金曜日の夕方、いつものようにまつりの前を通りかかると、微妙な立ち位置のキャベツがある。おやじの姿は見えない。 月水金はおやじがテーブルに「なんでも百円」の無農薬野菜を並べる日だ。日よけパラソルの軸に瓶がくくりつけてあって、そこに金を投入する。ときどきその傍に口を縛った不透明のビニール袋があって、それは我輩にくれるために置いてあるものだ。おやじがいるときには感想と御礼を申し上げ、テーブルに残っている野菜のうちいくつかを「これは金を払ってもらってくよ」という。おやじがいないときはそのまんまもらい、金があるときはテーブルに残っている野菜のうちいくつかをふくろにつめてそのぶんの金を瓶に投入し、そのつぎにあった時に感想と御礼を申し上げる。 ところが金曜日のキャベツは、1. ビニール袋が不透明ではなく透明だった、2. 百円商品としてはキャベツが巨大だった、などの不審点が看取できた。つまり我輩のためにとっておいてくれたのか、切り分ける途中でなにか用事ができたのでとりあえずビニール袋にいれたのか。しかし迷っている時間はない。これから八十二銀行に立ち寄ってから電車に乗らなければならない。さいわい財布に何百円かバラ銭がある。 というわけで、迷いのキャベツといっしょにテーブルにあった野菜をいくつかビニールにいれ、キャベツ以外のぶんの金を投入した。 クルマに乗り込んだとき、内儀に「キャベツとかいろいろ」と告げて、上の説明をだらだらとした結果、土曜日の夕食はお好み焼きとなりました。