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8月, 2011の投稿を表示しています

鮭茶漬け。野菜ソーセージ卵炒め。かにサラダ。トマト。

水曜日は代休。朝はお粥。午前中にブンガを塾に送り、帰りにイラン人のリサイクルショップひまわりでロジテックのサブウーファーを購入。500円。帰宅してそのサブウーファーのスピーカーをマシなやつにいれかえたら、音が格段に改善。お昼はざるそば。それから歯医者。「歯はぜんぜん悪くありません。緊張かストレスでしょう。」と言われ、さては中華旅行がストレスだったのかな。午後はこどもたちにつきあって写真屋、ビデオ屋、本屋など。帰宅して標記の夕食。それから柴咲コウの「少林少女」を鑑賞。

トマト、胡瓜、いかの和風マリネー。じゃがいもサラダ。苦瓜チャンプール。

火曜日。午前中は会議で、午後は野田工場。あっというまに1日が終わりました。工場長に送ってもらって帰宅。標記の夕食。ちょっとだけ白酒を飲みましょうと思い、ショットグラスで唇を濡らしただけでこどもたちが「臭ぁい。」クモノスカビによる発酵は、一般の日本人には臭いようです。

なすの揚げ浸し。冬瓜とおくら煮。冷奴とつる紫。おにぎり。

月曜日。朝はおにぎりと味噌汁のあと、ひさしぶりの出勤。お昼はとろろ蕎麦。夕刻、本社に毛沢東胸像デリバリー後、新柏の書店散策。帰宅して、家族がブランお迎えに行った間に標記の夕食。薄いバーボンソーダ。

サパンのパン。冷やしうどんとタマネギかき揚げ。おにぎりと豆腐と苦瓜チャンプルー。

我が「中華喰うか」も、ようやくカレンダーに追いつきました。日曜日の朝はサパンのパン。豆乳コーヒー。豆乳コーヒー、というのはコーヒーやさんで「ソイラテ」と呼んでいるやつですが、ソイは大豆、ラテは牛乳なので、ソイラテでは大豆と牛乳になってしまいますがな。可怪しいやん。本来はカフェソイとか、マキアートソイとか、エスプレッソイというべきです。 お昼前からブンガ(花)の自由工作お手伝い。お昼は冷やしうどんとたまねぎかき揚げ。午後もブンガのお手伝いと、ブラン(月)の宿題のわからへんとこ解説。午後4時ごろ、ブンガもブランもカレーシュー宅にいったので、ようやく解放。と思ったら、内儀の依頼でお買い物。そのついでにカレーシュー宅でふたりをつかまえて帰宅。夕食はおにぎりと男前豆腐とキムチ。お向かいさんから苦瓜チャンプール。ブンガブランのBBコンビは、お風呂にはいってからお向かいさん宅にテレビを見に行きました。 夕食で湖南省長沙のはなしをしていて思い出したのですが、常に出たのが120度に縦切りしたきゅうりと甘辛味噌。まるで我が国のもろきゅうです。我が国が湘菜から輸入したのかなと思い調べてみると、もろきゅうにつける金山寺味噌は宋の時代に江蘇省の鎮江府金山竜遊江寺から伝えられたのだとか。旨い胡瓜と旨い味噌があれば、誰でも同じようなことを考えるということでしょう。

うどん。機内食。マレーのカレー麺。燕京ビール。

27日は土曜日。広聖大酒店の朝ご飯で、前日とは違う湯麺を頼みました。この日は幅広の麺条。食べてみると、スープも前日とはちがい、淡白で旨いスープに鹹菜がはいっています。麺もそこそこで、日本のうどんを食べるようにつるつると入りました。麺になにかを求めても、たまにはよさそうです。 朝一番で出発し、空港でチェックイン。ゲート前の売店でナショナルジオグラフィック中国版のモンゴル特集を買い、北京行きに搭乗。機内食は牛肉飯と鶏肉麺のうち、飯を選びました。これが正解。牛肉は箸にも棒にもかからないまずさですが、つけあわせの搾菜と酸菜で白ご飯をおいしくいただきました。 出発・到着ともにたっぷり1時間遅れ、午後4時前に北京首都国際空港のマレー料理店でカレーヌードル48元とギネス30元。うれしいことにギネスはマレーシア産でした。馬来ギネスはアイルランドのギネスよりも濃く苦いので、我が輩の好みです。 羽田行きに定刻で搭乗。機内食はお断りして、燕京ビールのみ。はじめての燕京ビールは、期待に反して甘口でした。定刻に羽田に到着し、あっというまに入管通過。「お荷物引渡しまであと10分」という表示通り、10分後に荷物がではじめ、15分後に税関通過し、20分後にモノレールに乗りました。羽田は国際レベルの空港です。 モノレールのエスカレーター前で、このたびは挺身決死隊というべき活躍をしてくれたコニシシとお別れ。帰宅は真夜中近く。

