スキップしてメイン コンテンツに移動

イポーニツによるウォッカ批評 第8回 ラトヴィア対アメリカ

比較対象としてモルドバも入ってます。でも実質的にはラトヴィア対アメリカ。

ラトヴィアで思い出すのは、我がオールドフレンドのオルガ・ゼルジタス。オールドフレンドというのは、歳とった友達というのと、古い友達という二つの意味がある。オルガの場合は両方。

オルガ・ゼルジタスは1987年ごろに80歳か、その手前で亡くなったから、おそらく1910年頃の生まれ。家に遊びに行くと、紅茶を入れてくれたり、クッキーを出してくれた。それからゆっくりと、故郷のラトヴィアのリガの写真を見せてくれて、昔話がはじまる。ラトヴィアにナチスが入ってきた時のこと、ナチスが出ていってソヴィエトの赤軍が入ってきた時のこと。赤軍が入ってきたのは1945年だから、オルガは30代だった。

「法律家になってはいけません。国がなくなると、法律もなくなるから。」故郷で弁護士だったオルガはそう言った。欧州6ヶ国語ができたオルガだけれど、英語だけはできなかった。だからアメリカに亡命して、家政婦をするなど苦労して、一人息子のレオナルドを育てた。

なんでオルガの家に行くようになったかというと、下宿人のキャシー・ブルーノの趣味が、独居老人訪問だったから。独居老人を訪問すると、お茶とクッキーを出してくれて、エンドレスの話が始まる。ときには歯の抜けた口で。これが英語の聞き取りに最高の訓練になる。

そんなオルガの生まれ故郷、ラトヴィアのストリチナヤちゃん。嚥下するときに、口腔の奥全体にアルコールが広がる。それはアメリカ産のピナクルも同じ。だけれど、ストリチナヤちゃんのほうが上品。モルドバのペトロフスカヤちゃんと比べると、アルコールがどどーんと押し寄せてくる感じは否めない。

たまにストリチナヤを飲んで、オルガのことを偲ぶのも悪くない。物静かで穏やかだったオルガ。壮絶だった半生を語るときも穏やかだったオルガ。ハドソン川が一望できるヨーロッパ風のコンドミニアムは、クラシックで重厚な家具調度で揃えられていた。

そして、彼女に会わせてくれたキャシー・ブルーののことも思い出す。



コメント

このブログの人気の投稿

うなぎ。コシアブラの天ぷら。ごぼう煮。ふき煮。ほうれん草。豆腐と行者ニンニク。

5月5日は日曜日。お昼過ぎ、月花とともに原村の閣下宅にご機嫌伺い。庭園で山菜(コシアブラ)を採取。 閣下宅を辞して北上。ハーバルノートというハーブ園でハーブ購入。 山を下って茅野駅まえの川魚店でうなぎを購入。帰宅して自宅の庭園で黒ビール。 それから標記の豪華夕食。

細川農園のさつまいもクラッシュ裏ごしとXO漬けレーズンのコラボ

細川農園のさつまいも。正月の栗きんとんを作った裏漉しの残りに、XO漬けレーズンをたんと入れて混ぜてみました。そういえばXOも細川さんからの貰いもんやった。

コインランドリーで20分間気絶

暑い日曜日。午前中に茅野諏訪でHDMIケーブルやら楽器ストラップの買い物。昼過ぎに富士見に帰着。午後、大量のシーツなど乾かしにコインランドリー。100円玉が足りないので、斜め前の西友。GGの霊前に備えるウィスキーなど購入。コインランドリーに戻り、あと20分くらいあるので十字軍物語でも読もうかと思ったら、20分経っていました。どうやら暑さのあまり気絶していたらしい。 夕食はぶりかま焼き。キムチ豆腐。枝豆。締めに冷やしラーメン。