スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2月, 2015の投稿を表示しています

焼き鮭。大根の梅干し和え。

金曜日。朝はパン、チーズ、コーヒー、目玉焼き。昼前に水の買い出しなど。お昼はチリビーン。午後は村上春樹の「雨天炎天」で大笑い。さらに「風の歌を聴け」読了。 「雨天炎天」では、トルコの辺境のクルードの街によっぽどむかついたんだろうなあ。村上春樹は我が輩より約10 歳年上、いわゆる段階の世代の人なのだが、段階の世代のリベラルな側面を体現している人だと思う。団塊の世代といっしょに仕事をすることが多い我が輩として、彼らが村上春樹みたなリベラルな側面を持っているということがとても面白い。 「風の歌を聴け」が出版されたのは197年。我が輩は大学3年生で、その頃に「風の歌を聴け」を読んでいたらどう感じたのかな。あるいは読んだのかもしれない。「パン屋最終撃」は読んだことを憶えているのだから。「風の歌を聴け」は、出版された1979年から9年遡った1970年が舞台だから、若い人たちにとってはミシマと同じくらいの古典なのかもしれない。 晩御飯は焼きシャケと大根の梅干し和え。しみじみうまい。

チキンカツ卵とじ丼

木曜日。朝はパンとコーヒー。お昼まえに内儀+月子といっしょに家を出て、女性2人はバレーのレッスン、我輩は電気屋ビル経由で両替屋。電気屋ビルでソフトウェアなど購入しビルを出たらしっかりした雨。向かいのビルで両替し、無線タクシー屋でタクシーに乗って渋滞のなかを帰宅。坂道をどんどん上がるにつれ、雨が雪に変わりました。お昼は家でラーメン。テレビで映画など見ているうちにみんな帰宅。晩御飯はチキンカツ卵とじ丼。

ハーブの香りのスパゲティ。

水曜日。あー腹減ったと帰宅すると、内儀がおつまみ(イラン名物にんにく酢漬け、オリーブ、ローカルのカマンベールチーズ、ピーナッツ)と発泡白ぶどう酒を出してくれました。イケるね。夕食はハーブの香りのスパゲティ。ハーブというのは、こないだカスピ海沿岸のアモールという街に出張したとき、道端の土産物屋で買った瓶詰めです。うーむ、ローカルのエスニック食材をうまく取り込むのはやっぱり才能なのだな。

焼き鮭。味噌汁。

日曜日はネットが通じなかったのでこころ豊かに静かに過ごしました。月曜日はネットが通じましたが、スピードが遅かったのでテレビでアクション映画を見ていました。晩御飯は焼きシャケと味噌汁。

肉じゃが。ごはん。漬物2種。

金曜日。午前11時に起床。みんな腹が減っていたので、とりあえずポトフとパン。外は曇り。家でまったりと過ごし、昼寝、ネット、テレビ、そしてレモン喰い。こっちではグレープフルーツみたいなレモンがあって、酸っぱくないのでそもまんま食べることができます。8コくらい食べました。満足満足。夕食は肉じゃが。ごはん。漬物2種。

外大会+

木曜日。2時から宴会「外大会(+関西人)」の予定が、商社マン与作氏が早く来たので午後1時から自家製ビールを飲み始め、午後3時ごろ本格的に人がそろい、夜更け11時前まで宴会を続けました。家族含め14人、乳幼児2人が参加して拙宅ウサギ小屋が満員御礼。シタールのケイコ先生の師匠、クルード系ミュージシャン・シューレイシュ氏が来訪し、ミニミニコンサート。いやー素晴らしい。 メニューは内儀の肉じゃが、スモークト鶏肉入りポトフ、サラダ各種、チキンチーズはさみ揚げ、炊き込みご飯、焼き鮭ぱりぱり焦げ皮付き。鯵のてんぷら。お漬物2種類。 いやは、面白かったなあ。

ラレーホテルでレセプションごはん。

水曜日。朝は普通に出勤。お昼は地下食堂でお肉と緑野菜煮込みかけごはん。夕刻、自動車でラレーホテル。早いめに着いたのでバナナとオレンジで腹ごしらえをしました。会合が始まり、イラン人や日本人来賓のいろいろな話を聞き、それからごはん。サラダとイランごはん2種類、チキンをひときれ。イランのごはんはいろいろありますが、まるで日本のふんわり焼いた厚焼き卵みたいな食感と味がするものもあります。ごはんだけで食べれそうです。10時に散会して自動車で送ってもらって帰宅。家族旅行から帰って出張、そして今日の会合。さすがに疲れたなあ。