湘菜3日め。

26日は金曜日。思うに湘菜というのは、煮物など基本的に淡白で素材の味を生かし、出汁は豚、牛、山羊など獣肉を使っているのに薄味で、日本の煮物に似ているかんじがいたします。そこに唐辛子をたんと放り込んだ、っちゅう感じでしょうか。 さて金曜日の朝、広聖大酒店の朝食で麺台を見かけたので、拉麺を頼みました。ひとくち食べて、どんなふうに形容しようかとしばらく考え、こういう表現に思い到りました:湖南人が拉麺に何を求めているのか、我が輩には全くわからん。 麺にまったくコシがなく、出汁にまったくうま味がありません。出汁は基本的に、黒ずんだ汁に酸菜を刻んでいれただけのものです。 前日に全工程をがんばって終えたので、湖南チームの粋な計らいでこの日は旅遊。68kmはなれた韶山、毛沢東の生家へ。このあたりの村では、「毛姓でなければ楽な暮らしができないので、子供を毛姓の家に里子に出す人も多い。」というくらいで、ざっと8割がたの店が「毛」を名乗っています。なにかあるたびに「われわれの同志毛沢東」と連呼する、若いのに地味な感じのガイド嬢の案内を聞きつつ、毛沢東故居を拝観。 ちなみに中国語で「我々」というのは2種類あって、聞く人を含める我々と、聞く人を含めない我々があります。地味なガイド嬢はことごとく前者の我々を使いました。 さらに江沢民時代につくられた毛主席の銅像を拝観。ちょうど献花式をやっていたので、「東方紅」のBGMつきで、いい動画が撮れました。我が輩もコニシシも、紅旗の前でポーズを決め、記念撮影をし、毛沢東の本やらTシャツを買い求め、池のほとりの物売りのおばちゃんから毛沢東の胸像と立像を、革命的ペンダントのオマケ付きで20元で買いました。最後に「為人民服務」のズックバッグが欲しかったのですが、値引き交渉が決裂してギヴアップ。 お昼は毛姓飯店で家常菜。「江沢民、胡錦濤もオラっちで飯喰ったっぺ。」というキャッチフレーズです。桶にやまもりの白ご飯。唐辛子と搾菜を刻んで炒めたものを田麩みたいにご飯にまぶしたら、食がすすみます。そしてまた酒鬼。 午後は長沙にかえり、古長沙街を散策。睡蓮の実を齧りながら街路を歩いていると、王さんが臭豆腐を見つけたので、みんなで賞味。ここらへんの臭豆腐は、まっくろです。湖南省チームのみならず、山東省チームも口を揃えて曰く、「臭豆腐は長沙がオリジナル。」ちな

