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6月, 2011の投稿を表示しています

ミンチカツ。生ハムたまごサラダ。茹でとうもろこし。刻み昆布とかぶら煮。

木曜日は、午後早くに空が暗くなり雨が派手に降りました。夕方に陽射しが強くなったころ帰宅。この日は内儀が学校なので、帰りに痒い痒い芋と豚肉とキャベツでも買ってかえり、お好み焼きでも作るつもりでした。しかし内儀が早く帰れそうというので気楽になり、紀伊国屋によって帰りました。 帰宅すると標記のメニューが並んでいます。内儀によると、ほとんどお向かいさんの婆ぁばがつくってくれたのだとか。食後、「てんびんの詩」を読了。ちかごろ読んだ本のなかで文句なしにいちばんおもろい本でした。

野菜そば。もずくの酢のもの。豆腐キムチ。

水曜日は夕刻、おおたかの森で終業。紀伊国屋で「これからを生きる君たちへ」「地震の日本史」を購入して帰宅。帰宅して標記の軽めの夕食。内儀も昼間の暑さで参り、早々とお風呂、就寝。我が輩は「地震の日本史」を半分がた読了。こんな地震が多い国土に原発を50数基もつくるなど正気の沙汰ではありません。

ほたてのスパゲティ。もずくきゅうりサラダ。

よく晴れた暑い火曜日。まっすぐ帰宅すると家にはだれもおらず、洗濯物を取り込んでいたらみんな帰ってきました。内儀は花の上履きを買うため、火ぶくれが出来るほど外を廻り、黄色いすいかまで買ってきて、挙げ句の果てに夕刻ごろ花に悪態をつかれたので、「ばんごはんストライキ」を宣言しました。リビングではふたりが宿題をやりつつ、よく冷えた黄色いすいかにかじりついています。黄色いすいかをひとかじりさせてもらったら、こどもだったころの夏の夕暮れのなつかしい匂いがしました。 「ママがね」と我が輩がいいます。「ばんごはんストライキするって。これからなんか作るから、手伝ってよ。」 「はいはい。」と花。 「すいか食べたらね、ほっぺがおつゆだらけになっちゃったよ。」と月。 そうこうするうちに内儀がやってきたので、我が輩はシャワーを浴びました。シャワーから出ると、みんな仲直りしていて、内儀はスパゲティをつくりはじめていました。 とてもおいしいスパゲティと、福美ちゃんからいただいたもずくサラダを食べました。それから、コーヒーを入れました。

天ぷら。冷やしうどん。餃子。キムチ。さくらんぼ。

肌寒い日曜日の朝はパン。チーズパン12個、ソーセージパン4個、ごま餡パン16個。前夜からお泊まりの月ちゃんもおいしいといってくれました。うちの娘も月で、じゅんことこの娘も月なのです。午前中にベトナム語。お昼は具がいっぱいはいった蕎麦。午後に洗面所いじり、スピーカーいじり、ベースいじり、読書と昼寝など。夕方に月ちゃんを送って一家全員でじゅんこ宅へ。じゅんこ宅でたくさんのご飯を用意してくれていたので、晩ご飯。夜8時ごろさよならして帰宅しました。

お好み焼き。

土曜日。朝はフレンチトースト。お昼前に小豆と砂糖の買い出し。ついでにイラン人のリサイクルショップ「ひまわり」に立寄り、これは!と思う箱を調達。お昼はそうめん。午後は読書、昼寝、食材調達など。雨のなか、ジュンコが来訪したのでコーヒーなど入れました。夕方からお好み焼き。ジュンコは食べず、残念そうにしながら帰りました。 前夜は、我が輩が帰宅してシャワーを浴びてぐーぐー寝てしまってから1時間ほど酔っぱらい討論がつづいたのだとか。なんて話を、婆ぁばがお好み焼きを食べながら話してくれました。

フレンチトースト。お向かいさん夜総会。

暑い金曜日は有給取得日。あんまり暑いので、内儀が学校にいったので、お昼はひとりでおにぎり。サパンで買ってきた食パンと、レインボウ農園の鶏卵でフレンチトーストを作っていたら花帰宅。ちなみにレインボウ農園の野菜も鶏卵も放射能は検出されなかったとかで、同慶の至りです。おやつを食べさせてから歯医者さんに行く途中で月に遭遇。夕方からお向かいさん宅でたっちゃん夫妻を迎え夜総会。拙宅からきんぴらごぼうなど。かに野菜サラダ。小あじのフライ。あさりの酒蒸し。枝豆。などなど。グレンリベット12年ものを4杯いただき、酔っぱらって帰宅し、水シャワーを浴びて寝ました。

