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炒飯スペシャル

金曜日。前日の夜は酒井順子さんの「煩悩カフェ」を寝床で読みつつそのまま寝てしまったらしく、目覚めたら本はたんすの上にありました。カーテンを開け、水を飲み、すいかを切り、さて前夜と同じくポテトフライにするか、それともジャガイモたまねぎ炒めにするかと考えながらコーヒーとシナモン紅茶を入れたら腰がヤバくなってきたので、そのまんまソファーに横たわって「煩悩カフェ」のつづきを読んでいたら内儀が起きてきました。
遅い朝ご飯はすいか、ポテトフライ、バルバリ、クリームチーズ、コーヒー。
昼過ぎにすいかを買いに出ました。かんかん照りの下、日陰木陰を慎重に選びつついつもの八百屋にいったらおやすみ。ラマザン(断食月)の金曜日のお昼やからね。しかたがないのでその斜め向かいのめったに行かない八百屋ですいかを買いました。とはいえ値段はどちらの八百屋で買っても、ほとんどいっしょ。7〜8kgくらいのすいかが15万リアル(570円)くらい。この値段だと家にすいかモンスターがいても平気です。ちなみにテヘランですいかは冬至の日まで売っています。でっかい国やからね。
慎重に日陰木陰を選びつつ帰宅。この乾燥した高温の夏と、冬に雪を抱く3000〜5000メートルの山々、そしてゆたかな地下水脈が、ぶどうとかすいかとか旨い果物を作りだしすんだよな、などど考えました。帰宅してシャワーを浴び、司馬遼太郎の「街道をゆく7」を読みふけりました。伊賀・甲賀、大和・壺阪、明石海峡と淡路、砂鉄のみちなど我が輩の故郷をはじめ西日本の近所が中心なのであれこれ想像しながら読了。「千二百 貫の鉄を得るのに四千貫の木炭を使った。四千貫の木炭といえば、ひと山をまる裸にするまで木を伐らねばならない。木炭四千貫といっても、江戸時代のやり方ならわずか三昼夜でつかってしまうのである。」というところで霊感。
そうか。古代は緑の沃野だったシラーズが石灰岩まるだしの奇岩山と砂漠になってしまったのは、神殿建設に必要な木材と石材、その石材加工に必要な鉄器、その鉄を溶かしだすための燃料としての木材伐採にあったのかもしれない。植林しなかったのかもしれないし、植林しても根が地下水脈に届くまで育たなかったかもしれない。若芽を遊牧のヤギに食べ尽くされたのかもしれない。でも近代的な技術をもってすれば、また緑の沃野に短期間でもどすことができるんではなかろうか、と考えました。あの中国・環境破壊帝国ですら、15年とか20年のあいだに日本列島と同じくらいの面積に植林したらしいのだから。日本の六甲山ですら、江戸末期だったか明治初期には禿山だったらしい。
日本はいま、たしか年間900万トンくらいの鉄をつくっていますが、 900万トンの鉄をつくるには900万トンの水が必要とか。イランはたしか2020年に550万トンの鉄をつくるのを目標にしていますが、それには水550万トンが必要。石油と天然ガスと鉄鉱石と石炭はたっぷりあるイランは、慢性的水不足に悩んでいます。イランには、なんとしてでも海水を真水にする技術が必要です。逆浸透膜でも蒸留でも。
我が国には天然資源があんまりないけれど、山紫水明。逆浸透膜も世界有数の生産量。おまけに島国で、中国がちょっかい出すとしても、戦車と兵隊が攻めてくるというわけにはいかない。これで政治がまともなら、まだまだいける国だとおもいます。

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