湘菜2日め。

25日は木曜日。朝食はホテル広聖大酒店。粉ミルクを薄く溶かした飲み物。昔なつかしいミリンダオレンジを彷彿とさせるジュース。真っ黒な焼きそば。真っ黒な炒飯。固い包子。味のない粽。秀逸なのはスイカ。午前中に重機工場参観と重機実演。お昼も湖南料理。山盛りの冬瓜煮みたいなのが出てきたので、「冬瓜かな?」と尋ねると「大根だよ。」大根を縦方向に120度づつ切って煮てあります。山盛りだと思ったら、山の下には牛の巨大な膝骨。非常に旨い料理でした。印象に残ったのが長豆。豚の脂身のうえに、茹でた長豆をくるくると巻いて載せ、鉄板上でじりじり焦がし、そのうえにグレービーソースがかかっています。旨い。そして巨大な肉まん。それだけでおなかいっぱいになるものが、料理の後半に出てくるという荒技です。そしてお昼なのに酒鬼ブランドの白酒。昼食後、「長沙は暑いから午後3時半まで休憩。」といわれたのは、山東組も参っていたからでしょう。 午後、コニシシの重機操作技術習得と技術項目詳細検討会。重機フェチであるコニシシの習得速度が3倍速だったのと、技術項目詳細検討会では同僚の張さんが日本で作ってくれていたリストが秀逸だったので、倍速終了。夕刻6時半までに翌日の日程を終了してしまいました。 それからもちろん夕食。 「さっき食べ終わったばっかりやがな・・・。」と日本の湖西方言でぼやくコニシシ。 「主賓がぎょうさん喰わんと、山東組の面子にかかわりまっせ。」と我が輩。 夕食も湖南料理。田螺の火鍋。我が輩は遠慮しましたが、コニシシは食べていました。もちろん劇辛。湘菜名物紅焼肉(豚の角煮っぽいやつ)。川魚の唐辛子火鍋。米豆腐。隣を見ると、魚肉といっしょにコニシシが食べようとしているのが、ぶつ切りのぶっとい緑唐辛子。コニシシはオクラと間違えたのでしょうか。「あ。やめときなはれっ!」というまもなく、ひとくちで食べてしまったコニシシはむせ返り、真っ赤になって咳き込んでいます。山東組の王さんいわく、「それでビール1本開けちゃった日本人がいましたよ。」食後、頭痛まで催してきたコニシシのおかげで、その日も2次会はなし。

おにぎり。人民航空の機内食。

24日は水曜日。朝5時の電車に乗ってモノレールに乗り継ぎ、6時15分に羽田空港国際ターミナル。早いめにチェックインして、ターミナルがオープンして初めてゆえ2階の食堂街を探訪。成田第1、第2より格段にバリエーション、価格ともに良心的です。 同行のコニシシと合流し、カステラとタバコを購入してゲートへ。我々は非喫煙者ですが、中国でタバコは労働現場の通貨がわりになります。ゲートで内儀のつくってくれたおにぎりを食べました。 北京行きの人民航空(今は中国国際航空といいます)8時半発に乗ると、機内食。ヌードルを選ぶと、よくあるインスタントヌードルに白黒ソースと、半熟たまごが絡まっています。白黒ソースというのは、混ぜかたがぞんざいなので、黒ソースがかたまっているところと、まったくからまっていないところが混在しているということです。こんな混ぜかたができるということは、この機内食は北京で積み込んだものに違いありません。くだものはスイカとメロン。さらにヨーグルト。ヌードルはぞんざいな割には、喰えなくはないレベルでした。 北京で荷物を受取り、そのまんま乗り換えカウンター。ゲート近くのコンビニでビールを購入。コニシシは天津甘栗を欲したのですが、4パッケージ入りの大袋しかありません。 「小さいのはないの?」 「4つはいっているからお得です。」 「小さいのはないんだね?こんなにたくさんいらないんだけれど。」 「小さいのが4つ、はいっています。お得です。」 売り子さんと不毛な会話を交換し、あきらめてゲート近くのベンチで乾杯。 我が輩がリラックスして不毛な会話を楽しんでいるので、コニシシは怒らなかったようです。 13時、湖南省長沙行きのフライト。機内食は鶏肉飯もしくは牛肉麺。麺をたのんだら、真っ黒で脂ぎった麺が入っています。食べてみると、異次元の味がいたします。しかし周囲を見渡すと、同志人民はみな黙々と食べています。楽しまない食事もあるということを悟りました。 モダンな長沙空港は未完成で、コンクリートの粉塵が舞っていました。山東省青島からほぼ同時刻に飛んできた王さん屠さん崔さんに出迎えられ、そのまんま重機会社オフィスに拉致され、企業紹介のプレゼン。その後、長沙組と合流し、大蓉和という湖南伝統料理レストランの星沙店に拉致され夕食会。 長沙の古名は湘。湘菜というのは、中華料理でひとつの大きな勢力圏を形成

