休業日の朝、3時45分に起きて、エンジェル一家と山のような荷物を自動車にのせて5時20分に出発し、6時35分成田空港第1ターミナル到着。赤ん坊の名前が長いので航空会社がタイプミスし、それが原因でカード支払いがうまく行かず、パスポートをもってエンジェルがあたふたとカウンターを往復し、チェックイン完了が7時45分。内儀が用意してくれた鮭おにぎりひとつをかじりつつ運転し、ひさしぶりのサパンでパンを買って帰宅したら9時30分ごろ。おなかがすいたので野菜たっぷりの塩ラーメン。 タイ・ラオ演歌(モーラム)の書き取りなどして遊び、登校日だったこどもたちとパンを一切れ、ミルクティー。ひさびさに静かな我が家で、内儀とあれこれ語りました。結論めいたものがあるとすれば、インドネシアのようなメイドさんがいて、しかも毎食外食が普通の環境で生まれ育った客は、普通の日本家庭の主婦業を理解するのは難しいということ。掃除、洗濯、買い物、子供の面倒見など、主婦ひとりの細腕にすべて重圧がかかることを、彼女ら彼らは感覚的にまったく理解できないこと。個々の事象は理解できても、複数の工程を限られた時間内で複数走らせ、完了させるというシーケンスを組み立てることができない。そういう発想すらない。たとえば、内儀が一所懸命夕食を準備しているときに、「さあ、座ってお話しましょ!」 日本のママはみな偉大な工場長であり、同時にラインオペレーターである、ということです。 国が発展すれば所得水準があがるので、メイドさんのなり手がいなくなり、みんなが自分で掃除洗濯炊事子育てをしなければならなくなります。日本の感覚が今後のグローバルスタンダードなのです。