西宮では、2日めに大きな桃を5つ頂戴し、毎朝堪能。3日めに大きな梨を5つ頂戴し、これも毎朝堪能。どれくらい堪能かというと、食い意地のはったこどもたちが「もう食べれないよ」というくらいの堪能さ。倉敷に叔父がいるので、祖母が生きていた頃は毎年おおきな水密桃がひと箱送られてきたけれど、それでもこどものころからこんなにたくさん食べたことはなかったぞ。桃だけの話やない、すいかでも梨でもほんのひと切れづつだったぞとぶつぶついいつつ、福運とか食い扶持という意味でまったく異次元に生きている我が子らのことを考えるに、こいつらは俺の打ち出の小槌みたいなもんやから、大切に育てていたら俺にも食い扶持が回って来るに違いないと思量。
客が来たときにがつがつしないように、なんでもすきなもんを一度はたんと食べさせておく方針だったうえに、南方生活が長かったもので、ハニーデュー、マンゴー、パッションフルーツ、すいか、ドゥリアンなど南の果物を飽きるほど食べ、帰朝してからはいちご、梨、いちじくなど北の果物を食べ、あと腹一杯食べたことがないのはサクランボくらいしかないという人生。俺らとなんか根本的に人生観が違うんやろなあと思いますわ。
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