さんま蒲焼き。チーズポテト焦がし。痒い痒い芋のり巻きフライ。

朝は曇っていましたが、午後から蒸し暑くなりました。中国の広州東莞市厚街のバッタ屋で買ったナイキのメッシュ靴が崩壊したので、帰りに夏靴を買い、ついでに駅に隣接したビルの一階、ファーストキッチンの隣でコーヒーの布フィルターを買いました。 帰宅して夕食。こないだの週末、祭りだお呼ばれだということで、お好み焼きに使われなかった痒い痒い芋すりおろしを、内儀が海苔で巻いてくれてフライ。ポテト焦がしのチーズ絡めでバーボンのソーダ割り。さんま蒲焼きでごはん。

鱈子チーズスパゲティ。もやしとキャベツのサラダ。茹でとうもろこし。いか煮。

まだ涼しく、ときどき雨模様の月曜日。ひさしぶりなのでどうやって出勤してどうやって働いたらいいのか、しばらく茫然としました。午前中に本社で旅行会社の人と会ったこともあり、あっというまに1日が終わってしまいました。帰宅して夕食。内儀は徳若の21度の原酒がよほど気に入ったらしく、冷やでおいしそうに飲んでいました。我が輩にとって日本酒は、きわめてたまに飲む酒なので本日は遠慮。前夜お向かいさんで飲んだところによると、どうやら日本酒の特徴として、第1に細かいことに気がつくようになる、第2に饒舌になって、細かいことを口に出してしまう、第3に、身体が重くなるので言ってしまってもまぁええかと考えてしまう、という特徴があることに気づきました。それがネガティブに表れると、愚痴系の酒になるということでもあり、ポジティブに表れると、我が日本民族の特徴である、細かいところに気がつき、気が利いて、痒いところに手が届くような懇切丁寧なサービスができるということになるのであります。 我が輩の即席学説では、麹菌こそが日本民族の特徴を育んできた、と言えるのであります。

刺し身。鯛の粗汁。枝豆。茄子の揚げ浸し。カレーライス。

朝はパン。餡パン18個、チーズパン8個、ソーセージパン6個。餡パンを多くしたのは、前日の内儀の学校で餡パン難民が多数でたとのことゆえ。本日は雨なので内儀を駅まで送り、10時にふたたび駅前。花の髪きりと、月の写真現像。お昼、こどもたちは習字の先生宅でカレー。我が輩はなんとなく腹が減らなかったのでチーズパンなどで誤摩化し、午後一番でお向かいさんのお使い手伝い運転手。ご褒美に夕食はおよばれ頂くことになり、万歳三唱し、夕方内儀にメール。午後はこどもたちの宿題自由研究の原案づくり。夕方に鯛の粗汁を手前味噌仕立てでつくり、ねぎを細かく刻んだものをお椀にやまもりにして持ち込み、標記の夕食。21度の原酒で乾杯したところに内儀が帰宅、というか実家に直行と言うべきか。たった1杯でへべれけになり、花の残したカレーライスを片付けたところでギヴアップ。おいしいお茶を頂き、帰宅しました。

おこのみやき。

土曜日。朝はパン。チーズパン16個、あんパン16個。金曜日の真夜中近くに仕込んだのですが、ほとんど秋といっていいような涼しさで、発酵が遅くなりました。餡パンを内儀にもたせ学校へ送り出し、こどもたちはりこちゃんとあそぶため、習字の先生宅にいりびたっています。お昼は呼び戻して蕎麦。午後に買い物。夏休みの宿題の工作のための木の端切れ、長いも、豚肉、キャベツなど。夕方はやくにお好み焼きの準備で、5時には焼き上げ、こどもたちに食べさせ、町内会の夏祭りに送り出しました。

ほっけの開き。トマトツナサラダ。徳若の冷や酒。

19日の金曜日。朝5時に起きて散歩するつもりが、寝坊助で7時すぎに内儀とサパン。パンを買って帰り朝食。午前中にあれこれ荷物の整理とかしていると、豪雨。お昼は蕎麦。自転車にかごをつけたり、雨水樋の通りをよくしたり、洗濯物を乾かしに行っているうちに小雨になりました。夕食はほっけの開きなど。西宮から買って帰った徳若の21度の辛口原酒を内儀と楽しみました。

