火曜日の続き。会社やら家主のシーナ博士からSMSがはいり対応しているうちに司馬遼太郎の「草原の記」を読了。内儀と歩いて買い物にでかけ、まだ温かいバルバリと野菜果物など調達。テヘランは陽光の痛さもやわらぎ、直射日光下でも歩けないことはないくらい涼しくなっていました。帰宅してシャワー。 司馬遼太郎は大阪外国語学校でモンゴル語を専攻したのに、モンゴルに行ったのは2回しかないそうな。モンゴル語とモンゴルを学んだうえで、日本、ロシア、中国、満州など周辺からモンゴルのことをずっと考えてきたんだろうな。 彼が学んだころの大阪外大モンゴル学科にはふしぎな熱気のようなものがあったと書いてあった(ような気がする)のだけれど、それはたぶんどこの外大でも少数言語科ならいつの時代でもあるんじゃなかろうか。ただしその熱気に感染する人数の比率は多くてクラスの1/4くらいじゃないか。我が輩はさいわいそれに感染してしまい、とても楽しい学生生活を送った。外国語の能力だけを考えればはなから留学してしまったほうがいいのだが、わざわざ日本の外大で学ぶというのはその熱気に感染するという意味があると思う。さもなければいまの日本で、中途半端な学校に行く意味がみあたらない。その熱気に感染してどうなのかというと、とにかく対象国のことなら一所懸命に勉強するようになる。ふつうの学校ではそういうことがまずなかろう。そんなことを月子に話しました。 バルバリとコーヒーのあと、やはり司馬遼太郎の「坂の上の雲」第1巻。中学生のときに読んで以来だなあ。会社の図書室に第2巻から第8巻まであったのに第1巻だけなかったから、日本で買ってきたのだ。司馬遼太郎を読むと、やっぱりなんだか自分のあたまが良くなったような気がする。夕食はお茶漬け。花子が足りないというので我が輩のお茶漬けを分け分けし、我が輩はふたたびバルバリと、さいわい爆発していなかった鎮魂酒。