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えび炒飯。おでん。

12月31日。朝4時半に起き、5時45分にホテルを出発してバンコク国際空港。前夜からふたたび体調を崩した月姫をつれて飛行機。機内食はえび炒飯。5時間少々で成田に安着し、電車でおうち。それまでほぼ24時間なにも受け付けなかった月姫でしたが、お向かいさんの婆ぁばが用意してくれていたおでんを食べて回復。餅入りの飛竜頭まで食べようとするので心配しましたが、なかの餅がかなり洟垂れだったこともあり、なんともなかったようです。 つまり、ネパールの六道輪廻観光が腹にきても、24時間でだいたい回復するということなのでしょう。 みんな日本のお風呂に入り、女性たちはみな髪もよく洗い、ふかふかのおふとんで寝ました。我が輩はそれからのこのこ起き出して、お向かいさんが漬けておいてくれた米1kgで餅をつき、鏡餅と丸餅をつくり、鏡餅をご本尊様に供えました。西宮のおかんに電話し、受話器をおいたころ零時になりましたので、新年の勤行をしました。 旧年の罪障消滅と、新年の大願成就を祈念し、ヒンドゥー教でもラマ教でもなくてよかったと心から思いました。

機内食はチキンカレー。

12月30日のつづき。ホテルをチェックアウトして国際空港。いきなり厳しくなった荷物チェックと長蛇の列にいぶかりながらゲートに向かい、無事搭乗。他の航空会社のバンコク便がキャンセルされたらしく、満席フライトの隣のオランダ人のおじさんは別ボックスメニューで、我が輩はチキンカレー。飛行機が出る昼過ぎにはかなり回復していたのですが、頼んだトニックウォーターを飲み、別にたのんだジンはちょっと口をつけただけでした。チキンカレーもそろりそろり、おそるおそる食べましたが、たいして影響なし。 その夜はバンコクのシャムピマンホテルの部屋で、ルームサービスの野菜スープとごはん、豚肉炒めを食べました。24時間で回復したのはラッキーでした。

ラッシー。粥。シリアル。パパイヤ。

12月30日。ヒンドゥー教とラマ教が腹にこたえ、ひと晩じゅうベッド、バスルーム、尻洗いサイクルを何度か繰り返し、朝を迎えました。 ホテルはオテル・デ・ラナプルナ。老舗です。最初は茶色とはいえお湯はバスタブに溜められるくらいふんだんに出るし、冷暖房もしっかりしていて、ベッドもふかふかです。フロントのねえちゃんはどこで習った英語なのか、あるいはどんな高いカーストなのか知りませんが、多少エラそうに喋ります。しかしそんなことはどうでもよろしい。カトゥマンデゥーの六道輪廻観光は人生に一度でよく、こどもたちはその1度を早い目に終えたのでラッキーなのです。次回からはカトゥマンドゥー観光をすっとばして、快適なホテルで山の埃を落とすことに専念しましょう。 豪華ホテルの朝食はビュッフェで、ずらりとならんだ豪華メニューには目もくれず、お粥。シリアル+ホットミルク。ラッシー。とてもおいしかったパパイヤ。消化器官にやさしいふにゃふにゃシリーズです。特筆すべきはパパイヤでありまして、ジャカルタのドブ臭い、バンコクのうんこ臭いパパイヤに慣れた我が輩には、とても新鮮な体験でした。マレーシアのパパイヤもかなわないおいしいものでありました。

カトマンドゥー。サモサ。

12月29日。いつもの朝食を済ませ、ホテルを出発して空港へ。カトマンドゥー空港が視界不良で閉鎖されているとのことでしたが、イエティエアライン係員の機転で早い便に切り替えてもらい、1時間半程度の遅れでカトマンドゥーに到着しました。空が混んでいたらしく、我々のプロペラ機は上空でなんども旋回してくれましたので、山々がよく見え、格好の遊覧飛行になりました。 ホテルにチェックインしてすぐに市内観光の車両手配をエージェンシーに依頼し、外周道路沿いにスワヤンブナート(通称モンキーテンプル)、ボディナート(最大のラマ仏教寺院)、そしてパシュパティナート斎場を見学。 カトゥマンドゥーの街は15年前となんら変わりなく混沌としていて、ヒマラヤの山々を天界とすれば、下界は3悪道4悪趣の世界で、せいぜいが人界。人々が埃っぽい地面を這うように暮らしていました。 我が輩はヒンドゥー教とタントラ仏教(もしくはラマ教、あるいはチベット仏教)でおなかがいっぱいになり、パシュパティナート近くでこどもたちが食べたいといったのに食べきれなかったサモサが直撃し、夕方ホテルに戻ってから憔悴しました。ホテル近在の中華料理屋でたべた酸辣湯とほうれん草のにんにく炒めもあまり食が進まず、もちろん激辛鶏肉は、オーダーしたもののスルーです。 それからホテルで崩壊しました。