なすとおくらとハム炒め。酢だこ。きゅうり揉み。辛味噌。

18日の木曜日。朝から宅急便の荷造りやら、電灯のタイマーいじりやら。そんななか、納屋からひっぱりだしてきたオリベッティのタイプライター33年もの。子供たちにおおいに受けたので、宅急便で発送。 「パパ、こんなの持ってたんだ。」と、月。 「パパのじゃないよ。」 「じゃ、誰の?」 「むかしの、こ・い・び・と。借りたまま返さないうちに別れた。」 「ママには黙っておこう。」 郵便局の帰り、中古厨房器具のテンボスでコーヒーポットの上半分を購入。いわばステンレスの円筒に取っ手がついているだけのものですが、大きな布フィルターで大量のコーヒーを入れるときに重宝します。 「ママには黙っておこう。」と、我が輩。 「すぐにバレるよ。」と、花。 帰宅して一息ついたので、納屋からまたまた引っ張りだしてきたのが、レミントンのタイプライター。これはたぶん、50年ものくらいかなあ。あるいはそれ以上。正真正銘のアンティークです。説明書にハンコが押してあって、1582 Broadway, Brooklyn とありますが、これは店の住所でしょう。これには内儀が大喜び。 「もって帰りましょ。ママがもらうわ。」と内儀。 「パパ、これは誰にもらったの?」と月。 「耳貸してごらん。むかしの、こ・い・び・と。」 「すごーい、ふたつもくれたんだ!」 「しぃー!ちがう女性だよ。さっきのオリベッティは長谷川さん、レミントンはキャシー。」 「ママにはいえないね。パパ、こいびとからタイプライターばっかりもらってたの?」 「・・・。だまっててね。お願いだから。」 お昼は内儀が前夜から仕込んでくれていたミートソースのスパゲティ。トマトサラダ。 お昼を食べて出発。おばあちゃんにさようなら。また会おうね。元気でね。 新大阪でカツサンド購入。プレミアムモルツ。帰宅して、お向かいさんで標記の夕食を呼ばれました。

居酒屋めし。

17日の水曜日。みんなお疲れで、近所でごろごろ。震災以来すっかりさびれた甲子園市場の文房具屋さんにいって、おまけをもらって喜んだり、その裏手の松永酒店が廃業していたのでさびしくなったり。そこは高校時代の同級生の実家なのでした。臨港線沿いの、やはり同級生の家のあたりがすっかり変わっているのに茫然となったり。おかんに頼まれていたあれこれも済ませ、夕方みんなで出かけた大関の関寿庵でおみやげを選んでいたら、店長さんがやってきて、 「今回は聞き酒まだでっか?」 「今回は・・・まだです。」 「吟醸の生です。山田錦を60%まで削ったあります。」 なみなみと注いでくれました。こんなけの量、酒屋でのんだらエラいことでっせ。おまけに内儀のぶんまで。内儀が聞き酒もそこそこに、こどもたちに呼ばれてお菓子の陳列のほうに行っている間に、また店長さん。 「大吟醸です。65%まで削ったあります。」 またまたなみなみと。芳醇な香りを楽しみながら飲み干し、ええ案配で歩いて帰りました。 夜は久寿川駅の近所にできたという居酒屋。鶏の唐揚げが秀逸でした。

肉。

16日の火曜日。前日の敗者復活戦で、兵庫県立美術館。アリエッティも手がけた、種田さんの特集展。アリエッティの借り暮らしも館内につくられていて、見る人が参加できる美術展です。感動しました。いままでさんざんいろんな美術館に行きましたが、これほど感動したのは初めてです。メトロポリタン美術館もグッゲンハイムもMOMAも、感心はするけれど自分と違うところで鑑賞しているようなところがあり、それは台北の故旧博物館でも同じでしたが、種田さんの展覧会は、我が輩が大好きな映画のセットを数々手がけているということもあって、食い入るように見つづけ、興奮してパンフレットも買ってしまいました。コーフンしたので、本来は三宮で明石焼を食べるつもりでしたが、計画変更して帰りがけのロイヤルホストでお茶。帰宅して霜降り肉。内儀が工夫して、魚焼き器で油を落として焼いてくれました。さっぱりして柔らかく、ポン酢でおいしく頂きました。

ロイヤルホスト。生協のお寿司。

15日の月曜日。アリエッティの美術展のポスターを駅で見たので、岩屋の兵庫県立美術館。行ったら休館日やったので、ロイヤルホストでお昼を食べてから、坂道をのぼって王子動物園。まずパンダ。アシカ。それから遊園地で観覧車など。かき氷を食べ、猛獣舍経由で象さん。帰宅してから、生協で晩ご飯にお寿司のパッケージを買いました。