チキンカツ。キムチ。ごはん。

火曜日。朝は普通に出勤。やっぱりテヘランはあんまり寒くないなあ。帽子も手袋もいりません。お昼はお弁当。春巻き入り。茹でほうれん草入り。卵焼きも入ってる。嬉しいな。夕刻まだ明るいうちに帰宅。街路樹の枝のつぼみが膨らみ始めています。帰宅して緑のレモンを絞った自家製ビールを飲みました。楽しいな。夕食はチキンカツ。ギリシアが破産しそうなのにギターなど弾いています。サラ金から借金返せ、さもなくば家計を切り詰めろと迫られ、「家計切り詰めなんてしません!もっと使いたいからもっと金貸せ!さもなくばバックれてやる。」って、そんなんアリなのか?チーズとオリーブくらいしか売るものがないんじゃないか?サラ金も共倒れになるのか?

宅で焼きシャケごはん。キムチ。

月曜日。朝、モーテルをチェックアウトして自動車に乗り、アモールの街の大衆食堂で朝ごはん。ひとり5万リアル(190円)でチーズ、トマト、トマトオムレツ、ソーセージ入りスクランブルエッグ、ナン、紅茶の朝食。味のある爺さまがすみっこでナンをもぐもぐ食べていたり、若いヒゲ男たちが挨拶してハグハグしたり。こういう町の食堂っていいよね。自動車に戻って用務先へ。用務先でそこのボスに挨拶したり、会合に出ていろいろ話をしたり。お昼に用務先を辞して自動車で一路テヘランへ。途中でフルーツやクッキーをお土産に買い求め、お昼は山の手前のドライブインでスープ。丸い黒パンをくりぬいた中にクリームシチューが入っています。モルトドリンクと一緒で約10万リアル。(380円) 晴れていたカスピ海沿岸から山にさしかかるといきなり霧。ダマバンド山を巻いて山脈のこっち側にくると、ほぼ雪。途中で立ち寄ったトイレの水の冷たかったこと。テヘランの入り口から渋滞で、家にたどり着いたら午後5時前でした。 夕食は焼きシャケとご飯とキムチ。内儀がパリパリに焼いてくれた皮が嬉しかったなあ。

カスピ海沿岸のマハブダバードで魚と鶏料理。

日曜日。朝は普通に出勤し、午後から自動車で山越え出張。富士山にそっくりのダマバンド山・標高5610メートルを巻いて通りすぎ、(ということは標高3000メートルくらいを通りすぎたのか)168kmを(昼飯込みで)3.5時間くらいかけて移動しました。昼飯は途中のルデヘンという 町の大衆食堂でカバーブ飯。アモールという街を通りすぎ、カスピ海沿いのモーテルに到着し、着替えて海を見に行ったらすでに世間は暗くなりかけていました。カスピ海の水はちょっとだけ塩味がしました。夕食にはまだ早いので同僚、運転手氏と部屋で水タバコを回し飲みしながら持ち込んだ鎮魂酒を酌み交わし、よもやま話など。8時半ごろぼちぼち行くべということで徒歩で近所のレストラン。チキン半分ぶった切りの煮込み、魚の開きフライ。帰宅してシャワーを浴び、ベッドに入ったら11時前でした。

アティーグレストランでイラン料理

土曜日は降ったり止んだりの雨。朝はホテルのビュッフェ。午前中に荷物をまとめチェックアウトして荷物をホテルに預け、タクシーでダウンタウンのバザール。内儀の所願を満足させたらアザーンが聞こえ、アザーンが聞こえたら店が一斉に閉まると聞いていたので、バザールを出て向かいの古い建物の2階のカフェ兼レストランへ。カフェでお茶をしばきつつ体を休めていたら、レジのおじさんがやってきて日本語で、「日本人でしょ。わたしイバラキの角X水産で働いていたのよ。ししゃも、みりんぼし、あー食べたいなー。ビールうまかったなー。」いやは、イランと日本のビザ免除協定があった(もうない)おかげで、こんなに親日家が増えたんだねー。 となりに座ったお兄さんが水タバコを勧めてくれたので一服。それから食事を頼みました。野菜のツボ蒸しからスープを抽出し、ご飯にかけて食べたりナンを浸して食べたり。ツボの内容物をリン棒みたいなやつでぐちゃぐちゃに潰し、またご飯と一緒に食べたり、ナンにのせて食べたり。おなかが落ち着いたので、同じ建物のカバンやで娘たちにリックサックなど買い求め、タクシーでホテル帰着。ちょっと時間を潰してから空港へ。空港まで約30分15万リアル。首尾よくチェックインしてほぼ時刻通り登場し、ほぼ定刻通り出発。飛行機は珍しいBAe-146。小さめです。機内食は例によって鶏肉、野菜ブロック、白菜、パン。ほぼ定刻通りテヘランに到着し、タクシーで帰宅。ああ楽しかった。