お寿司。

木曜日。朝は報告書作成。午後は鋼材情報を訳しているうちにタイムアウト。おおたかの森からつくばエクスプレスで三郷中央。そこから豪華自動車でお寿司屋さん、というのもタイボスにくっついていっただけですが。とても豪華なお寿司でした。食べきれなかった分を折り詰めでいただき、帰宅したらこどもたちが大喜び。内儀がこどもの頃、ちょうど眠くなった頃に父親が折り詰めを持って酔っぱらって帰宅したときの思い出を語ってくれました。我が輩もたまには、ふつうのお父さんみたいに折り詰めぶらさげて酔っぱらって帰宅するのもいいかもしれないな。

ジャーマンポテト。キャベツサラダ。酸っぱい野菜和え。バゲット。

水曜日。クリーンデイということで、朝から工業団地の裏の公園沿いの側溝の蓋のうえにたまった落ち葉掃除。気候条件がいいので、堆積した落ち葉は半分がた腐葉土になっていて、側溝から植え込みのなかに戻すとき、極太サイズの蚯蚓がたくさん出てきます。「アスファルトの上じゃ渇いちゃうよ。気をつけな。」と土に戻してやります。その作業でで朝から大汗。午後、昼食後バスに乗っておおたかの森。つくばエクスプレスで秋葉原。山手線で渋谷。渋谷でラオス・カンボディア・ミャンマーの投資セミナー。終わって、西日暮里経由、南柏経由で帰宅。ふぅ。都会は疲れますね。帰宅して標記の、めずらしく洋風、内儀の表現では「まるでロシア人のような」夕食。これもまた軽くてよろしいんじゃないでしょうか。夕食後、お向かいさん宅でアメリカ宛ファックス通信。

広島風お好み焼き

火曜日。朝は雨がばらばら降っていたのですが、始業後すぐに快晴。あれこれ話したりあれこれ調べたり、経理にタイみやげの生薑砂糖漬けをもっていったりして、1日があっというまにおわりました。節電でクーラーをつけていないので汗をかきます。帰路、北の方、野田のあたりの空に真っ黒な雲がかかり、そのうち雷鳴が聞こえてきました。雲は20分くらいであっというまに我が家の上にやってきて、雷鳴の数分後、豪雨。これじゃまるでクアラルンプールの夕方です。ということは気候変動で、千葉県が熱帯雨林気候になったのかな。豪雨のなか夕食は、内儀のつくってくれたおいしい広島風お好み焼き。我が家でお好み焼きのとき、我が輩が台所ではなく、座って酒を啜っているのは、たぶんはじめてです。他人の焼いてくれるのを待つのもいいもんです。

さんま。大根おろし。かぶら2種。水菜のお浸し。味噌汁。

月曜日。ひさびさの出勤は傘をもって。南洋ボケ頭を矯正しつつ、1日中レポート書きとあれこれコンタクトと確認に追われ、あっというまにタイムアウト。もっていった傘をつかわないまま帰宅して、標記の夕食。焼きたてのさんま。やまもりたっぷりの大根おろし。旨かったなあ。

爺と父の日の、豪華夜総会。

日曜日。朝はパン。ごま餡パン16個、チェダーチーズパン16個。かれーしゅー宅もお越しで、焼きたてのパンをコナコーヒーで食べて頂きました。お昼は冷やしそうめんと、ちくわ&たまねぎのかきあげ天ぷら。いきなり眠気のさした午後はソファーで熟睡。夕刻買い物に出かけ、大葉とみょうが。夕食はお向かいさん宅で、内儀のちらし寿司。こどもたちが月の輪熊のように群がるサーモンサラダ。かぼちゃ甘煮。おからと芋のコロッケ。なすと挽肉とごぼうのぴり辛濃厚煮。などなど、憶えきれないくらいのごちそうが食卓いっぱいに広がりました。真面目な爺は医者の恫喝を受け入れ、スコッチをやめて焼酎。6ヶ月間はスコッチを我慢するのだとか。偉いなあ。ま、しかし、そこまで真面目に飲み続けなくても、酒そのものをやめてしまうというオプションもあるのですが。不真面目な我が輩はその横でグレンリベット12年ものをぐいぐい。