鶏屋。徳若(万代大澤酒造)

14日の日曜日。朝はパンと卵焼きなど。卵焼きは花がつくってくれました。お昼はおにぎりをを食べてからお寺のお講。帰宅したら兄貴一家が来ていて、月の宿題のねたづくりに、宮水の井戸と酒蔵通りを甥っ子のナオ君の運転する自動車で徘徊。大澤酒蔵はお休みだったけれど、どうやらその一族がやっているらしい徳若という酒蔵で、社長じきじきに聞き酒をさせてもらいました。最初は大吟醸の新酒。うーむと唸らせられる芳香。 「1年熟成させたやつもありますよ。」 香りを楽しみ、ひとくち啜って舌でころがし、 「・・・・。さっきのんが17歳やとしたら、これは27歳。結婚して、女としてのあれこれも一通り経験した、っちゅうとこですかいな。」 となりでナオ君が、悔しそうに身悶えしております。運転手なので、今日は飲めません。 「40歳、っちゅうのんもありまっせ。」 「40歳ですか?どれどれ。・・・・。」 しばし言葉を失い、 「これを知ってしまうと、27歳ではもの足りんと、いうことになりますね。ナオ君いくつになった?27かぁ、若いな。まだ40歳の佳さは、わからんやろな。これは飲まんほおがええ。そぉか、どおせ飲まれへんか。あはははは。」 ナオ君は身悶えしつつ、大吟醸を購入。我が輩はアルコール21度の辛口原酒を1升瓶で購入。 それからみんなで鶏屋で集合して宴会。とくべつ秀逸だったのはシーザーサラダ。目の前で直径65センチくらいのチーズから削り取ってサラダにかけてくれました。

駅弁。お寿司。

13日の土曜日。朝はパン。餡パン16個、チーズパン16個。前夜からお泊まりだったじゅんこたちと朝食を食べ、お昼すぎに東京駅。焼き鳥弁当を買って、2時半頃の新幹線自由席。東京からだとどれも始発なので、ちょっと前に行列していれば自由席でも大丈夫でした。夕方に西宮到着。おかんが近所の仕出し屋からお寿司をとってくれました。

美人コロッケ。刺身。トマトサラダ。

金曜日。新柏の東武ストアからいつもの小麦粉クオリテが消えていました。誰かが買い占めたのではなく、棚のスペースごとなくなっていて、ぜんぶ日清製粉カメリヤになっていました。困ったな。これでは混合して平準化できなくなります。 帰宅すると、こどもの数がふえています。キッチンでは美女たちがコロッケづくり。じゅんこが丸めて、内儀が揚げています。それをお向かいさんに持ち込んで夕食。もちろん「野生の七面鳥」も持ち込みました。

かつおのたたき。その他いろいろ豪華ご飯。

木曜日。ほんのちょっとだけ雨が降った、蒸し暑い午後でした。タイミングよく電車に乗れたので、いつもより早く着き、たまたまその辺に来ていた内儀に拾ってもらい帰宅。さて夕食。かつおのたたきに、みょうが、たまねぎ、紫蘇を刻んだものをたっぷりと載せ、それにポン酢をふりかけ、さらに油でかりかりに揚げた大蒜の細切れを慎重にのせ、それを大口開けてひとくちで食べました。口にいれたとたんに、なんと香ばしく、そして優しく、噛めば歯ごたえがあり、噛むほどに滋味が溢れ出てまいります。恍惚。そしてヘンリー負けんなというバーボンを濃いめのソーダ割にしておいたものを啜ります。至福。恐らくどんなに上手に焼けたローストビーフでも、このすばらしさ(しかも価格的に普通レベルのすばらしさ)には及ばないことでしょう。 我が輩はかつて、ラスベガスでイベントの仕事をしたときに、ミラージュホテルの食堂でたてつづけにローストビーフを食べたことがありまして、ローストビーフに関して言えば、ふつうの日本人の一生分の許容度を数日でクリアするくらい食べたものです。その我が輩に言わせれば、我が国のふつうのかつおのたたきは、みょうが、たまねぎ、紫蘇、にんにくの助けによって、どんな美しいローストビーフよりも旨くなる!と自慢できるのであります。 それ以外に、メンチカツ(の残り)やら、鰈の煮こごりやら、ソーセージとピーマン炒めやら、いろいろとありました。お向かいさんからの差し入れも合算して、とても豪華になったということです。 ところで8月の末に、中国湖南省長沙に行くことになりそうです。毛沢東の故郷。四大火炉、七大火炉などと申しまして、中国の夏でもっともクソ暑くなるところのひとつに数えられております。おまけに日中戦争当時の激戦区。あんまり行きたくないなあ。張サンによると、湖南料理は湘菜と申しまして、中華料理ではひとつの名菜グループを形成しており、なかでも長沙といえば、紅焼肉が有名だそうです。

