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12月, 2022の投稿を表示しています

松本城近くのそば庄でもりそば

 エミちゃんを松本に連れ出して琵琶の湯。松本城の南対面のそば庄でもりそばx2。歯ごたえはとてもいいそばだったけれど、なぜかそばの香りがしなかった。内儀が注文した天ぷらも、美味いけれどサクサク感がないのが残念。ま、立地がええからね。

雪の夜。おかんと小木曽製粉。

東京からエミちゃんがやってきて、内儀と上諏訪の焼き鳥。フミちゃんは淳子宅でお泊まり。ワイはおかんを連れ出して諏訪の小木曽製粉。ワイは大盛りざるそばと山賊焼。おかんはとろろ蕎麦と海老の天ぷら。

雨の日と月曜日は

「雨の日と月曜日はまじファッキング・ダウンだよな」とカレン・カーペンターが歌ってヒットしたのが1971年。 それ以来50年間、我々の世代にとって雨の日と月曜日は拒食症で死んでしまったカレンの呪縛を受けてきた。いつもより遅い電車で帰宅した我が輩が内儀にそんな話をしていたところ、「月曜日だからたっちゃんにもらった瓶ワインを開けよう!」ということになって、ごくマシなチェダーチーズとアーモンドでナパ谷の赤ワイン。これがなかなか複雑な味で美味く、ハービー・ハンコックはどう言うか知らないけれど、カリフォルニアも、雨の日と月曜日もワインがあれば悪くないという結論になりましたとさ。 ちなみに背景の「綾」というのは全然気にしないでください。

富士見の福屋源で中華

11日は月に一度のご報恩お講で長坂の蓮永寺。行きしなに右田家の毒を吐いていたおかんも、お講の帰り道はすっかり人生感謝モード。これなら月に2回くらいお寺に行ってもええくらいですわ。お寺で「大正14年生まれ」のおばあちゃんと友達になっておかんご機嫌である。「あの人何歳やった?九十七歳?私も頑張らなあかんな」て、こっちがもたへんがな。「人それぞれ寿命があるから、そんな頑張らんでええんちゃうか。」と息子は言うのみである。 お昼過ぎのお昼は富士見の福屋源で中華。鉄板焼きそばを食べはじめたおかん、5秒で「汁もんにしたらよかったな。」ワイは坦々麺。これがなかなかの逸品。今度は坦々麺と角煮にしよう。ここは二鍋酒みたいな中華焼酎がないけれど、まあええでしょう。角煮をテイクアウトして家でウォッカ飲もう。 例によっておかん、自分が頼んだもんの半分くらいをワイに食えと言ったので、1.5人前を食べた我が輩である。

塩尻でねぎ蕎麦

12月5日は月曜日。8時半に久寿川で9時過ぎになんば。おにぎりなど買い求め、近鉄シティーライナー。名古屋で11分しかないので焦ったけれど、近所なので楽勝。お昼のしなの11号を逃すと、塩尻から富士見までがドツボになります。正確にいうと、諏訪とか茅野までは来れるのだけれど、富士見まで行けない。 首尾よくしなの11号に乗ることができました。塩尻で乗り換えに30分以上あるので、いったん途中下車して駅そば。新メニューねぎ蕎麦を頼んだら、地元産らしい強ぉーいネギがたぁーんと載せられて出てきました。吾輩の蕎麦を見たからなのかどうか、なぜか待合室にいた人のほとんどが蕎麦屋の券売機に並びました。カウンター満席の大盛況。 家に着いたら午後4時まえ。楽しい旅でした。たまには鉄道の旅もええもんやね。

はな子と香港茶楼

 同日、一宿一飯の恩義返しその2。夕刻、神戸元町。丸玉食堂で豚足と餃子をつつきながら二鍋頭を飲もうと画策。しかしなんぼ探しても丸玉食堂がない。仕方がないので、三宮の小肥牛で羊肉でもつつきながら二鍋頭・・・と考えつつ歩いていたら、香港茶楼が出現。うんちくを語ると、はな子「行ってみたーい。」 てなあんばいで、飲茶点心コース。ここはドリンクメニューに中国焼酎がないので、黒糖焼酎。はな子はビール。そうこうするうちに老大爺が登場。この老大爺は中華同文の卒業生で、故・陳舜臣さん含めめっちゃ顔が広い。元町の古い中華移民グループなら大抵知っているんじゃないかな。あれこれ話すうちに、「白酒ありまっせ。酒屋がこないだ持ってきてね。」と、四川明江というブランドのびんを持ってきてくれました。「置いても売れんのですわ。誰も飲まへん。」とのこと。見たことないブランドやけど、とりあえず飲んでみましょか、と。