十割そば。かれーしゅー風お好み焼き。

土曜日。成田に20分早くタッチダウンし、入管も超スムーズでしたが、荷物が出てきたのがタッチダウンから65分後。なぜか熟年の爺さまが多いフライトで、そのうちふたりが荷物の遅さに声高に文句。爺さんたちの気持ちもわからないでもないが、こどもでも我慢しているのですよ。それにしても、荷物が出てくるのにタッチダウンから65分というのは、クアラルンプール空港だったら、もう市内のホテルでひとシャワー浴びている時間でっせ。成田空港はついに、2流から3流空港へ転落か。いつから日本はこんなふうになってしまったのでしょう? 20分ほど待って電車にのり、1時間で新柏。内儀と月に駅で出迎えられ帰宅。帰宅して茶をすすり、土産物を鞄から出して学校へ。花の授業参観です。眠気に失神しそうになりながら、辛うじて我慢し、引き渡し訓練も終わりました。お昼はかれーしゅー宅のお呼ばれで、十割ざる蕎麦。50秒しか茹でてはいけないそうなので、我が輩はストップウォッチ係。うまかったなあ、十割そば。帰宅してスピーカーいじり。夕食はまたまたかれーしゅー宅のお呼ばれで、お好み焼き。自分の家風と違うお好み焼きを食べるのも、とても楽しいものです。

刺し身。ローストビーフ。

金曜日。朝はホテルのビュッフェ。フルーツ、ヨーグルト、お粥など。部屋に準備されていたフルーツを、会議中にでも食べようかと袋につめて出発。工場で1日会議。お昼も会議室で、あんかけクイティアオ。夕食は社長のお招きでホテルのビュッフェ。刺し身、ローストビーフなどちょっとづつ。そのまんま空港へ向かい、チェックインしてゲートで鞄を見たら、朝のフルーツがそのまんま袋に入っていました。セキュリティーチェックで文句をいわれなかったのが、ちょっと不思議でした。

ナシ・チャンプール・ババ。

木曜日。朝はホテルでホテルのスペシャル。蝦をパンで包み揚げ、カレーソースをかけたもの。つまりぜんぶビュッフェの残りもの。しかしながら、シェフの智慧がほほえましいのと、コンポーネントをいちいち作っていたら大変な手間がかかるということを考えれば、いいアイデアです。蝦シューマイを食パンで包んで油で揚げ、レトルトカレーをかけたら家でもできるわいと考えていたら、ブンガちゃんがやってきてひとくさりおしゃべり。このユルさがインドネシアのよさです。午前中は日系企業訪問。お昼はなじみのお客さんと、カフェ・ババというおしゃれなレストランでナシ・チャンプール・ババ。ババというのは、インドネシアでは、インドネシア男性のところにお嫁入りした中国女性の第2世代をさします。この、まるで美術館のようなレストランのガイドが「私もその末裔です」といっていました。マレーシアでは多少違う解釈を聞いたような気もしますが、所変われば呼びかたも変わるのでしょう。 そのまんま空港。エア・アジアでナシレマを食べ、寝ころんで居眠りしていたらバンコク。驚くほどスムーズに通関し、ホテルにチェックイン。近在でボスとハイネケン会議。

ナシチャンプール・プルウォカルタ。ペナンビストロの魚タマリンドカレーなど。

水曜日。朝はホテルでナシゴーレン。いつも案内してくれる若い女性が「私はブンガという名です」というので、「じゃ、うちの娘とおんなじだ」と、お友達になりました。午前中は日系企業。午後はタクシーをつかまえてハイウェイをすっとばして1時間半のチカンペック、というよりはプルウォカルタという、まるでサファリパークのような田舎。お昼はそこのホテルでナシチャンプール・プルウォカルタ。工業団地をいくつか見て、ジャカルタ帰着。夕食はペナン・ビストロで若いコンサルタント氏とともに、魚カレー、蝦、鶏など。ペナン・ビストロのメニューから蝦カレーが消えていました。「蝦カレーを食べるために日本から飛んできたんだけどなあ」とウェイター氏に言っても仕方がありませんが。