トマトたまねぎサラダ。まぐろ刺身。ほたてバター焼き。ウィンナーソーセージと赤ピーマン。ざる蕎麦。

水曜日。早朝、内儀とふたりで散歩。天気がよく、風が吹いた日でした。おおたかの森で月のお誕生プレゼントを買って帰宅。駅からの帰り、三角公園で鳴いていた蝉の声が、心なしか金属っぽく、ハイが強調されていたような気がしたのは我が輩だけでしょう。帰ってすぐ、内儀とテラスでふしぎな雲を眺めました。夕食はトマトたまねぎサラダ。まぐろ刺身。ほたてバター焼き。ウィンナーソーセージと赤ピーマン。ざる蕎麦。

うどん。コロッケ。

火曜日。天気がよく陽射しが強かったのですが、前日ほど蒸し暑くなく、助かりました。内儀からの連絡で、帰りにおおたかの森で待ち合わせ、ちかごろフライドチキンにハマっている花が内儀とKFC、我が輩と月はうどんとコロッケ。帰りにミスドで夏の新作ドーナツ。くまさんの顔のかたちのドーナツですが、「齧りようによってはホラー映画やね」などと無駄口をたたきながら自動車で帰宅。

おめでとうオムライス。フライドチキン。枝豆。花ケーキ。

月曜日。夕方、西の空は暗く、南の空には入道雲。ところにより豪雨という予報でしたが、柏ではいまのところまだ降雨がありません。駅前で拾ってもらい、買い物につきあってから帰宅。いろんな人からいっぱい電話があった夕方でした。月がバレーのレッスンから帰るまで枝豆などつまみ、電話電話が一段落してから、ティーネージャーおめでとうオムライスとフライドキチン。食後、花のお手製ケーキ。

KFC。じゃがいも味噌煮っころがし。トマト。キムチ豆腐。そうめん。

朝はパン。餡パン16個、チーズパン16個。お昼前に投票。投票後、看板を眺めつつ「原発云々を騒いでいるのは若い母親だけ」云々のふざけきった東電党候補者は誰かいな?と、内儀と顔の印象で詮索。お昼前、内儀をクラス会に送り、残る3人でイーオンに出かけ、「肉喰いてー」というお花の要望でお昼はKFC。我が輩はレッドホットチキン。レッドホットと銘打ちながら、甘くない程度でした。インドネシア以来KFCとはご無沙汰なので、次回は5年後でしょうか。 記憶に残っているKFCは、東ジャワ州の高原の街マランのKFCで食べたフライドチキンご飯。甘辛ソースがかかっていて絶品でした。 自転車を買うのに2時間待ち。その間女性たちはショッピング、我が輩はコーヒーを啜りながら「吟醸酒の来た道」読了。この本、イントロを読むと買ったのを後悔しますが、中身は上物です。酒蔵の設計などしている人が書いたので、酒造り工程の専門的な内容から、その背景まで書いてあります。 午後帰宅。タマネギをスライスしていたら、指までスライスしてしまい、哀号ー。お花がいそいで絆創膏をもってきてくれました。これで今日はベースが練習できなくなりましたよ。 夕刻は東京23区で唯一の酒造会社という小山酒造の「酒蔵の四季」を読みつつ居眠り。BGMはジョー・パス。内儀が帰宅し、夕食はじゃがいも味噌煮っころがしと、トマト、キムチ豆腐など居酒屋風。

