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エスファハン第1日め その3 施しもののアイスクリームをハジョー橋で喰う。

クソ暑い岩山のふもとを離れ、一行を乗せたバンはメインロードをはずれて川沿いの林間へ。きれいに植樹された林間を散策し、お花畑で記念撮影。道端でプラムやさくらんぼを買い求め、それらを車中もぐもぐ食べながらハジョウ橋へ。途中の路上でアイスクリーム屋さんが道行く人々にアイスクリームを配っています。翌日がイマーム・ホメイニの命日ということで、振る舞いをしているとのこと。我々はハジョウ橋のたもとに座り、水辺でアイスクリームを賞味。橋をわたったところでテレビ撮影隊につかまりインタビューされるみきさんを置いてけぼりにして我々は水辺でさらに遊びました。 インタビューから解放されたみきさんが次に案内してくれたのが、エスファハン最古の橋。つくられたのが西暦500年ころというのですから、 「聖徳太子より前かな?」 「じゃあ日本人がチンパンジーの時代?」 「失礼な。せめて卑弥呼くらいちゃうん?」 橋をわたった展示会場でトイレに行き、また橋をわたってバンでコンパクトなモスクへ。

エスファハン第1日め その2 揺れる塔のモスクでプラモデルを買う。西洋人が岩山で脱落するのを眺める。

水曜日の続き。名ガイドみきさんと再会を喜びあい、さっそく用意してくれたバンに乗り込みました。塔(ミナレット)の揺れる時刻が近づいているというので、一路西方へ。「揺れる塔(メナーレ・ジョムバン)」という安易きわまりない名前のモスクですが、王の招きではるばるバグダッドからやってきたという聖人の棺が安置されています。ま、エスファハンのほうがバグダッドで死ぬよりよっぽどいいよね、とバグダッドでろくなことがなかった我が輩は思うのであった。前の広場でピース印の記念撮影などしていると、おっさんが塔に登り、からだ全体を使って揺らしはじめました。塔が揺れると、そこにつけたベルがなります。そしてもう片方の誰ものっていない塔が揺れ、そこにつけたベルもなります。 「ヤバくね、これ?」 「塔の根元で動いてる。こらヤバいわ。」 「いつか崩れるんじゃない?」 当時の土建屋が手抜きをしたのかどうか、しかし14世紀からあるらしいので、数百年ゆらゆら揺らしながら今日に至るのであります。 聖人の棺のとなりで、エスファハンの有名どころの建築物のプラモデルを売っていました。花子がとてもとても欲しがったので、揺れる塔の建物のプラモを購入。右の塔を揺らすと左の塔も連動して揺れるようになっているスグレものです。 ミナレットは崩壊せず、一行はバンに乗り込みさらに西へ。中心街から6kmにアタシュガーなる岩山があって、てっぺんでそのむかし拝火教徒が焚き火をしていたのだとか。バンを降りたらまだクソ暑く、木が生えていない岩山なんか誰が登るものかと思ったら、後からやってきた西洋人一行みたいなのが入場料を払って登りはじめました。地球の歩き方に書いてある「道があまり整備されていない」どころじゃなくて、道などそもそもござらん。西洋人らしき一行はてんでばらばらに岩にとりつき、数分もたたないうちに半数くらい脱落しておる。

エスファハン第1日め その1 ペルシア人の考える「中華風」フライドチキンとごはん

水曜日。朝4時に起きて水を飲み、支度をして5時半に家族揃って出発。予約したのに遅れてやってきたタクシーにむっとしながら、ベイハギというバスターミナルに着き、チケットを受け取ってトイレにいってからバス搭乗。朝から脳内で鳴っているBGMはもちろんデューク・エリントンの名曲「イスファハン」ローランド・ハナのピアノソロです。 バスターミナルからほぼ6時半の定刻に出発したバスの前のほうで、運転手と助手が「よーせーしょ。要請書。」「それゆーならどーしゅた。」なんていう空耳ペルシア語会話を聞きながら熟睡。 VIPバスはシートがとても快適で、アホのように大口をあけて眠ることができます。普通なら45人くらい詰め込むところなのに、横3列X縦8列=24人乗りですぞ。 午前9時、中間地点について20分の休憩。トイレにいってから、アイスキャンデーふたつを5000リアル(20円くらい)で買って花子と食べました。そこから高速道路の舗装がよくなってスムーズ感が増し、潅木しか生えていない外の景色を眺めました。我が輩の脳内BGMはやはり「イスファハン」ですが、運転席から聞こえるのは細川たかしみたいなオッさんがオーケストラをバックに歌うペルシア語演歌です。演歌が終わり、カシオトーンで作ったようなシャカシャカしたラウンジ音楽がしばらく続いたところで12時20分、エスファハンの街はずれのバスターミナル到着。トイレにいってから、タクシーでホテルへ。ホテルは街のほぼど真ん中にある地味めのスイート。家族4人の滞在なので、ひとり1泊4500円くらい。超お得。 お腹がすいたので、ルームサービスで「中華風」フライドチキンとご飯。ペルシア人の考える「中華風」というのは期待通り、コロモなしのチキン唐揚げと野菜(ナスとトマトとジャガイモとブロッコリとか)炒めでした。ごはんにあってとても旨い。大当たり。 さてひと休みして、午後3時から名ガイドみきさんの案内で市内観光に出発です。