インドネシア鶏飯。宮保鶏飯。海鮮夜総会。

火曜日。ホテルの食堂。ふつうのビュッフェに10万ルピア(1000円)はなかろうと、アラカルトで鶏飯を注文。こういう市井の家庭料理を注文されたシェフは刺激を受けるのでしょうか、たいへん宜しい出来の鶏飯でした。結局こみこみで7万ルピア(700円)だったのだけれど。午前中は某国経済産業省関連団体を訪問。お昼は向かいのラトゥ・プラザで宮保鶏飯。地下スーパーでお土産用コーヒー豆を調達。午後は某日系企業訪問と現地コンサルタント訪問。夕方ホテルに帰着し、マイケルとエンジェルとCJに拾ってもらい、車でアンチョールの水際海鮮レストランで豪華カニ、エビ、魚、貝、野菜などなどのディナー。マイケルが福島のことを尋ねたので、これ以上悪くなるのがとまっただけで、決してよくなってはいないこと、そして大余震がきたら過去の科学の想像を絶する悪夢状態が現出する可能性があるというと、インドネシアでは福島の状況がどんどんよくなっていると一般に理解されているのにと、お互いに絶句。暗い話をしていても仕方ないので、より知りたい向きは Fairwinds Associats にアクセスして、Ernie Gunderson 師匠のビデオをみてちょうだいといっておきました。ま、3歳になったCJのかわいいさかりのトークがなによりの和み光線を放射していてたっぷり聞かせてもらい、夫婦ふたりとも心から子育てを楽しんでいるようでなによりでした。

タイ風チキンカレー。ナシレマ。

月曜日。朝、成田へ。てーげー航空でタイ風チキンカレーを食べ、ブランデーのソーダ割を飲んで、チャーリー・ヘイデンを聞いて居眠りしていたら定刻どおり16時にバンコク。驚くほどスムーズにイミグレを通過し、荷物をもって3階へ。そこで2時間ほど茫然と待ち、18時30分、エアアジアのチェックイン。ふたたびイミグレを通過し、ゲートD5で茫然と待ち、9時すぎに出発。ナシレマをたべ、居眠りをしてジャカルタについたら真夜中15分すぎ。ビザを25ドルで買い、指紋もとられずイミグレを通過し、ブラックバードタクシーでたぶん過去最速でホテル到着。20万ルピア。ベッドに入ったら現地時間午前2時半でした。

お好み焼き。全粒スパゲティ。

朝はパン。朝一番でパンを焼いているとき、旧知の耳鼻科の先生から久しぶりの電話。母の友人の医療相談の結果でした。持つべきものは医師の知り合いです。 今日はチーズパン12個、餡パン20個。学校に行く内儀に餡パンをたんと持たせて駅まで送り、帰宅して掃除洗濯などあたふたしているうちにベトナム語の時間。授業が終わってうどんを煮てこどもたちと食べ、洗濯物を干しなおしたりしているうちに午後3時。こどもたちをかれーしゅー宅へ送り、かれーしゅー宅のいとさんを駅まで送り、新柏の東武ストアまで長芋と大和芋を買いに行ったら、全粒粉のパスタがあったのでそれを買い、夕食をパスタにするかお好み焼きにするか決められないまま帰宅。とりあえず痒い痒い芋をすりおろし、かれーしゅー宅にこどもたちを迎えに行き、その足で駅に内儀を迎えに行き、お好み焼きにするかパスタにするか決められないまま帰宅。アンケートをとると、月はお好み焼き、内儀はパスタと採決が割れたので、両方作ることに決定。キノコとバジルのパスタと、いつものシンプルなお好み焼きの両方をつくり、みんなで両方を食べました。

石川県産ぶりの味噌煮。

朝はパン。ごま餡パン18個、チーズパン12個、なんもなし2個。内儀を駅まで送り、11時半ごろこどもたちと丸亀製麺。「夏場はきつねをやっていません」とのことでショックぅ。気を取りなおしてうどんとかぼちゃの天ぷら。それからイーオンでお買いもの。午後、こどもたちは習字、我が輩は味噌を手入れしてからベトナム語と居眠りなど。夕刻になって花がお米をとぎ、我が輩はぼちぼち準備し、7時頃内儀を駅に出迎え、少々買い物などして帰宅し、味噌煮のごはん。えりんぎも入れ、白髪葱をたくさんのせました。大好評。

