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餃子。根菜サラダのネギ油ドレッシング。まぜご飯おにぎり。野菜スープ。いつもごはんの心配をしていたふみちゃん。

 前日2月19日の19時19分、富士見高原病院の19号緊急処置室でふみちゃんが旅立ちました。

19日の月曜日は定例のデイサービスセンターの日。いつものように16時30分にセンターを出発したバスが、おかんとふみちゃんを自宅に降ろしたのが17時前後。おかんは自室であれこれ整理やら居眠り、ふみちゃんは洗濯物をたたみ、夕食の準備を始めます。白菜とピーマンと生椎茸と鶏肉を冷蔵庫から出し、白菜を切り、ピーマンを半分切ったところでふみちゃんは包丁をまな板の上に置き、倒れました。ひょっとして作業のまえに、干し芋をひとつ食べたかもしれない。うしろの何かが気になって、包丁を置いたのかもしれない。とにかくピーマンを切った途中でした。タネはまだ除去されていない。八宝菜を作ろうとしたのかな。椎茸と鶏肉を刻み終わっていたら、ガスレンジに火をつけていたかもしれない。

いつもなら18時前におかんの部屋を訪ねるふみちゃん。ふみちゃんがやってこないので、台所に見にいったおかんが、倒れたふみちゃんを発見。それがおそらく18時前後。

おかんは内儀に連絡しますが、仕事中の内儀は電話に気づかない。おかんがじゅんこに電話したのが18時18分。じゅんこが救急車を呼んでくれました。

18時28分に富士見駅に到着した電車を降り、7分後に横断歩道橋の手前に到達したところで救急車を見た我輩。歩道橋の上から眺めていると、救急車は拙宅のほうに曲がります。

「裏のくわえタバコ散歩爺もいよいよか。」と眺めていると、救急車のぴこぴこは拙宅のほうで停まります。我輩が走って帰宅すると、救急隊がまさに玄関に入り、ふみちゃんの入れ歯を外して気道確保したところ。

救急車に同乗して病院に到着したのが19時11分。内儀とじゅんこが病院に到着し、ふみちゃんが心肺停止したのが19時19分でした。

「朝、家を出るときにばーばが言ったのが『今夜ごはんどうするの?』だった。『冷蔵庫に書いて貼ってあるから!』・・・それが最後の会話。」

 おかあさんはいつもごはんの心配をしている - トーベ・ヤンソン 

帰宅して、こどものように穏やかに眠るふみちゃん。

翌日つまり本日、あれこれの手続きや買い物など奔走し、月子とはなこが夕刻に到着しました。夕食は餃子。根菜サラダのネギ油ドレッシング。まぜご飯おにぎり。野菜スープ。大西さんも加わり、生前のふみちゃんの話で盛りあがりました。

享年84歳。大動脈剥離でした。

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