ネパールの家ごはん。

夕方ドルジ・ラマ宅を訪問し、奥さん手作りの家ごはん。ふたごの赤ちゃんがいるというのに自ら腕をふるってくれました。もちろんキッチンにおじゃまして、月姫花姫とともにふむふむと学習。いろいろ出してくれたなかで、圧巻はもちろんダール・バート、そして鶏肉の煮込み。ロンリー・プラネットには「家ごはんに招かれたら必ずおかわりするようにしましょう」と書いてありますが、お腹いっぱいでそれは不可能でした。 数年後の再会を約束して別れました。 次回は探しまわる必要はなさそうです

野菜カレー。ラッシー。

12月28日。朝食はいつものメニュー。まいど思うことは、じゃがいも炒めについている紫たまねぎが旨く、どうして日本でこれを栽培しないのか不思議です。 朝一番でホテル・ヨコハマまで歩いて行き、年代物のカローラに乗せてもらってプロバットの運転でドルジ宅。ドルジ宅は空港ちかくの新興住宅コンプレックスの新築のひとつでした。奥さんとも再会し、13歳になる息子、6ヶ月くらいのふたごの赤ちゃんに会いました。夕方また訪れる約束をして、タクシーで湖の反対側の山へ。、お釈迦さんの生まれ故郷ルンビニに行くという街道を走り、デイビッドフォールという滝を通り越し、山への入口で降りました。そこから歩いている途中で月姫が不調を訴えたので、我が輩と月姫は寺院への階段の下で休憩。 休憩しているとサドゥー(ヒンドゥー修行者)風の爺さんがやってきて、大麻を勧めてくれました。50グラム程度で(たしか)300ルピーというのですが、「教育上の配慮から」という理由で固辞しました。 内儀と花姫が階段をのぼって景色を楽しんでいる間、月姫に仏教のお話をしました。 劫という時間の単位があって、どんなもんかというと、1000年に一度、天人が降りてきて衣のすそでアナプルナみたいな山のてっぺんをなでる。すると山がすこし減る。それを繰り返して、山がすり減ってなくなってしまうのが1劫。 山のイメージがわかる月姫には興味深い、インド人の時間感覚だったようです。 タクシーを呼んでもらって山を下り、ホテルに戻りました。月姫が回復したのでフェスティバルの湖畔街に出て、レストランで食事。こどもたちはトマトスープ、我が輩はラッシーと野菜カレーを頼みました。

タリー。人探しと再会。

12月27日のつづき。 みんなで湖畔街の端っこまで歩き、旧友のドルジ・ラマがマネージャーをやっていたネパール・ゲストハウスに行きました。守衛室にいた人いわく、ドルジ・ラマはホテル・ヨコハマを経営しているとのこと。さっそく来た道を戻り、我々のホテルを通り越し、湖畔街の反対の端っこまでいって、ホテル・ヨコハマをみつけました。 ホテル・ヨコハマのゲートをくぐると、ドルジのもとで働いていた旧知のプロバットさんに出会い、再会を喜び合いました。その日ドルジはホテルに来る予定はないとのことだったので、ドルジへの連絡を頼みました。 ホテルに帰る途中、アイスクリームありますという看板につられてレストランに入って食事。我が輩はもちろん鶏肉タリーを注文。ヨーグルトもついてきて、なかなか豪勢でした。子供たちはピッツアとアイスクリーム。こどもたちの注文したチョコアイスクリームは軽めでしたが、3スクープぶんたっぷりはいっていました。 真夜中にドルジ・ラマがホテルに我々を尋ねてやってきました。翌日は湖畔のフェスティバルで、ドルジはドルジのカーストのコミュニティーの責任者なので、日中は身動きがとれないとのことでしたが、自宅での夕食に招かれました。 ネパール人は何年たっても、決して人を忘れないそうです。