ちらし寿司。きゅうりとキャベツのレモン風味浅漬け。だいこんと薄揚げの煮もの。

よく晴れた木曜日。午後一番で銀行の来訪に応対し、おおいに疲れたので、夕刻、気晴らしに駅前の本屋に立ち寄りました。銀行と応対したらなんで疲れるかというと、本音を言っちゃいかんのに、つい油断して本音の側面を晒してしまい、自己嫌悪に陥るというよくないパターンだからです。ま、直接の利害関係がないからええよおなものの。 本屋で茫然として気分転換し、内儀と月のためにそれぞれ1冊づつ文庫本を購入。帰宅して標記の夕食。食後、おいしいコナコーヒーを入れるため、花といっしょにコンビニ。ついでにアイスクリームを買おうとしたら、なんと種類がきわめて限られています。アイスクリームの冷蔵庫がほとんどがらすき。これはつまり、停電したときあんまり損をしないようにしようという意図でしょう。 ということは、停電がそろそろあるとローソンは考えておるということなのかな?

冷やし中華。コナコーヒー。コージーコーナーのケーキ。

朝は小雨、午後は晴れた水曜日。工場長から貰ったコナコーヒー豆のおかげで、どこにいっても甘く香ばしい匂いがただよっていました。帰宅したときも、こどもたちが「あれれ?このいい匂いはなんだろう?」夕食まえにこどもたちと駅前に行き、ケーキを買いました。夕食は冷やし中華。お向かいさんから厚揚げと葉野菜の煮もの。さらにまぐろの粗煮。食後、ケーキとコナコーヒー。きょうは「おとなの女性のお祝いの日」なのでした。

鯖の開き。大根と薄揚げ。キャベツとカブラの浅漬け。

火曜日。引っ越しで場所が変わり、お昼の弁当の登録を忘れたので、工場長の自動車を借りて江戸川台食堂。鯖の味噌煮をほぐしておつゆをたっぷりとつけ、それをごはんのうえに載せ、残りのおつゆをたっぷりかけました。味噌汁には納豆をいれました。そしてきんぴらごぼう。旨かったなあ。今週末も鯖かなんかを味噌煮にしましょう。ただし日本海産のやつ。太平洋は福島原発から高濃度汚染水がたっぷり垂れ流されていますからね。 夕刻、柏のタワーレコードをうろついていて、コーネル・デュプリーおじさんが今年の5月8日に死去していたのを発見。愕然となりました。内儀といっしょにボトムラインに見に行ったとき、閑散としていた店内でバーボンを啜り、我々が日本人だったので「カンパイ!」といってくれました。ブライアンパークでライブが終わったあと、アメリカンエアのビニールバッグを肩にかけ、じぶんでギターをソフトケースにしまっていたコーネルおじさん。スタッフの1976年のビデオのライナーノートで、ベースのゴードン・エドワーズいわく、ギタリストを募集していて、ギターとアンプを抱えて地下鉄でやってきたのがコーネル・デュプリー。有名になってからもぜんぜん気取らず、自分のスタイルを貫いた、愛すべきすばらしいギタリスト。 ニューヨークで一人で暮らしていたころも、すばらしい音楽が暮らしを豊かにしてくれました。音楽と、すばらしいミュージシャンに乾杯。 というわけで、帰宅して標記のご飯をぼちぼち食べながら、コーネル・デュプリーおじさんのビデオを見つつ、ウィスキーのソーダ割りを飲みました。

鮭と卵焼きご飯。味噌汁。かぶらの茗荷風味浅漬け。

月曜日。先週の予報では降雨率50%だったのですが、快晴で暑い日でした。会社の事務所の引っ越し。とはいっても、同じ工業団地の道路を隔てたビルに移るだけです。オッサンになると、自分のからだを動かすだけでも大儀なのに、荷物をもってうろうろするのですから、おおいなる汗をかき、息を切らし、お昼を食べ終わったらぐーぐー寝ていました。 夕刻、さっさと帰宅し、帰宅するなり風呂に入り、標記のシンプル晩ご飯を食べ、すぐに寝ました。 内儀によると、ガイガー綾乃ちゃんが拙宅に来てくれたそうです。ガイガー綾乃ちゃんというのは、近所の美人主婦です。和服を着せて徳利を持たせたらそのまんまで黄桜のポスターのモデルになれそうな女性で、しかもこてこての関西弁です。おフランス製の高級ガイガーカウンターを購入したので、近所のあちこちを測りまくってくれています。 ガイガー綾乃ちゃんによると、居間の窓際のソファが0.1マイクロシーベルト毎時。もっとも高い数値は、2階のテラスの排水溝付近で、0.19マイクロシーベルト毎時。拙宅平均では0.12マイクロシーベルト毎時ということで、×24時間×365日でも、年間被曝量が1シーベルト程度。あとは摂取する農漁畜乳物を通じた体内被曝を加算しなければなりませんが、こっちの数値はよくわかりません。綾乃ちゃんによると、国道6号線のむこうがわ(北西)方面は、平均値が高いそうです。