イケア鶴浜でホットドッグ

12月4日は日曜日。はな子宅に世話になったので、一宿一飯の恩義返しその1でイケア鶴浜。はな子は中之島で働いているので、「ひとりで行けるやん」と言ったところ、「ひとりでイケアバスに乗るのはハードルが高い」とのこと。梅田からバスに乗り、あれやこれや右折左折し、「ドーム前」を経由したので、「難波線でドーム前に来たら梅田行かんでええやん」となりました。 帰りはドーム前から阪神電車。速かった。

兵庫県庁前の盧で上海家庭料理

さて同学会が無事閉会し、 八木同学とカフェにて、東亜同文書院の大旅行の報告書記録が上海で復刻され、それを手に入れたものの、同学会に列席した学者有識者各位の誰も興味を示しそうになく、蔵書をどうしたものか、なーんて話をして時間潰し。地下鉄で移動。兵庫県庁前の「盧」でA子、幾ちゃんと合流。この店は普通の中華食堂なのだけれど、八木同学があるとき上海語で話して以来、生粋の家庭料理を出してくれるようになったのだとか。飲み放題にメニューに二鍋頭を入れてくれたので、同学によると吾輩は「6杯くらい飲んでた」そうな。 最初の白湯スープでまず唸ってしまう。おつまみに茴香豆も出たし、日本では珍しい豆腐皮も美味しかったし、それに続く料理がすべて上品でフレンドリーな味付け。その中で絶品は、上海蟹豆腐。いわば麻婆豆腐のとんがらし部分を、上海蟹の端肉と蟹味噌をブレンドした優しい味に置き換えたもの。そして海老ちり。この海老ちりは、この人生で食べた海老ちりの中で文句なしに最高。いわば、通途のエビちりはお子様ケチャップ煮ですな、としか言いようがないところ、ここの海老ちりはソースだけを取っておいて、チャーハンにかけて食べたい。ぜひそうしたい。マダムにそう言ったら、とても嬉しそうに「じゃ取っておきましょ。」同学によると、上海の家庭ではみんなそんなふうに食べるのだとか。 というわけで、チャーハンに上海蟹豆腐と海老ちりソースをかけていただきました。満腹。

同学会

 12月3日は学園都市前の母校・同窓会館で同学会。中国学科は90代から20代までが集まるという、広帯域の集い。ちょっと遅れて到着したら、ゲストスピーカーの料理研究家・奥薗壽子さんのトークでめっちゃ盛り上がってました。トークの最後は1分間で餃子を24コ包む方法。引き続き会食。乾杯だけ瓶ビールで、あと吾輩は神戸ワイン。白はフルーティーなので、料理に合わせるというより、カマンベールみたいな軽めのチーズとかフルーツがいいかも。赤は軽めだけれど秀逸。ビーフの臭みには負けるかもしれないけれど、羊肉とか魚のクリーム煮、そしてヘヴィーめのチーズに合うんじゃないかな。 同じテーブルになったのは、ニコちゃん、コーヨーとぶち。八木同学。そして、4学年上の先輩。その先輩から、「ふーちーが亡くなりました」と聞いて絶句。4学年上ということは、我々が入学した春、すでに卒業していた人たちなのですが、ふーちーは大学院に行ったのでご在学。いろいろ教えてもらい、下宿に泊めてもらったこともあり、ふーちーが京大の大学院にいく時に引っ越しの手伝いもしました。 ふーちーの故郷はたしか鳥取。もういちど会って酒を飲み、ぜひ尋ねたい質問があったのだが。そんなことを考えていると、翌日の夜ふけ、ふーちーが髭を撫でながら「さあ、それはどうかなあ・・・忘れたよ」とニコニコするイメージが訪れました。ふーちーは忘れる人じゃないけど。

阪神西宮 磯屋波平

 12月2日は金曜日。有給休暇を取って塩尻。途中下車して売店でアルプスワインの赤白小瓶をいくつか購入。特急しなので名古屋。近鉄特急で難波。そのまんまの線路で乗り換えて甲子園。実家に荷物を置いて阪神西宮に午後6時。国道二号線沿いの磯屋波平。西宮東高校の同窓会で5人集まりました。卒業が1977年なので、45年ぶりに会う顔もあり、その間いくつものアップダウンや病気を経てきたはず。どんな話になるのかなと近鉄特急に揺られながら(広軌なので揺れが少ないし静かだった)考えていたのだけれど、会ってみれば昨日卒業式をやった、その翌日みたいなノリ。めっちゃ楽しかった。

駒ヶ根の保翁で舞茸天ぷらと蕎麦

11月26日。松川町のりんご園に行った帰路、駒ヶ根の霊犬早太郎光善寺前の保翁で舞茸天ぷらと蕎麦。舞茸天ぷらのボリュームがすごかったので、これからは二人で一人前にしておこう。

鹿教湯温泉再訪

 11月27日。月子を送っていくついでに鹿教湯温泉。蕎麦屋は開いていたかもしれないけれど、例によって和風カフェ。揚げ餅と磯部もち。月子感動。