ガスタン食堂のテイクアウト

金曜日。朝はのんびりしてホテルのビュッフェ。食後、ホテルから歩いて2分のコラーン門を見学し、道路を渡って向かい側の岩山の階段を登り始めました。ちょっとびびるくらいの高みにまで汗をかいて息を荒くして登り、対面つまりホテルの裏山を見たら、さらにびびるくらいの斜面を登っている人々や、断崖のエッジに立っているおじさんが見えました。ほんっとにイラン人って、高いところが怖くないみたいです。シラーズの街が一望できる高みに達して満足。ホテルに戻る前に、近所でサンドイッチやポテトチップスやモルトドリンクを調達し、ホテルで簡単な昼食。ひと休みして、午後2時からまた豪華バンをチャーターして日本語ガイドつき市内観光。カリム・ハンのお城、植物園、ヴァキルモスク、イマーム・レザの弟でアラブ人に殺された殉教者が眠るモスク、偉大な詩人ハフェーズのお墓を見学し、暗くなる頃ガスタン食堂でテイクアウトしてホテル帰着。いやなに、ホテルの食堂が開くのが遅いので、テイクアウトしたというわけです。カバーブ、ナスのトマト煮、チキンの埋め込まれたご飯など。

ペルセポリスのペルシアンレストラン。ホテルのビュッフェ。

木曜日。朝はホテルのビュッフェ。朝9時から郊外の豪華バンをチャーターして日本語ガイドさん付き遺跡観光。まずはパサルガデ。前日シラーズに着いたばかりの文章では「砂岩みたいな」と書きましたが、これらすべて石灰岩だそうです。ホテルを出てコラーン門を通り、一路北東へ。奇岩山を縫うように1時間あまりバンで走ると、山に囲まれた盆地にキュロス大王のお墓がどーんと見えます。そしてその周囲に遺跡群。宮殿に登ったり、駐車場の小屋でオレンジを食べたり、写真を撮ったりして堪能してから出発。今度は南のほうに50kmばかり走るとペルセポリス。遺跡見物の前に近所のレストランで食事。ナスのトマト煮、養殖マスのソテー、うずらと鶏の中間くらいの焼き鳥。サラダバー。どれもうまかったなあ。がいどさんと運転手君の分も含め6人で110万リアル=4000円くらい。観光地なのにこの良心的な価格! ペルセポリスは世界遺産なのに、入り口の隣の公園で家族連れがカバーブを焼いたりしてピクニック。これを許してしまうイランのゆるさっていいよね。ペルセポリスは圧巻。このスケール感というのは、来てみないとわからんのじゃなかろうか。 それから自動車で数分走ると、石灰岩の岩山の断崖中腹に掘られた巨大な4基の墓。ダリウス、アルタクセルクセスなど4代の王の墓だそうです。ただし中身は盗掘されてがらんどうとのこと。それにしても作るほうも盗むほうも、イラン人って高さが強くないのかね。 暗くなるころにホテルに到着し、夕食はホテルのレストランでビュッフェ。

機内食。シーラーズでアーシュレサブジ。

水曜日は革命記念日でお休み。小雨のなかを家族4人で空港に向け出発。国内便専用の空港は革命広場への道をちょっとだけ通るので、そこで革命広場にお祝いに行く人たちのトラフィックと遭遇。まだ時間が早かったのでよかったのですが、空港でテレビを見たら100万人集まったって言ってました。いやーよかったよかった。 飛行機は定刻1時間遅れで飛び立ち、機内食はチキンと緑野菜を三角に固めたやつと白菜。どの飛行機会社でもどの時間帯でもほぼ同じメニューなんだな。旨いけど。特にパンがよろしい。まともな材料でちゃんと作っているのだろうな。ということは、他の国の他の飛行機屋のまずい機内食は、どこかで手を抜いているのかな。うん、そうに違いない。 シーラーズ空港について、タクシーで町の中心部を反時計回りに迂回するような形で、中心部から北に2.73km離れたホテル・シラーズに到着。遠くから見ていたら「なんじゃいなこのホテル、誰が泊まるんやろ?」と思っていたら、泊まるのは他でもない我々でした。 シーラーズの北にかけて、木がほとんど生えていない無愛想な山、しかも砂岩でできたようにしか見えない山が続きます。しかもほとんどがいきなり山、これはなにかというと、幼稚園児の書く山のように、平地におにぎりみたいな山が突然現れるというやつです。その山のあちこちに誰それの廟があるとのこと。 厳密にいえばシーラーズは標高1491メートルなので平地ではなく高原です。その町の北に砂岩がにょきにょき生えていて、斜面にお墓や廟がへばりついているという感じ。その後ろにはさらに高い山々があります。 ホテルにチェックインしてから内儀とホテル内を散策。6階にロビーがあって、そこからシーラーズの街が一望できます。なるほど、砂岩の山にへばりつくように建てられた、廟のような巨大な墓石のようなホテル。これは砂岩の山に登らなくてもホテルに滞在するだけで景色を楽しめるという趣向なのです。 ホテルを出て、ハフェーズという詩人の名前を冠したふつうの道を南に下り、アシューレといううどん入りの豆煮込みスープを2人前 3万リアル、パン屋で焼きたてのひらべったいパン5千リアル、水やジュースやモルトドリンクやポットチップスを8万リアルで買ってホテルに戻り、みんなのお腹を落ち着かせたら日が暮れました。今日の活動はこれまでかな。