味噌汁おじや。いかとあつあげと莢隠元。

朝はパン。ごま餡パン12個、チェダーチーズパン12個、プレインのパン8個。お泊まりしたみーなも、みーなの子もおいしいおいしいと食べてくれました。みーなが「パン屋さんができるね」というので、例によって、毎日同じことを繰り返すような性格に生まれてこなかったんだよ云々と言いわけ。午前中みんな外出し、我が輩はベトナム語。こんどベトナムに行ったとき、酒やら魚醤やら味噌やらをちゃんと調達できるように、いろいろと教えてもらいました。 みんなは外でお昼を済ませて帰ってきて、我が輩は午後遅くに前日の残りものを美味しく加工して午餐。みーな一行を送ってから昼寝。目覚めて夕食は、極めてシンプルに味噌汁おじや。お向かいさんからいかと厚揚げと莢隠元のおいしい煮もの。

ごぼう天ぷら。鮭オーブン焼き。ほたてサラダ。ちらし寿司。ソーセージと野菜のスープ。

さらに、きゅうりの八角風味中華風浅漬け。隠し味は牡蠣油。 朝はパン。チーズパン12個、餡パン12個、なんもなしパン8個。午前中はショッピングなど。金髪のみーな親子がお昼にやってきたので、トマトソースのスパゲティ。そのときにスパークリングワインを飲んだので、午後はお昼寝。夕食はお向かいさんからグランマもお越しで、標記の豪華メニュー。

あじのフライ。コーンとキャベツのサラダ。

やぎのチーズと白ワイン。山羊のチーズはちょっと固めで香り高く、白ワインは軽くてフルーティーでした。山梨大学農学部醸造科の受賞ワインのように、ひとすすりづつの口当たりがとても貴重な経験になるような、宝物のような透明なワインでした。 なんておいしいんだろうと思っていたら、目覚ましがなっていました。金曜日の朝です。 下に降りると、月も花もすでに起きていて、会うなりおはようを言うまえに、ワインとやぎのチーズの話をしました。 「なんてすばらしい白ワインと、味わい深いやぎのチーズだったんだろう!」 さて金曜日。午後オフィスの引っ越しのイントロをやったので、立ち上がりがツラく、息切れしていました。岩澤工場長におごってもらったブラックコークの旨いこと。肉体労働には不健康なドリンクが効きます。こういうときしか飲まないしね。 へとへとになって帰宅し、とりあえず家にあった北海道カマンベールチーズと赤の箱ワインで空腹をなだめつつ、やはり腹がへっていた月姫ととりあえずコーンとキャベツのサラダ。あじのフライがぼちぼち出てくるので、くれよんしんちゃんに夢中になっている花姫をよそにご飯と鯵のフライと味噌汁をがつがつ食べました。

さばの開き。かぶらときゅうりの生姜風味浅漬け。じゃがいもとすなっぷえんどうそてー。

肌寒い雨の木曜日。帰りの電車で「ボンド買ってきて」と受信。帰宅すると花姫が工作で釣り堀をつくっていました。磁石で釣り上げる魚が床の上にたくさんぶちまけられていて、とても楽しそうでした。夕食は魚と野菜がとてもおいしく、こどもたちはたくさんおかわりをしました。我が輩はベースにくっつけるVox Amplugが到着したのでご機嫌。

さんま。じゃがいもと厚揚げの煮物。かぶらと飛竜頭の煮物。スナップえんどう。

肌寒い水曜日でした。屋内でも長袖のうえにジャケットを羽織っていました。夕刻まっすぐ帰宅してすぐに夕食。お向かいさんから頂いたかぶらの煮物と内儀のつくった煮ものがとてもよく似ていました。さすがは母娘。どちらもとてもおいしく、さんまも刺身品質というだけあって、こどもたちもたくさん食べました。