火曜日。引っ越しで場所が変わり、お昼の弁当の登録を忘れたので、工場長の自動車を借りて江戸川台食堂。鯖の味噌煮をほぐしておつゆをたっぷりとつけ、それをごはんのうえに載せ、残りのおつゆをたっぷりかけました。味噌汁には納豆をいれました。そしてきんぴらごぼう。旨かったなあ。今週末も鯖かなんかを味噌煮にしましょう。ただし日本海産のやつ。太平洋は福島原発から高濃度汚染水がたっぷり垂れ流されていますからね。
夕刻、柏のタワーレコードをうろついていて、コーネル・デュプリーおじさんが今年の5月8日に死去していたのを発見。愕然となりました。内儀といっしょにボトムラインに見に行ったとき、閑散としていた店内でバーボンを啜り、我々が日本人だったので「カンパイ!」といってくれました。ブライアンパークでライブが終わったあと、アメリカンエアのビニールバッグを肩にかけ、じぶんでギターをソフトケースにしまっていたコーネルおじさん。スタッフの1976年のビデオのライナーノートで、ベースのゴードン・エドワーズいわく、ギタリストを募集していて、ギターとアンプを抱えて地下鉄でやってきたのがコーネル・デュプリー。有名になってからもぜんぜん気取らず、自分のスタイルを貫いた、愛すべきすばらしいギタリスト。
ニューヨークで一人で暮らしていたころも、すばらしい音楽が暮らしを豊かにしてくれました。音楽と、すばらしいミュージシャンに乾杯。
というわけで、帰宅して標記のご飯をぼちぼち食べながら、コーネル・デュプリーおじさんのビデオを見つつ、ウィスキーのソーダ割りを飲みました。
夕刻、柏のタワーレコードをうろついていて、コーネル・デュプリーおじさんが今年の5月8日に死去していたのを発見。愕然となりました。内儀といっしょにボトムラインに見に行ったとき、閑散としていた店内でバーボンを啜り、我々が日本人だったので「カンパイ!」といってくれました。ブライアンパークでライブが終わったあと、アメリカンエアのビニールバッグを肩にかけ、じぶんでギターをソフトケースにしまっていたコーネルおじさん。スタッフの1976年のビデオのライナーノートで、ベースのゴードン・エドワーズいわく、ギタリストを募集していて、ギターとアンプを抱えて地下鉄でやってきたのがコーネル・デュプリー。有名になってからもぜんぜん気取らず、自分のスタイルを貫いた、愛すべきすばらしいギタリスト。
ニューヨークで一人で暮らしていたころも、すばらしい音楽が暮らしを豊かにしてくれました。音楽と、すばらしいミュージシャンに乾杯。
というわけで、帰宅して標記のご飯をぼちぼち食べながら、コーネル・デュプリーおじさんのビデオを見つつ、ウィスキーのソーダ割りを飲みました。
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