野菜サラダ。パスタ。

月曜日。朝ベッドから転げ落ち内儀をフルネームでさんづけで呼んだけれど応答なし。そのうち考えが時空を超えてあちこちに飛び、気がつけばベッドから転げ落ちてもおらず、内儀も呼ばれていないんだと。体が熱っぽいまま朝食を食べ、本日欠勤を決意。みんなを送り出してソファでまた時空を超えた世界へ。一日中寝転んで合間に読書。塩野七生「我が友マキアヴェッリ」−フィレンツェ存亡−。マキヴェッリ最後の手紙にいわく、「この傭兵たちのように、戦いによって利益を得るものたちが平和を望むとしたら、そのほうが狂っている。運命は、われわれが想像する以上の凄惨な戦いを、彼らにさせるような気がする。」500年前のイタリアでそうだったのだから、いまさら悲観的になることはないのかなあ。夕食は野菜サラダと軽めのパスタ。

サラダ。海苔おにぎり。

日曜日。朝から曇っていて雨がぱらついていました。我が輩と月子で花子を学校まで送り、先生に挨拶してから月子とバス停。それから出勤。お昼は弁当。 夕 刻さっさと退社したら外は強い日差しで、おまけに空気が湿っています。クーラーがなかったら満員のバスで気絶していたねー。水を買って帰宅したら、花子が レモンスカッシュをくれました。花子優しい。シャワーを浴びて鎮魂酒と麦茶を交互に飲みながら内儀と情報交換。夕食は軽めにサラダと海苔おにぎり。 食 後、日本の地震はどないなったんかいなと日本放送協会の海外向け無料番組を見たら、いきなりシリアの空爆の話。しかも「シリア人権ウォッチによると政府軍 の爆撃」っていう一方通行言いたい放題の内容。シリア人権ウォッチって、ロンドン近郊の一軒家でシリア人のおっさんがひとりでやってる例のやつでしょ。昨 日も地震のニュースを見たくってNHKをつけたら、とんびが空を飛んでいる動画が延々と流されていて、そのあとFIFAのスキャンダルだもんね。情報の正 確さよりもいちはやく日和見的立場を的確に表明する、心温まるエンタテインメント放送局。報道機関のビッグ・リバウスキーといわれるぞ。いや我が輩は怒っ ているわけではござらん。日本の視聴者様のおかげで、海外に住んでいる我々は無料で見られるのだから。

焼きシャケ。ごはん。スモークトチキンのせ野菜サラダ。

土曜日。朝は月子と内儀が出かけたのもわからないくらい熟睡。朝ご飯は前日の残りもの。お昼すぎにみんなで月子お出迎え。近所の店でメロンのフレッシュジュース。月子はチェリーのジェラート。花子はいちごのフレッシュジュース。小腹がすいたのでスイートコーンとマッシュルームのメルテッドチーズかけをひとつ買い、みんなで分け分けしました。どれも価格は5万リアル(190円くらい)前後と心憎い設定です。テヘランの外食価格は日本とほとんど一緒かな。帰宅してブログ書き貯めやら読書やら。檀ふみ・阿川佐和子「ああいえばこう食う」でひと大笑い。

青椒肉絲丼

金曜日。朝起きてコーヒーとシナモンティーを入れ、玉ねぎとじゃがいもを剥いて切り、玉ねぎじゃがいも炒め。バルバリ。チーズ。読書。鷺沢萠「私の話」・・おんな太宰治か。 三野正洋「続・日本軍の小失敗の研究」・・とても面白い。ずいぶん前に読んだ「失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫) 」よりも面白かった。 早いめの夕食は青椒肉絲丼。まだ外が明るいうちに雷雨。今日は山が霞んでいました。