀も疲れていました。夕食は野菜スパゲティ。キアヌ・リーヴスのジョン・ウィックというアクション映画を見て寝ました。

冷ややっこ。味噌おにぎり。玉ねぎとわかめの味噌汁。

月曜日。曇りときどき晴れ。ときどき晴れたときが強烈に暑くなります。花子を送ってから出勤。お昼は弁当。夕刻退社。十字路に出ているカートでねぎを買い、肉屋でたまごを買って帰宅。今日は豆腐のデリバリーが来たとのことで、夕食は冷ややっこ。味噌おにぎり。玉ねぎとわかめの味噌汁。

冷やしわかめごまうどん。野菜かき揚げてんぷら。

日曜日。雲が直射日光をさえぎってくれています。朝は花子を送ってから出勤。街全体になんとなく勤労忌避感みたいなのがただよっています。お昼は弁当。夕刻帰宅途中で、道のまんなかに出ている屋台でねぎとかにらを売っているのを見かけました。ねぎとかにらみたいな野菜とそれ以外の野菜はなんとなく区別されているみたいです。あたかも日本で野菜と果物を区別するみたいに。 帰宅して夕食は冷やしわかめごまうどんと野菜かき揚げてんぷら。

第六天鶏飯つゆだく。

土曜日。8時ごろ起きてバルバリとクリームチーズとコーヒー。午前11時ごろ内儀と買い物。八百屋でよさそうなねぎとにらがありました。すいかも買って帰宅。お昼ごはんはホシュマゼ焼き。小麦粉たまご溶きにときどきの野菜を刻み入れ焼いて、マヨネーズ醤油七味唐辛子でいただきます。これがうまいんだ。午後は散髪、映画など。夕食は第六天鶏めしつゆだく。どんどん進化する内儀の鶏めしです。

焼き鮭・ごはん。じゃがいもと玉ねぎの味噌汁。

金曜日。朝はバルバリとクリームチーズと紅茶と野菜サラダ。7時半に花子と日本人学校。花子を学校に送ってまた家に戻り、8時半に内儀と月子と我が輩の3人でまた日本人学校。授業参観の日です。1時限めが数学。担当は校長先生。先生いわく、「数学はまず見通しを立てる。それから論理的に考える。」いいねえ。花子、いい先生に出会ってよかったな。 2時限めは英語。担当の先生がルー大柴みたいにノリノリだったのがおもしろかった。3時限めは進路講演会。某商社の現法社長のお話。ダーウィンの引用「強いだけでは生きてけない。お利口なだけでも生き残れない。適応できるやつだけが生き残る」って、まるでチャンドラーじゃん。 帰宅してみんなでそうめん。午後は読書。木村泰司「名画の言い分」読了。なんだかしみじみとむかつく本だなあ。 「パリから戻っていらした日本のかたで『ルーヴルはつまらなかったけれど、オルセーはよかったわ」などというかたがいますけれど、フランス人の前ではあまりおっしゃいませんように。自分は教養がないと公言しているようなものになってしまいます。」 「フランス人の前ではぜひ『私、オルセーはあまり好きではありませんの。やはりルーヴルが最高ですわ』と見栄を張ってください。」だと。知るかハゲ。 このハゲ、学士をとったのはバークレーなんだって。ワインはよさそうだな。それからロンドンサザビーずの美術教養講座。スコッチとギネスがある。でも美術的には辺境じゃないか。だからフランスに劣等感があるのか? この本を読んでよかったのは、ヨーロッパみたいなめんどクサイところに生まれなくてよかった、日本のようにアニメみたいなポップカルチャーとアートが同等になっちゃうようなリベラルな国に生まれてよかった、と思えるところ。別にクリスチャンじゃないからキリスト教の歴史とウンチクを知らなくても恥じゃないし、ヨーロッパから遠いからギリシャ神話なんて知らなくてもいい。キューピッドと天使のちがいはわからないけれど、森永とロッテのちがいはわかる。

野菜ラーメン

木曜日。朝。快晴。前日夜9時に寝たのにいまいち晴れ晴れせず、内儀もいまいち不調。いつものように出勤。お昼は第六天チキンめし弁当。おやつはいちじく。夕刻さっさと退社して帰宅。帰宅したら今日も来客があったらしく、内儀も疲れていました。夕食は野菜ラーメン。イラン製のインスタントラーメンはいろんな在留日本人がおいしくないという評価をしているみたいですが、内儀の手で野菜ラーメンになるとふつうにうまくなりました。我が家のストライクゾーンが広いのか?それとも他の日本人が期待するレベルが違うのか?謎です。

第六天チキンめし絶品。

水曜日。気温41度くらい。お昼は弁当。午後、ゆーたろー君がオフィスに来ました。 「やー、たしかいっしょにサッカーやったよねー。あれ、ここイスラマだっけ?テヘランだよね。」ってなあんばいで再会。環境プロジェクトの担当になったのだとか。 夕刻速攻退社。道端で映画DVD、超級市場でぶどうジュースと生活用品など買って、クソ暑いなかをとぼとぼ帰宅。 帰宅したら花子のご学友と母上の来客。挨拶をしてシャワー。来客を見送り、冷蔵庫にあった豪華ケーキとかすいかとかコーヒーで一息つきました。 夕食は内儀のチキン煮込み。たっぷりセロリがはいっています。絶品。ごはんの横にのせて、その汁の染み込んだごはんがまた絶品。みんなで褒めていたら内儀、 「もっと褒めて。褒められて伸びるタイプだから。」 「こんなにおいしくつくられたら、鶏だっていまごろ第六天に昇っているにちがいない!」 というわけで、第六天チキンめしと命名。 食べおわったしりから、また食べたくなるうまさでした。

温泉卵オクラのせ冷やしうどん。きゅうりとセロリの浅漬け。

火曜日。まだ火曜日。本日の最高気温41度。朝から家族全員がバテています。朝は野菜コロッケごはん。旨い! 月花と一緒に家を出ました。日本人学校からバス停までの間、ロシア語の罵り言葉にペルシア語のカウンターパート(同じ意味の表現)があるのかな?と月子がいうので、会社で尋ねてみました。 ロシア語                ペルシア語 「きんたまより高く跳ぶことはできない」 「じゅうたんの外に足をだすことはできない」 「他人の掌のなかのちんぽこは大きく見える」「隣の鶏はダチョウみたいに見える」 「去勢豚は雌豚にのっかってから考える」「・・・」尋ねたけど忘れた。 ま、いずれにせよペルシア語のほうが上品でよろしい。下品な表現もたくさんあるけれど、ペルシアでは場所と同席者をよく見極めてからでないとつまみだされるらしい。プロトコルがはっきりしているということでしょう。 ひとつペルシア語の特徴として、男性側のおばさんが悪者にされること。つまり小姑のせいだ、っていうことでしょう。たとえば「あんたアホやろ」というかわりに、「おまえの伯母ちゃんアホやね」というのだとか。「おまえの母ちゃんデベソ」みたいなもんかな。 クソ暑いなかをとぼとぼ歩いて帰宅。途中でたまごを購入。 夕食は温泉卵オクラのせ冷やしうどん。きゅうりとセロリの浅漬け。 仕事がらアフガン人の顔写真を何十枚か見ていて、気づいたことをマトリックスにしました。「ワシが舞い降りたった」に書いておきました。 http://manhaslanded.blogspot.jp/