おでん

火曜日。曇り。モルトドリンク(いわゆるノンアルコールビール)を6本1パック買って帰宅。自家製ビールの仕込み。前日に仕込んだ白ぶどう発泡ジュースの中身がずいぶん減っているなと思ったら、なんとボトル(モルトドリンクのボトルを再利用)がぱんぱんに横に膨らんでいたからでした。ガスを抜いても元に戻らないくらい、樽みたいに膨らんでいました。夜はおでん。

いかのてんぷら。きゅうりのオイスターソース胡麻和え。

曇り時々小雨の日曜日。それでもあんまり寒くならないなあ。このまんま春になるのだろうか。朝はシャケ切り身しょうゆ漬け焼き。お昼はお弁当。夕刻退社してバスにのってジャメジャムスーパーマーケットに立ち寄りゴミ袋など買って帰宅。帰宅したら内儀がいか天の準備をしていたので、みんな揃って揚げたてをいっぱい食べました。忘れていた自家醸造ビールを開けてみたら、泡ばっかり出てきました。ほとんど泡やん。ま、味は悪くなかったけれど。

生サーモンのしょうゆ漬け焼き。白ご飯。

土曜日は週の始まり。朝は雑炊。お昼は出先でお昼をご馳走になりました。京の茶漬けというのがあって、「お茶漬けでもどないどす?」と言われたら「あんたらぼちぼち帰りなはれ」ちゅう意味ということですが、平安京遷都から数えて今年は1220年くらいですか?イランは紀元前3000年に遡ったとしたらなんと5000年の歴史。その間ずっと京都だったのだから、「お昼でもいかが?」なーんて誘われたらケツまくって退散するべし、と考えるのは都会人のことで、ワシなんてしょせん日本でも兵庫の港の西のはずれ、西宮の浜のごろつきバーバリアンなので、「いただきます!」 でてきたのが、ご飯の山に埋もれた巨大な鶏胸肉。うまい。しかしそれだけで3人分の昼食。そして巨大なキャベツレタスサラダ。このサラダだけでもじゅうぶん1人前の昼飯。そしてヨーグルト・・・。 イラン人を家庭に呼ぶときは大変よ。食べきれないくらいの量、4倍量を用意しないと失礼になるんじゃないかな。と思った次第です。 夕方帰宅。鎮魂酒を飲みながら内儀と情報交換。家で女房と酒を飲んで楽しいなんて、いいよね。BGMはボブ・バーグ。1951年生まれ。2002年12月6日、凍結したロングアイランドの路上で止まりきれなかったセメントミキサー車に衝突して死亡。享年51歳。我輩は何をしていたかな?たぶんインドネシアへの出発を控えて、花子のおしめを替えていたかな? 夕食は生サーモンのしょうゆ漬け焼き。花子のリクエストだそうです。いやーうまい。イランにいてこんなうまい魚が食えるなんてね。こんないい国に長くいると世界を舐めてかかりそうになります。

ただいま、てか。

2015年2月6日。Livedoorの「中華喰うか」に書き込みができなくなったのでここに戻ってきた次第です。えっと、木曜日の食事から。 木曜日はお休み。だけど花子は学校なので早く起きてパンとコーヒー。お昼は内儀と月子と待ち合わせてジャメジャメスーパーマーケットの2階のフードコートでチキンロール。でかくてうまかった。ちなみにこのフードコートはテヘランで最初のフードコートなのだとか。3人で50万リアル(=1900円くらい)っていうのは決して安くないけれど、ボリュームがあってうまい。経済制裁が解除されたとして、マクドがはいってきてもこの国で生き残るのは難しいだろうな。ここの外食の食材は地場産で新鮮で、その場で作るし。 金曜日はゆっくり寝て、パンとコーヒー。お昼はチャーハン。夜は焼きそば。