粒あん炊き。再生スパゲティ。

土曜日。朝5時におきてつぶ餡炊き。前日の金曜日の朝、出勤前に小豆を水浸けしておいて、魚民宴会が終わって帰宅後、深夜ひそかに小豆を煮ておきました。それを一晩蒸らしておいて、早朝もぞもぞ起きだして餡にしたというわけです。これで本日のイベントその1は、朝7時までに完了。 朝7時からパン焼き。炊きあがり粗熱をとったばかりのつぶ餡で餡パン16個、新ジーランド製チェダーチーズ(やまやで売ってますぞ)を使ったチーズパン16個。アイスラテ。これで本日のイベントその2は完了。 10時からベトナム語。12時過ぎに、本日のイベント其の3を達成し、本日のミッションをすでに終了。お昼はざる蕎麦。クーラーをかけて寝そべって読書。「吉田牧場 牛と大地とチーズとの25年」を読了。早い夕方に内儀とハートランドビール。ライウィスキーのソーダ割り。昼寝のBGMはローランド・ハンナ。 夕食はお向かいさんから頂いたハムのソテーを使ったスパゲティ。

丸亀製麺。

木曜日。ちょっとだけ夏らしくなり、近所の蝉の鳴きごえも勢いを増してきました。昨日から早朝の散歩をはじめました。第1日めは内儀と我が輩だけでしたが、第2日めの今日は花もおつきあい。近所の森まで行くだけのことですが、身体を動かすと目が覚めます。 夕刻は駅でひろってもらい、みんなで自動車にのって丸亀製麺。冷やしうどん、かぼちゃの天ぷら、ほたるいかの天ぷら。それからお茶をして帰りました。

コロッケ。にんじんときゅうり。チーズ。おにぎり。などなど。

火曜日。いままで涼しかったのですが、今日はちょっと湿度が高いようです。帰路ミルクと小麦粉とバナナを買って、風に吹かれて帰宅。家に帰ると、内儀はコロッケをとてもたくさん作っていて、娘がひとり増えていました。取りあえず揚げたてのコロッケを食べ、ハートランドのビールで乾杯。そのうち福美ちゃんがやってきて、みんなそろって美人カフェごはんでした。福美ちゃんがつくねとか、なすとオクラのそぼろ煮など持ってきてくれました。デザートは、リサのもってきてくれたエクレア。BGMはチェット・ベイカー。

茄子煮浸し。イカ煮。にんじんスティック味噌。焼きポテト。スモークサーモンのサンドイッチ。

涼しい月曜日。腹ぺこになって帰宅して、まずシャワー。それからライウィスキーのソーダ割り。にんじんをぼりぼりむさぼり喰い、クラッカーに載せた小岩井チーズ。イカ煮。茄子の煮浸しとポテト焼きで腹が一段落。締めは、焦がしたパンのスライスに水切りヨーグルトを塗り、スモークトサーモンを載せ、黒こしょうを少々がりがり散らしたオープンサンドイッチ。内儀のひとくふうにうならされました。音楽は、テレンス・ブランチャードの"Let's get lost." まるで拙宅がジャズクラブになったかのような、いい宵でした。

野菜かき揚げ。鶏手羽焼き。GMお誕生会豪華料理料理。

涼しい日曜日。朝は久しぶりにサパンのパン。食べ終わって前日の残りパンでパンプディング。それからベースの練習。お昼は蕎麦。午後はホームセンターで子供たちの文具のお買いもの。涼しく快適なので夕方からライウィスキーのソーダ割りなど飲んで、読書しつつ居眠りなどしていると、じゅんこを駅まで迎えに行ってくれという内儀の依頼。「もぉ飲んじまったっぺ。」とフェイクの茨城弁で答えると、「じゃあ天ぷらと鶏の手羽焼きね。」と使命を託され、汗をかきながらごぼうと人参のかき揚げをつくりつつ、鶏手羽に粗塩と胡椒をがりがりふりかけ、210度で18分。シャワーを浴びてお向いさんに伺うと、たっちゃん夫妻、じゅんことこどもたちなど勢ぞろいしていて、豪勢な料理料理。海鮮刺身サラダ。肉じゃが。トマトサラダ。などなど。 乾杯は辛口のスパークリングワイン。GD(Grand Daddy)は焼酎派に転向したので、拙宅から持参した「野生の七面鳥」のソーダ割りなど。9時にじゅんこチームが帰り、眠くなったわが輩は帰宅してシャワーを浴びてすぐに寝てしまいました。よく寝た1日でした。