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茹で餃子。白身魚のフライ。ごぼうさつまいもねぎ醤油サラダ。ほうれんそうの胡麻和え。

暖かい金曜日。お昼に運河の公園に行くと、桜のつぼみがふくらんでいます。日という単位ではなく、あと何時間という単位で咲きそうな勢いです。運河のオフィス机まわりを片付け、ユニフォームも、ワイルドターキーの重いグラスもバッグにいれて帰宅。お向かいさんから白身魚のフライの差し入れ。ワイルドターキーのグラスにIWハーパーのソーダ割りをつくって、内儀とといろいろ話しながら、つぎつぎと出てくる料理をつまみました。そのうち月姫もおりてきて、花姫もおむかいさん宅襲撃からかえってきてごはん。月姫と、今日読み終わった「秋のポプラ」という本の感想を話し合いました。

鯖のみりん干し。こうなご煮。大根の煮もの。味噌汁。

木曜日。春らしくなりました。駅前で軽トラックのいちご屋さんが出ていましたが、荷物が多いのでパス。帰宅したら、こどもたちがコーフンしていました。花屋敷でこわい機械にいっぱい乗ったのだそうです。 「それ、木造?」 「ちがうよ。新しかったよ。」 浅草といえば、きんつばとかもんじゃ焼きというイメージなので、ローラーコースターも木製かと思っていました。そういえば、芋きんつばを買ってきてくれたので、自家製つぶあんと交互に食べました。芋きんつばだけを食べていると感動が薄れますが、粒餡と交互に食べることで、感動を何度でも味わうことができます。ほんとうは1センチづつくらい交互に並べたシマウマみたいな芋・つぶあんきんつばを作ればいいのですが。 「パパ、作ってよ。」 そうか。そういえば作れるなあ。

コロッケ。大根と厚揚げの煮もの。

暖かい水曜日。朝は手袋が欲しいくらい風が冷たかったのですが、コートを着ずに出社しました。夕刻帰宅すると、3人娘が分業でコロッケをつくっていました。我が輩は内儀の煮ものとコロッケのできたてをお向かいさんにデリバリーしてから、コロッケをたくさん頂きました。ほくほくして旨かったなあ。 ところで先般、内儀の卒業式があり、学長から「あんパンいつもありがとう。」と言われたそうです。よかったなあ。我が輩の脱貨幣経済プロジェクトがひとつのサイクルを終えました。我が輩の「値段をつけない」無償のあんパンによって、内儀は学校で友達の輪を拡げ、結果的に値段をつけられないくらい貴重な価値を得ることができたということです。 金で買えるくらいのものは、じつはたいしたことはないのです。資本家的生産様式が支配的に行われる世界では、貞操や忠誠心ですら金で買うことができるようになり、貨幣が物神となります。それを骨抜きにしようと思ったら、貨幣経済からできるだけ脱却するしかありません。我が輩があんパンをつくるのも、味噌を仕込むのも、近代社会を構成する物神をすこしでも攻撃し、人間性を恢復したいと思うのです。 しかも我が輩のあんパンには、なかなか真似のできないツイストがデュアルレイヤーで仕込んであります。ひとつはあんパンそのもので、毎週作っているので面倒でなくなったこと、もうひとつは餡が自家製ということです。ふたつとも自家生産することで、できるだけコストを抑え、同時に適度に管理しつつ、自分にノウハウを貯めこみ、こどもたちの支持もとりつけることができます。おまけに、餡で自家製の饅頭もつくることができます。

鶏の唐揚げ。ポテトフライ。れんこんサラダ。味噌汁

暖かい火曜日。帰りに柏のホテルで傘を貰って帰宅。帰宅して、チャーリー・パーカーのコンファメーションをギター譜におとしつつ、IWハーパーのソーダ割り。そのうちに内儀がれんこんサラダとぷりぷりの北海道ししゃもを出してくれて、つぎにポテトフライができ、3人娘が降りてきて、そのうちに鶏の唐揚げができたてのほかほかでできました。みんなでぜんぶ、おいしく頂きました。

トマトソースのスパゲティ。ハム野菜炒め。

月曜日。いつもより1時間はやく家を出て、柏のホテルでタイ一行と待ち合わせ、電車で成田駅までご案内。電車でおおたかの森に着いたのが10時2分前だったので、イトーヨーカドーで蟹いり鮭弁当を買い、運河から歩いて会社へ。 日差しはよかったのですが、運河は冷たい向かい風が吹いていて、のんびりした春の散歩のつもりが、チベット巡礼にゆくモンゴル人みたいになりました。 帰宅すると、月ちゃんがお泊まりにきていました。ブルーチーズとクラッカーとナッツをつまみながら、ゆっくり晩ご飯ができるのをまって、標記の夕食。

れんこんとこんにゃくの肉炒め。さんま梅干し煮。ハムサラダ。

日曜日。朝起きたら、声がでません。前夜カラオケで、長渕剛を歌ったのがきっといけなかったのでしょう。内儀を卒業式に送り出し、パンを焼きました。チーズパンとあんパン。お花によると、過去最高点を軽く越すおいしさなので、評価の天井を突抜けちゃったとのこと。 なんと褒め上手なこどもたちなのでしょうか。 洗濯物などしつつ、前日の朝に水浸けしておいた小豆を蒸らし工程直前まで煮てから、子供たちとパンをジュンコ宅に送り届けました。Pちゃんとジュンコに声がなぜでないのか、カスレ声で説明をしたら、そこそこ受けました。 「階段をあがった突き当たりのドアをあけたら、スポーツ刈りのガタイのでかいお兄さんがね」って、たんに事実を話しただけなのですが。 お昼は、前日の残りものらしきサラダを瓶づめトマトソースで煮て、うどんに絡めるというぞんざいさ。我が輩一人だけだと、いきなりぞんざいになります。 午後はお昼寝のあと、つぶ餡を炊きました。 夕食はお向かいさんにお呼ばれで、標記のおいしいご飯。なんであんまり飲まないかというのを説明したら、そこそこ受けました。 「階段をあがった突き当たりのドアをあけたら、スポーツ刈りのガタイのでかいお兄さんがね」って、たんに事実を話しただけなのですが。

庄屋。ジュン。

土曜日は雨。経営発表会とやらで、ヒラなのに出席。夕刻、近所の庄屋で懇親会。海老フライやら刺身やら。6時過ぎに柏市内某所のジュンという店に移動。階段を上がってつきあたりにドアを開けたら、体格のいいスポーツ刈りのお兄さんが「サワディー・カー!」とワーイ(合掌礼)をします。「カップ」の間違えではありませんよ、「カー」ですからね。タイ工場の経営陣も、はるばるタイから飛んできて、柏某所でタイのオネエに接待されるなんて思ってなかっただらふなあ。そこでタイのサラダとか、タイの炒飯を食べ、気がついたら翌朝自分のベッドに寝ていました。 でも、パンの仕込みもしていたし、お風呂も入ったみたいなので、たぶん記憶が飛んでいるだけなのでしょう。